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娘は、去年から、学校のゼミの課題で
母のドキュメンタリーを制作中・・・

娘の視点でいろんなことを表現するみたいです

どんなものになるのでしょう
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2015.12.26 Sat l 優ちゃんの想い l top
最近、沢山の出会いがありました。
震災とは関係ないところでつながった人たち。

みんな、とてもパワフルです。
みんなといると、何か新しい人生が開けそうな感じがします。

私の中で 「震災」は、離れたくても離れる事が出来ない事。
でも、その中だけに とっぷりと使っている事が
なんだか、とてもしんどく感じる事があります。

娘は、震災に関わっているママを見るより
全く関係ない世界で過ごしているママが
いいみたいです。


この間、娘が ぼそっと言いました。

「ママ、メディアで震災20年って言って
区切ろうとしているでしょ。
今までは、それが凄く嫌だったけれど
うちも、震災20年で一度区切ってみない?

20年が終わったら、震災とは関係ない
生活を送ってみない?」って。


きっと、きっぱりと離れる事は出来なくても
今までみたいに 必死に震災に関わるような
生活をするのはやめようかなって。


秋に出す、CDのジャケットのイラストを
娘が描いてくれています。

二人の小さい頃に写真を見る機会も多くなり
娘も色んな事を思うようです。

将くんに会いたいなって
なんで、死んじゃったのかな?
なんで、私は、記憶が残っていないのかな?

毎日のように将くんの事を考えているって
言っていました。

娘にとって、一緒に過ごしたはずなのに
自分の記憶に残っていない事は
凄くしんどい事なのかもしれない。

そんな娘のそばにいてあげたいって思いました。
2014.07.05 Sat l 優ちゃんの想い l コメント (0) トラックバック (0) l top
昔の想いを読むのは しんどい。。。


息子を失った悲しみだけでなく、娘の言葉も書かれていて
それを読むと あのときには、理解できなかった娘の想いが
苦しいほど伝わってくる。

ごめんね。。。。自分のことで精一杯だった・・・

理解してあげれなくて。。。。
2013.05.30 Thu l 優ちゃんの想い l コメント (0) トラックバック (0) l top
優ちゃんが、学校から帰ってくるなり言いました。

「将君に会いたいな 何で死んでしまったの?」


私は、「地震が来たからだよね。。。」と言ったら

「地震が、あっても 生きていた人がいるっでしょ?
なんで将君が死んでしまったの?」と言ってきた。


「ママが、助けて上げれなかったから」
のど元まで出てきた言葉を飲み込んだ。


ゆう「今日は、将君のことを話したい気分。ママ、将君のこといっぱい話そうよ」

ゆう「将君がいたら 仲良しだったと思う?双子だったから どんな感じだったかな?
もし、優ちゃんが 地震の前の日の1月16日に突然、行くことができたら 将君のことを助けられたかな?
ママに、今の優ちゃんが 将君が死んでしまうから ここから逃げて!って 言ったら ママは信じてくれるかな?
ママは、大きくなった優ちゃんのこと 優ちゃんって わかってくれるかな?」


私 「お化粧をしてなかったら わかるかも」
ゆう「赤ちゃんの時の面影今も残ってる?」
私 「残ってるよ」


ゆう「昔、『黄泉がえり』って映画会ったでしょ?あんなふうに戻ってきたらうれしい?」
私 「うれしいよ。もし、誰か一人だけ 将君にあるなら ママは、いいから優ちゃんに会わせてあげたい」

ゆう「私は、ママに合わせてあげたい。だって、ママは、将君にもう一度会いたいでしょ?私は、会ってみたいと思っているだけだから、会わなくていいよ、もう一度会いたいと思っているママに会わせてあげたい」

私 「ママの記憶の中には、将君は、ちゃんと残っているから 優ちゃんに将君に合わせてあげたい」
ゆう「私は、いいよ ママが会いなよ・・・」


ゆう「将君が、いたら 私たち仲良しかな?」
私 「うん、小さいときから ずっと仲良しだったから 今も仲良しだと思うよ」

ゆう「将君に会いたいな 会ってみたいな。」

私 「ママも会いたい」

ゆう「将君は、きっと私のこと好きだと思うよ」

私 「笑」

ゆう「なんで、パパもママも、私が そう言ったら笑うの?」

私 「優ちゃんも、将君のこと好きなんだろうなって思って…」


その後も、
「将君に会いたいな どんなきょうだいになっていたかな?」
そんなことを言っていた。


私も将君に会いたいけれど

でも、誰か一人だけ 会えるなら
優ちゃんに会わせてあげたい・・・・


私は、将君に会えた優ちゃんを見ているだけで十分
私も将君に会えたそんな気分になれるから・・・・


誰か、二人会えるなら。。。
やっぱり私が会いたい 主人には譲りたくないな。。。。笑


やっぱり、3人に会わせてほしい。


神様 将君に会わせてください
お願いします
2013.05.01 Wed l 優ちゃんの想い l コメント (2) トラックバック (0) l top
どう言葉で表現すれば 今の気持ちをきちんと
書き残すことができるか わからないけれど


とりあえず、残しておこうと思う。



うちの娘、1歳半で阪神大震災を経験し
おなかの中から ずっと一緒だったきょうだいを亡くしました。


1歳半という年齢だったので
この揺れが、「地震」だということも 理解できず
いつも、一緒にいたきょうだいが、突然動かなくなったことが
「死」であることも理解できず

あんなに、いつも優しい目で自分を見てくれていたママが
いつもいつも 泣いていて 自分を見てくれなくなったことが
「大切な子どもを失った悲しみ」からだったということも理解できず

周りにいたたくさんの人が、
なぜ集まって悲しい顔をしているのかもわからず

ある日朝起きたら 今までとは違う 空気が
自分を取り囲んでいた

なぜなのか それもわからず

でも、まだ、小さいから そういう経験をしなくても
日々の生活は、自分の知らない新しい出来事で作られていて
その状況もその中の一つとして
大人が考えるほど大変なことだと気づかないで成長してきたんだろうなって思う


でも、笑っているママと泣いているママの違いは
理解できる年齢で

ママの姿やきょうだいの姿が見えなくなると
さみしくなって 泣いて探すことをする年齢だった


なので、この状況が理解できていなくても
きょうだいが、突然いなくなってしまった悲しみは感じていた

姿を見つけたら うれしいとい感情も持っていた

私が何も言わなくても きょうだいの写真が
自分の手の届くところにおかれた瞬間

遠くから走ってきて その写真を抱きしめて話さなかった


そんな娘だけど、成長する中で
きょうだいと遊んだという記憶は消えてしまった。

生活の中で 写真が飾ってあり
ママやパパ 色んな人がきょうだいの話をしてきたから
娘は、自分には、きょうだいがいて 『地震』という出来事で
死んでしまったということを知っていった。

もしももしも、あの時から きょうだいの写真もなく
パパとママが、きょうだいの話をしてこなければ
娘の中できょうだいがいたことは、忘れてしまったのだろうかと
思ったりする。

でも、きっと 潜在的な意識の中では、覚えていているんだろうなって思ったりもする。

阪神大震災のことも きょうだいと遊んだ事も
自分の記憶の中にはない娘だけど

この18年の生活の中で きょうだいの存在は
普通に感じて成長してきた。

それは、私の言葉や私がやってきた震災関連の活動が
大きく影響してきたと思う。

それが、よかったのか悪かったのか
もし、悪い影響を与えていたとしたら
私は、どんなことをすれば 良かったのか
そんなことをして 生きてきたら 娘に悪影響を与えずにすんだのか
それが、わからない。

大切に育ててきた息子を突然失った母が
たとえ、こうやって育てたらいいよと
遺されたきょうだいを育てるマニュアルたあったとしても

その通りにできるだけの余裕は、なかったから。
あの時の私が、娘にして上げれた 最高のことは
息子のところに行く道を選ばず、『生きている』ことだと思っていたから。

泣いていても 一緒に遊んであげるだけの余裕がなくても
ただ、『生きている』それだけが 娘を思ってできる最高の事だった。

1歳半だった娘も成長していく中で
学校やテレビなどで 阪神大震災について知ることが多くなり
自分の今までの色んな記憶とそれらがつながり始めた

小学校4年生の時に 新潟で大きな地震が起こった。
色んな事が理解できる年齢だった。

その後、学校から 阪神大震災を後世に伝えるという施設の見学に行った。
そこで、娘は初めて、きょうだいの命を奪った阪神大震災のことを勉強した。

こんなに大きな被害があった地震。
そこで、自分のきょうだいが死んでしまった。

地震のことも 人の死も 理解できる年齢。

そこに言った直後に 一緒に住んでいたおじいちゃんが
突然亡くなってしまった。

さっきまで一緒にいたおじいちゃんの死。

おじいちゃんの死が、「死」の悲しみが理解できる年齢になってからの
初めての別れだった。

その辺りから、ママが、子どもを失った悲しみを考えるようになったのかもしれない


そして、ちょうどその辺りから
私が、阪神大震災出家族を失った人たちとの交流が始まり
娘も一緒にみんなと過ごす時間が増えていった。

ママの悲しみだけでしか見てこなかった娘は
他の人の子ども失う悲しみにも触れる機会ができた。

人から見ると 話すのに気を使うような『遺族』の人たちと
気を使うことなく 普通に出会い普通に話をしてきた。

そして、誰もが気を使うことなく きょうだいの話をしてきてくれる

パパやママでない 大人ときょうだいの話をすることができる
安心できる場所だった。

阪神大震災は、記憶にないけれど
娘の成長する中で 阪神大震災は、いつも隣にあった。

きょうだいのことは、覚えていないけれど
きょうだいは、いつもそばにいて、自分と同じように成長していた。
(娘の意思ではなく 私の意志だけど)

そんな風にして育ってきた娘。

高校生の時 震災15年の時に 娘と一緒に
阪神大震災を震災を知らない世代にどう伝えるかを考えた。


まずは、自分の友達に一緒に何かしないかと話してみた。
でも、自分の友達は、阪神大震災がいつ起こったかしらない
阪神大震災に興味がない

その現実を知り、ショックを受けていた。

自分にとっては、切っても切り離せない出来事なのに
友達は、まったく興味のない出来事だったから。

そして、その1年後、東日本大震災が起こった。
たくさんの人が、自分に何ができるのか自分にできることをと
神戸でもたくさんの人が ボランティアをしていた。

今まで、阪神大震災に興味のない人たちも
改めて 阪神大震災のことを考えなければと思ったと思う。

そんな人たちをみて 娘は色んな事を感じたようだ。


娘にとって、阪神大震災は 記憶にないもの

(地震が、起こると すごくおびえる
それは、私が娘が小さいときに 地震が起こった時に
パニックになって 泣いていたから

地震でパニックになる私を見て育った娘は
私の様子から 地震は、怖いという イメージが植え付けられたと思っている。)


でも、東日本大震災が起こり
阪神大震災のことをより深く想像するようになった気がする。


大学に入り、メディア専攻に入り
自分たちで 何かをドキュメンタリーを作るとい授業がある。

何を撮りたいかを 考えなければいけないみたいで
それは、なんでもいいんだけど

娘が浮かぶのは、震災のことばかりだそう。

そこから、離れて考えて 違うものを撮りたいらしいけれど
浮かぶのは、やっぱり、震災のことばかり。


去年までの先輩の何人かは、東日本大震災のことを取材して
ドキュメンタリーを作っていた。


娘は、今は、震災=東日本大震災 というイメージがあって
みんなそれを取り上げるけれど

東日本大震災について 取り上げるのは難しい
その人たちの想いを自分がきちんと受け止めて
それを表現するのは 自分には無理だと言った。

表面的な思いを表現するのは簡単だけど
そういうものじゃないからって。

だって、東日本大震災を経験してないから
津波で家族を失った人の想いをわかってあげれないからと。





阪神大震災を覚えていない娘
きょうだいのことを覚えていない娘

でも、18年 生きていく中で 周り(ママ)の影響は大きくて
息子が生きていれば こんなに悩んだり考えたりしなくてもいいんだろうなって思う


娘が 昨日言った。
将君が死んでなかったら こんな風に思わなくて済んだのにと。
なんで将君は死んでしまったんだろう?って



震災当時、1歳半だった小さな子ども。
小さいから 覚えていないから 大丈夫だよね・・・

ではなく、娘は、ママというフィルターを通して
阪神大震災を見てきたんだと思う

ママの悲しみを見て育った娘は
記憶のないきょうだいのことを 娘なりに感じて育ってきたんだよね


この18年間の生きてきた自分を否定しても
何もかわらない

でも、娘がそう感じてきて来た今を
それをどうにかしようとしていることを

ちゃんと受け止めて あげなくちゃって思っている

でも、それを頑張りすぎると 娘はいやだろうから
ちょっと距離を持ちながら 娘が、私を必要としたときに
そばに居てやりたいと思う






ん。。。。
書いていて 自分でも 何が言いたいのか分からないけれど
記録として 残しておこう


いつか何かの役に立つかもしれないから



でも、娘が読んだら 私こんなこと思ってないって言われちゃうかもね

だから、「ママの目から見た」をつけておこう(笑)
2013.04.22 Mon l 優ちゃんの想い l コメント (0) トラックバック (0) l top
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