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先日、東京&主人の実家に行ってきました。
東京では、仲良しのお友達とお昼ご飯をいただきながら

お互いの活動や震災・事件・事故の遺族のグリーフケア
について語りあいました。


彼女が、10年以上前 悲しい経験をした時から
ずっと、私のサイトを見てくれていたと
話してくれました。

本当に助けられたわと 言ってくれました。

自分が生きるために必死だった頃に
息子の為にと作ったサイトが誰かの役に立っていたことを知り
うれしくなりました。


同じ経験をした人の中では
伝えることができない想いがある。

同じだからこそ 伝えられない。

最初は、一緒だって思ってつながっていても
時間とともに それぞれの歩く速度も歩く方向も変わって来る。

一緒なはずなのに。。。。
そう思うと、違うことがお互いに受け入れられず
関係がぎくしゃくする。

一緒じゃないところでつながっている人なら
話せる気持ちもあるのよね。


今だから、そう言うことがわかるけれど
その当時は、それを知らないから
ぎくしゃくすることに 苦しみ悲しんできたよねって。

振り返るからこそわかることがたくさんある。
それは、それぞれが長い時間を過ごして来たからこそ
わかったことなのよね。

あの時の自分自身に教えてあげたいことがたくさんあります。
あの時の自分自身に今の私自身が寄り添ってあげれたらって
そんな風に思っています。

これからも、きっとつらいこと悲しいことは
新しく生まれて来るんだろうなって思います。

でも、決して一人じゃなくて
私の周りには、それを分かち合える友達がいっぱいいます。

この話は、この人に
あの話は、あの人に。。。。

一人の人にすべてを求めることは
お互いの違う部分が目について
傷つくことも多くなることを
20年間の間に学びました。

私が ずっと前から、興味があって学びたいことは
グリーフケアです。

誰かのためではなく カウンセラーになる為でもなく
自分自身の悲しみを知る為に学びたいなって思っています。


私の居場所 私がほっとできる場所は
阪神大震災を経験した人の中で生きることであることを
改めて感じました。

阪神大震災を受け入れてもらえないところで
必死に、わかってよと伝えることは
本当につらいことですし 心がめげます。

でも、神戸では、多くを語らなくても
わかり合えるということにほっとします。

他地域からみれば、20年も前の昔のこと
過去のことには興味もないと言われてしまうことは
すごく悲しいけれど
それは、私が、被災者だから。

被災してない人にとっては
あんなに大きな災害で あんなに忘れない
と言っていたのに 時間とともにただの過去の出来事になって行く。

それは、特別ではなく普通のことなんだと思います。

だって、私だって 過去の災害や事件や事故
そして、戦争は、ただの過去の出来事としてしか
受け止めてこなかったから。


東日本大震災が起こってから
メディアは、阪神大震災と東日本大震災をつなげたかがってきました。

神戸の人は、あの日を知っているから
あの日の自分の経験を思い出し
自分にできることをとたくさんの方が色んなことをしてこられました。

私の周りの震災の遺族の人たちも
あの日のことを思い出し心を痛めていました。

寄付やボランティアなど目に見えることは
できるでけのことをしたいけれど
家族を失った方達には、何もできないでいる。

悲しみの中にあったあの日の自分が
直後には、どんな人のどんな言葉や行動にも
耳を傾けることができないほど
気持ち的に余裕がない状況だったから

今、無理矢理心をこじ開けるようなことをすることが
よけいに傷付けてしまうことになると思っていた。

でも、だからといって 何もしないことを平気でいられる訳でもなく
何もできないことにさえ 苦しんでいた。

いつかいつか
つらい経験をした人たちが
他の人は、何故、つらい経験をしながらも生きているのか
それには、どうすれば生きられるのかを知りたいと思った時に

悲しみの中で生きて来た一つの事例として
伝えることができればと思いました。

みんな、その時には、いつでも
自分達の経験を話したいと。。。。。


1995年は、まだ、パソコンも普及しておらず
インターネットもほとんどできませんでした。

ホームページもブログもSNSもない時代。

心のケアという言葉も、グリーフケアという言葉も
PTSD という言葉も 一般的でなく

大切な人を失っても
早く忘れなさい、それが 元気になる一番の方法だと
言われていた時代です。

そんな中で、大切な人を想い続けていいんだよ
ずっとずっと おもっていていいんだよという
グリーフケアには、本当に救われました。

グリーフケアに対しての色んな考え方がありますが
私にとって 必死に生きようとした時に出会った
たくさんの方々の存在は、神様のようでもありました。

考えかたや感じ方はそれぞれです。

ある人には、合わないことでも
自分には合うこともある。

また、自分には、合わないことでも
人には、合うことがある。

そのことを忘れないでいようと思います。


旅立った大切な人を思って生きている
そのことは、全ての人に共通することなのかなって
思っています。



話がずれてしまいましたが、東京での時間は、
それぞれが、歩いて来たそれぞれの時間を
振り返ることで 想いを共有できたことは
私にとって とても意味のあることでした。

また、近々会いに行って パワーをもらいたいです。
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2014.08.12 Tue l 心のケア l コメント (2) トラックバック (0) l top
今では、誰でも一度は聞いたことあると思う
「心のケア」という言葉。

阪神大震災直後は、そんな言葉も知らなかった(無かった?)私。

この間、資料の整理をしていたら
1993年7月に起こった 奥尻島の津波による
子供たちの心の傷を考えなくてはいけないという資料を見つけた。

1年半後に起こった 阪神大震災の時に
知り合いのお医者さんに配られたものを
1年ぐらい経ったころ 母が受け取り私に渡してくれた。


それを見た時に
初めて、自分の心の状態を知った。

全く同じではないけれど
書いてある事のいくつかに思い当たることがあった。

当時、亡くなった子供の事を早く忘れて
前を向いて歩かなきゃと いう考え方が
世間一般の考え方だったような気がする。


そんな中、たとえ外国の資料を参考した物であっても
亡くなった子供の事を想い続けてもいいよという言葉に
私は助けられていた。

「悲しみのプロセス」というものを知って
なんだか、ほっとしたのを思い出す。

同じ経験をした人たちの集まりに行くことに
傷をなめ合うことをして何の意味があるのかと言った主人。

ある日、テレビで「サバイバーズ・ギルト」の事を特集していた。
それを見ていた、主人が言った。

『そんなのがあるなら もっと早く言ってよね』と。

それだけの言葉だけれど、
主人が、いろんなことに苦しんできたことを
知った。

大切な人を失った心について
もっと早く知っていれば 自分ではよくわからない
混乱した気持ちをもっと早く受け止めることができたかもしれない。

わけのわからない感情によって
苦しむ時間が少なく済んだかもしれないと思った。

今では、心のケアやフラッシュバック PTSDなど
悲しい経験をしていない人でも
知っている人が多くなった。

大切な人を突然失った苦しみを
周りの人に 理解してもらうことができたら
もっと、早く 一歩を進むことができたかもしれない。


私の周りには
私の想いを理解しようとしてくれていた人がたくさんいてくれた。
将君の事を大切にしてくれた人がたくさんいて
私の想いを受け止めてくれた。


だから、今、悲しみをねじ曲げずに
素直に受け止めて 
生きていくことができるようになったのかもしれないと思う。
2014.06.03 Tue l 心のケア l コメント (0) トラックバック (0) l top
昨日は、月命日だった。

どれだけの人が、それを意識てくれたんだろうね…
深く考えると しんどくなるから
そんなこと もうどうでもいいって 思うようにしてる私(笑)


阪神大震災から18年と8か月過ぎた。

そして、東日本大震災から 2年と半年が過ぎた。


神戸でも 東日本だ震災の復興についてを考える人たちがいる


「復興」

その言葉を聞くと 心がざわざわしてくる


阪神大震災のころも
そんな風に「復興」に向かって動いていた時があった。

神戸以外では、震災?もういいんじゃないの?
区切りのある時 何かあった時しか
ニュースで取り上げられなくなっていた

当時、山口に住んでいた私は
震災の記事を探していたけれど
ほとんど見ることはなくなっていた。


神戸の街は、「復興」に向けて
頑張っていたんだろうな


4年後、神戸に戻ってきた

「復興」という言葉が、街中にあふれていた

「復興? 将君は復興しないし。。。」
そう思うと 建物や道路 見た目の復興復興と
言っていることに 腹が立っていた


慰霊祭に出れば、街の復興を亡くなった人たちは願っているという
市長さんのあいさつがあった

また、復興かよ。。。

慰霊祭に行っても 腹を立てていたのを思い出す。

「復興」という言葉に ずっとずっと 苦しんできた私。

神戸では、「復興」トいう言葉が聞かれなくなったと思ったら
今度は、東日本大震災の復興・・・・

その言葉を聞いて 辛い想い 苦しい思いをしている人は
一人や二人ではないだろうなって

「復興」という言葉を聞くたびに当時の自分と重ねて 思ってしまう。

18年9か月が過ぎて
遠く離れた 神戸で「被災地の復興」という言葉を聞いて

心が苦しくなっている自分がいたことに
ちょっと ビックリしている。


「復興」という言葉が、トラウマになっていたんだと
改めて 知ったのでした。
2013.09.18 Wed l 心のケア l コメント (0) トラックバック (0) l top
双子の死
今日の新聞で、小学生がお風呂でなくなったという記事を読みました。
そのうち一人は、双子でした。
残された子供は、なくなった子と双子だったのです。

また、双子のうち一人が亡くなりました。



私は将くんを亡くしたときに、
双子のうちの一人を亡くしたのはうちぐらいじゃないかと、
すごく孤独感がありました。


でも、ネットをはじめて、たくさんの双子の死を知りました。
びっくりしています。

阪神大震災の時までも、
たくさんの双子の一人を亡くされた方が
いらっしゃったのではないかと思います。


双子の妊娠/出産について、
最近ではたくさんの本が出たりしています。

不妊治療が増えて、双子も増えてきたのでしょう。

それに伴って、双子の死と言うのも、
増えているんじゃないかと思っています。

でも、それをケアする場所がありません。

双子の死をケアするそんな何かがあったらいいのになと思う今日この頃です。

誰か、作ってください。
特に双子のサークルの中でも何かあればいいのにな・・・。
2013.06.01 Sat l 心のケア l コメント (0) トラックバック (0) l top
昨日は、JR福知山線事故が起こった日でした。
あの日から、8年。

あの時の状況をテレビで見て
ただただ、震えていたのを思い出します。

家族を失った方がテレビでインタビューを受けているのを聞いて
将君を失ったころの自分の想いがよみがえり

また、私と同年代の女性が、犠牲になったのを知り
その方の家族のこと 子どもさんのことを想い
自分と重ねて ますます苦しくなりました。

私自身も子どもを送りだして その後事故にあうかもしれない
行ってらっしゃい 遠く出されたママが
次会う時には、亡くなってしまっている・・・・。

そんな状況に置かれてしまう娘のことを考えると
今までは、子どもが死んでしまったらどうしようという思考だけで
日々を生きていましたが

あの事故以来、自分が死んでしまったときに
残すことになる 娘のことを想い 自分の生き方を考えるきっかけになりました。



その頃は、震災を伝えるためにできた施設でで語り部をしていたり
新潟の地震があったりして 心が弱っていた時期でもありました。


日に日に強くなっていく
どうしようもない苦しみをどうにかしたくて
その年の4月1日に開設された
PTSDの治療をするという施設に相談に行きました。

そこから、カウンセリングを受けることになりました。

この苦しい思いをどう自分で処理したらいいのか
言葉にしたくても できない状態。

知り合いにも話せず 日記にも書くことができないほど
心の中が ぐちゃぐちゃでした。

言葉に表現できないほどの混乱した状態でした。

カウンセリングでは、泣きながら色んな事を話しました。
息子を失った悲しみ自体は、消えるわけではないけれど
でも、言葉にできるまでの心の整理は できた気がします。

私にとって、そういう施設で治療を受けることは
誰にも言えない思いを言ってもいい場所 なんでも聞いてもらえる場所

悲しみや苦しみが 消えるわけじゃないけれど
でも、その時だけは、心が軽くなります

心が軽くなると マイナスな思考が 減ります。

一回 治療を受けたからと言って
急激によくなるわけじゃないけれど

でも、苦しくなったらそこに行けばいいという
私にとっては、「お守り」みたいな場所になりました。


この悲しみ苦しみは、将君を助けられなかった自分への罰
それを消したり 逃げたりすることをしてはいけないと思っていた時には

治療を受けることを拒否していました。
「心のケア」という言葉に対しても 親の仇という感じで
強い拒否感を持っていました。

でも、息子のために 娘のために
生きなきゃ 生きていかなきゃと 思えるようになってからは
ときどき襲ってくる自分を消してしまいたいという想いを
本当に、自分を消してしまいそうになる考え方を変えなきゃ
私は、突発的に死を選んでしまうという想いに恐怖を感じるようになりました。

それをどうにかしたいという想いも 心のどこかにありました。
でも、この思いに気が付き それをどうにかしたいと考え始めたのは
そこに通い カウンセリングを受け始めてからです。

そこで初めて、カウンセリングを受けてから
8年。。。。

私は、カウンセリングを受けることを自ら選びました。

通ったり お休みしたり しながら 今があります。
今の私を想うと 私にとって、カウンセリング 複雑性悲嘆の治療を受けたことは
良かったことだと思っています。


18年前 PTSDという言葉もほとんどの人が知らない時代。
亡くなった人を想い続けるということは、いけない
早く忘れて元気になってねと どれだけ言われてきたことでしょう。

でも、そうじゃないんだよと
言ってくれる人たちが増えてきた気がします。


話す人がいる人は、その人に話すことができて幸せです。
でも、誰かに話したいのに 話せる人がいない人は、
誰かに話せたらいいなって思います。

その誰かが、カウンセラーだったり 新聞記者さんだったり
ブログだったり。。。。。

なんだろうなって 思っています。


私は、話す内容によって相手を分けています。

話すことで自分を否定されたくないので
一番、安全な相手を選んでいるのかもしれません


そういう意味では、こうやってブログを書くことは
読んでくださる方が見えない分
ちょっと 危険かな??? 笑


でも、将来の自分のために 書き残そうと思っています。
2013.04.26 Fri l 心のケア l コメント (2) トラックバック (0) l top
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