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今日は、朝から娘が制作している私のドキュメンタリーの撮影でした。

11時過ぎに、娘のお友達が来て撮影開始。
最初の一時間は、娘がCDジャケット用のイラストを描くシーンを撮影。

12過ぎから13時までお昼ごはん。

13時から 14時半まで撮影。
このとき、息子が最期に着ていた洋服が入った
バックを開けるシーンの撮影。

私もずっと前に一度だけ、魔がさして(苦笑)
ちらっと見てしまって以来。

じっくりと見るのは、初めてでした。

息子が最期に来ていた洋服のほかに
最後の夜にお布団に敷いていたお気に入りの
ペンギン柄のバスタオルと毛布も入っていました。

そして、おもちゃと1月18日の夕刊も。

バスタオルと毛布は、つぶれた家から
出したまま、洗ってない買ったので
つぶれた家の壁土がついたままでした。

それらを出しながら
娘に説明をしました。

ペンギン柄のバスタオルは
母が、孫たちにと息子と娘といとこに
買ったものです。

息子は、そのタオルの肌さわりが大好きでした。

助け出された後病院に行くときには
いとこの分のバスタオルを持っていき
(息子と娘のバスタオルは、つぶれた家の中から取り出せてなかったので)
心臓マッサージをしたときに、床に敷いて寝かせました。

死亡認定された後は、
そのバスタオルにくるんで抱っこして
火葬する時もそのバスタオルを敷いてあげました。

来ていた ミキハウスの洋服は
心臓マッサージをするときにハサミで切られました。

それを切るときに
何のためらいもなく看護さんが切ってしまうのを見て
ショックを受けつつも、ことの重大さを感じたのを覚えています。

それらの洋服を着換えさせたのは
病院を出て避難したところで受けた
検視の時。。。。。

その時の詳しい状況は
もう、覚えてないけれど
多分、私と主人が着換えさせたと思う。

洋服の上に 白い着物と
おでこにつける 三角の布をつけて
お棺の中に寝かせた。

1歳半の小さな息子に
死に装束は、全然似合わなくて
その三角の布がとてもとても悲しかった。

でも、お棺の中に寝かせた時
息子の顔がホッとしているようにみえた。

何も変わらないのに・・・・。
母は、息子の顔が日に日に変わっていっていて
このままだと私が、その様子を見て
気がくるってしまうと心配していたって
後で話してくれた。

私は、その変化を全然感じなくて
ずっとかわいい息子の顔としか見てなかった。

でも、あとで 息子がホッとした顔をした感じがしたのは
息子からのママを安心させるためのメッセージだったのかな?って
思ったりした。

息子が生きていた時に家にあったものを
いまだに捨てられずにいる私。

娘と息子の死んでしまった時の服を見たときに
この服のことを娘に話したのはいいけれど

私が死んでしまった後
娘はこれを捨てるのかな?って 考えた。

捨てられることに関しては
私が死んでしまったあとはどうなってもいいけれど

でも、この洋服は、私のお棺に入れてほしいと伝えた。

これ以外にいっぱいある息子の思い出の品。
それらについても娘に話をした。

ママが死んだあと捨ててもいいよって。
でも、以前、子供を失ったお母さんが 80歳ぐらいになったときに
自分が死んだあと これらがゴミとして捨てられるのが悲しいからと
一つ一つを自分の手でたき火の中に入れて燃やしたという話を聞いたことがある。

私が、死んだあと 処分をするのは娘。
娘に捨てさせる作業をさせるのはかわいそうかな?

ゴミになるのもやっぱり悲しいしって思った。
私が死んでしまうまでに 息子のものは
私の手でちゃんと処分しなきゃって思った。

都会では、たき火はできないので
違う方法を考えなきゃね。

今回は、「伝える」を目的としているので
それらを娘に伝えることについて
娘に話すことができました。

でもでも、こうやって書きながら
まだ、話し忘れていることがたくさんあることに気がついて
ちょっとショックを受けている。

また、何かの形で 娘に伝えられたらなって思っています。

それらを話した後
娘よりも先に死んでしまうであろう私。
死んでしまってからは言えない
ママが死の悲しみをどう受け止めてほしいかということを
話すことができました。

途中からは、本当に想いがこもってしまって
涙が出てしまいました。

娘は、話し終わった後
「重い・・・」と 疲れた様子(汗)

でも、ちゃんと伝えることができてよかった。
そして、それを記録することができてよかった。

あ、娘が見たいと言っていた
仏壇の横にある、おもちゃの入っている棚を開けるの忘れてた。

また、次回 それらについて話せるといいな。

やりきった感満載!!

これで、一応気持ち的に 一段落。
明日からは、原稿をまとめようっと。

その前に、ジムに行って エアロビしなきゃ
パワーが出ない。。。。。






今、お風呂からあがってきた娘が言ってくれた。

「ママ、きょうはありがとうね」って。

私も「ありがとう」って 素直に言えた。


1歳半で震災を経験した娘。
息子のことも 震災のことも全く覚えてない。


そんな娘と今こうやって息子の話や震災の話
そして、これからのことができるようになるなんて
思ってもみなかった。

震災から20年、娘の成長を感じた一日でした。
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2014.09.05 Fri l 優ちゃんへの想い l コメント (0) トラックバック (0) l top
最近、またまた、新しい出会いがあり
そのことで忙しくなりそうです。

自分のやりたい事にベクトルが合っている方々との出逢いは
しかも、私を前に引っ張ってくれる予感もします。


震災からもうすぐ20年。

それと同じ時間を今から過ごすとしたら
私は、〇歳。。。。(@_@;)

もう、生きてないかもしれないと
最近、強く感じてしまいます。

そう思うと、もっと ちゃんと生きなきゃって
色々考えてしまいます。

自分の人生の終わり方を考えると
どう生きるかを考えてしまう。

そんな話を娘としています。

家族との別れ
絶対に来てほしくないと思っていたけれど
それを避けることはできない現実。

だから、こそ しっかりと生きる。
娘のために。。。そして、自分自身のために。
2014.06.17 Tue l 優ちゃんへの想い l コメント (0) トラックバック (0) l top

いいな いいな 友達っていいな~  (*^^)


みんな、それぞれの人生を送っていて
それでも前を向いて歩こうと頑張っている。

私の人生 あとどれぐらいあるんだろう?
自分自身のためにも いつか離れ離れになっちゃう娘のためにも
楽しく生きていこうと思えるようになりました。

娘が、ママを思い出すときには
笑顔のママを思い出してほしいから。

笑顔の私は
きっと 娘の生きる力になると思うから♪


ありがとう みんな~☆
2014.06.11 Wed l 優ちゃんへの想い l コメント (0) トラックバック (0) l top
先日、主人の母から 宅急便が届きました
中に入っていたのは、『パンの缶詰』

以前、テレビで紹介されていた 『救缶鳥プロジェクト』を企画されている
「パン・アキモト」さんの商品。



3年前、主人の実家のすぐそばにある「パン・アキモト」さんを
訪ねました。

メールで問い合わせて、社長さんに直接お会いすることができ
いろいろお話をお聞きした時の 日記です




***********************************


パンの缶詰  2010年05月12日18:55

4/11(日)「夢の扉」(TBS系列)という番組で
『パンの缶詰』が、紹介されました。

阪神淡路大震災をきっかけにできた 防災グッズとしての『パンの缶詰』。

今では、海外での災害や世界の飢餓救済活動に使われているという。
(救缶鳥プロジェクト)

その番組を見た娘が、感動し ボランティアをしたいと言い出した。

そして、その「パンの缶詰」を作っている‘パン・アキモト’というパン屋さんが、
主人の実家のすぐ近くにあることが判明


ネットを通じてそのパン屋さんに連絡をとり
GWに主人の実家に行ったときに
お話を聞きにお店に行ってきました

社長さんが対応してくださり
パンの缶詰を作るきっかけや現在の活動などなど・・・

お忙しい中、本当にいろんな話をしてくださいました


そのパン屋さん 今では大きなお店になり
沖縄にパンの缶詰の工場を持つほどの大きな会社になっていますが

主人いわく 昔は、主人の家から歩いて5分ぐらいのところにあった
町の小さなパン屋さんだたそう


娘は、テレビで初回されていた アキモトさんが
目の前にいることに感動していたよう

私は、神戸でのいろんな活動の話や
震災の資料 または、手記の冊子等をお渡ししてきました


その 社長の秋元さんから 宅急便が届きました

なんと、私たちの写真をラベルにした
パンの缶詰!!!

1485338869_151.jpg


ただただ、感動です


私が、担当している NPOの通信に
娘が、今回の体験をレポートするそう

震災のことも将君のことも覚えてない娘が
成長し震災にかかわって行く・・・

母として 感無量です


パンの缶詰 オリジナルラベルでいろいろありました
自分のオリジナルも作ってもらえるみたいです


1485338869_90.jpg


パン・アキモト
http://www.panakimoto.com/


救缶鳥プロジェクト
http://www.nasuinfo.or.jp/FreeSpace/aki_pan/kyucancho.htm

2013.06.04 Tue l 優ちゃんへの想い l コメント (0) トラックバック (0) l top
入園式 入学式の季節ですね。

うちは、双子だったので 娘の入園式 入学式は
将君の入園式 入学式だったはずという想いの中で
過ごしてきました。

うれしいはずの入園式も入学式も 卒園式も卒業式も
悲しみに埋もれてしまって 悲しい日でしかありませんでした。

お誕生日も七五三も 同じような思いで過ごしてきました。

世間でいう うれしい日を
その日を迎えることができない子どものことを思い
つらい思いで過ごしている人たちはいっぱいるのだろうなって思う。

スーパーなどに飾ってある
「○○小学校入学おめでとう」というポップに
息子が行くはずだった小学校の名前を見つけて
悲しい想いをしたのを思い出します。

今年、20歳 来年の命日のころは、成人式なのよね。

結婚式や孫が生まれた時も将君のことを思い
幸せの隣にある悲しみを感じてその日を過ごすんだろうな。


あの日から、我が家の幸せの隣には、いつも悲しみがあった
でも、その悲しみの隣には、幸せがあって。。。。


娘の中には、将君の想い出は残っていない。
だから、つらくない 悲しくないという娘。

そんな娘が言った、記憶に残る年齢で
きょうだいを失った子どもは、つらいだろうねって。
私とは違う想いで生きていくんだろうね、
きょうだいのことを覚えていない私に震災の取材で
きょうだいを亡くした子どもとして取り上げられるのは
なんか違う気がする。

テレビや新聞が求める「きょうだいを亡くした子供の気持ち」を
伝えられないから申し訳ないって。

きょうだいの記憶が残っていないし、
きょうだいが亡くなった時に、悲しいと感じた記憶も残っていない娘。

でも、将君がなくなった事を悲しんでいたことは、確かなこと。


死を理解できない年齢の時に きょうだいを失い
そして、成長する中で死を理解していく。

そして、思春期を過ごし 大人になるにつれて 
死の意味や阪神大震災の被害
そして、悲しみや苦しみを理解していく。

そして、娘の阪神大震災の記憶は、ママの悲しみという
フィルターを通じて 娘の心の中に刻まれていく。

自分は、悲しくなくても 
ママやパパの悲しみを考え理解できるようになっていく。

大人になる中で、感じ方も変わってくるだろうし
受け止め方も変わってくるだろう

その中で、苦しむこともあるだろうし
将君を助けられなかったママに対しての想いも出てくるだろうと思う

もうすぐ、20歳
でも、まだ、20歳・・・・

そのつらさは、きょうだいを亡くしたことのないママには
わかってあげげれない。

きょうだいを失って泣いているパパとママを見てきた娘。
なんで泣いているのか悲しんでいるのかさえも理解できなかった年齢だった。

娘には、娘の悲しみがあったんだろうなって思う。


小さい頃には、将君がいたことをお友達に普通に話していたのに
大学になってからは、話さずにいた。




先日、学校で映像編集の授業があったそうで
去年は、東日本大震災のことをテーマに取り上げた人がいたそうで
そのDVDを借りてきていた。

娘も、テーマを考えなければいけないらしいけれど
思いつくのは、阪神大震災のことだけだと言っている。

それだけ、娘の生活の中に普通に阪神大震災があったんだよね。

先生が、2月のテレビを観たいって言ってくれたから
DVD持っていくって言ってる。

自分から、話したんだね。。。。


よくわからないけれど
家族以外の人と 震災の話をするのって 娘にとってどうなんだろうね。

自分から、負担になっている様子はないので大丈夫かな??
それとも 内面的には、しんどい思いをしていることの表れだったりするのかな?

ママには、言えない色んな想いを話せる場所があるっていいことなんだろうなって思う。

ママには、ママの震災への想いがあり
娘には娘の震災への想いがある。

そして、表現の方法も それぞれあるんだろうね。
2013.04.10 Wed l 優ちゃんへの想い l コメント (2) トラックバック (0) l top
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