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しあわせ運べるように  歌詞


この曲は、阪神大震災直後 神戸の小学校の先生が作られました

その後、神戸市では、少しずつ広がって
いろんなところで歌われるようになったそうです

私が、この曲と出会ったのは 震災から5年たったとき
ホームページを通じて知り合った 神戸の人に教えていただきました


その当時、神戸市以外の友達は、この歌を知らなかった人が多かったです
それだけ 地元で歌われていた歌だったんですね

この曲の歌詞
私、長い間 受け入れることができませんでした

♪地震にも負けない強い心を持って
亡くなった方々のために 毎日を大切に生きていこう♪

10年近く経っていても 

♪地震にも負けない強い心を持って
亡くなった方々のために 毎日を大切に生きていこう♪という歌詞のように
思うことは できませんでした。


この歌を聞いて 辛かったです
将君がいれば こんな風に思わずにいられるのに

みんなが、この歌を 心の歌 地震から立ち上がるための歌として
歌っていることに対しても 反感を持ったりしていたのかもしれません


自分の心は、復興とは ほど遠い
一生、復興なんてないんだって 思っていたので

時間とともに 被害の違いによって
苦しみや悲しみに格差ができていっている現実が

苦しかったです


いつまでも 引きずっている私に対して

いつまでも思っていると かわいそうだよ
残された優ちゃんのことをちゃんと思ってあげなきゃ


そんな言葉、何度聞いたことでしょう

わかっていても どうすることもできない想いを
理解してもらえない想いを持って生きるのはしんどかったです




あるとき、ホームページを通じて この曲の楽譜を手に入れたいと
いうお願いメールがあって

知り合いの記者の方にお願いして
作られた 臼井先生に 自分の想いと楽譜がほしいという
連絡をさせていただきました

その時は、地震から9年たっていました
「ゆうへ」という本を出したころで

悲しみから 必死で前を向いて歩いて行こう
行かなきゃと 自分に言い聞かせて 必死に頑張ろうとしていた時期です


その時、臼井先生に送ったお手紙に
「しあわせ運べるように」を聞いて 
その歌を受け入れることができなかったという想いを書きました


今、思うと失礼なお手紙だったと思います。


でも、この歌を聞いてつらいと思っている人がいることも知ってほしかったのです


その後、いろんなところで先生とお会いする機会をいただきました


先生が、震災13年を前に 「しあわせ運べるように」の歌に関する取材を受けられた時に
私のその時のお手紙のことを話してくださったようで
テレビ局の方から 連絡がありました

先生は、私のあの時の想いを きちんと受け止めてくださっていて
あのお手紙を今でも大切に持っていてくださっているとのこと

私の想いも聞かせてもらえませんかという依頼の電話でもありました


その頃の私は、必死で前を向いて歩こうとしていた時期で
「震災」を受け入れない時期でした

震災にかかわること見聞きするだけで
強い拒否感を覚えて ドキドキしてしまう時期でした


それまでしていた 語り部もやめ
震災関連のお手伝いもやめ

そして、取材もすべて断っていました


そんな時期に 連絡があり取材の依頼


ずいぶん、悩みました


でも、私がやっと見つけた 将君との居場所
将くんのホームページを作って 将くんママとして生きる場所を見つけた時に出会った

「しあわせ運べるように」の歌

今、あの時 必死で送ったお手紙を 大切にしてくださっていて
その時のことについての 想いを聞かせてほしいという依頼


あの時の先生との出会いを大切にしたいと思って
取材を受けることにしました


先生とも再会し
先生の教え子の皆さんにもお会いして
先生の指揮のもとで 先生が想いをこめて指導された子供たちの歌を聞かせていただきました


私一人のために歌っていただいた
贅沢な しあわせ運べるように でした


先生は、子供たちに たくさんの想いを伝えながら
この歌を指導されていました

この歌の根本にあるのは、亡くなった人への想い
家族を失った人が 歌っているのを聞いた時に
いい加減に歌ったり ふざけながら歌っている様子を見たらどう思うか

亡くなった人への想いを込めて 歌おうって

もちろん、遺族の想いは 100%想像できないと思いますが
でも、あの日のことを あの日あったことを 大切にしたい
そういう想いをこめて 指導されていました


私自身も
それまでに、歌詞については 拒否感もなくなっていました

それは、
歌詞に書かれた言葉を理解できるようになったわけではなく
あの頃のように 言葉の一つ一つに敏感に反応しなくなっただけで
チョット、ひっかかることはあるとしても
上手に流せるようになっただけなんですが・・・

これは、すべてのことに言えることです



みんなが歌ってくれる前に
少しだけだけど 将君のお話をしました


取材ではない 時間を子供たちと作りたいと
カメラには撮ってほしくない というお願いを

テレビ局の方にお願いしました

段取りをしてくださったのに あまりにも厚かましい
わがままな私の想いを 聞いてくださいました


あの場所にいた人にしか あの時のことは
記憶にないけれど

そして、そのわがままを聞いてくださった方も
もう いないけれど・・・・・


あの時の時間は、私にとってとても大切な時間として
心に残っています







今では、追悼行事などでは必ずと言っていいほど
うたわれます

ルミナリエの開催式などでも 神戸マラソンの前にも
黙とうの後に 歌われました



今では、新潟やインドネシア そして 東北でも歌われていたりするので
聞いたこともあるかもしれません


いつも思うのは
この歌を聞いて 元気が出る人たちはたくさんいるかもしれないけれど

あの時の私のように この歌を聞いて 受け入れらえず
そんな自分が いけないんじゃないかと 思う人がいたら辛いなってこと


東日本大震災後 臼井先生のところに
東北の学校から この歌を直接 指導してほしいという依頼があり
学校に行った時の様子が テレビで流れていました

その中に、お母さんを津波で失った女の子がいました

その子は、この歌を歌えませんでした

歌の歌詞のように思えないと 先生に話していました


先生は、その子に話していました

神戸でも この歌を聞いて 受け入れられなかった人がいた
だから、受け入れられなくてもいいんだよって



しあわせ運べるように

今までは、色んな歌手の方がカバーした曲のCDが
販売されていましたが 先生のオリジナルのCDは、販売されていませんでした

理由は、この歌でお金を儲けるという気持ちにはならなかったから
だから、著作権についても とっていなかったそうです


でも、去年の春、CD本になって 発売されました
先生の手記とセットされています


このお話がきたときに 迷ったそうですが
売り上げが、東北支援に使われるということだったので

お話を受けたそうです



阪神大震災を経験した神戸

東日本大震災が起こり あの時の自分を思い出しました
辛い思いだけではなく
あの時に、たくさんの人に助けてもらったことも。。。


何ができるんだろう どうすればいいんだろう?
そんな思いを持った人は 神戸にもたくさんいました



もう少しで、あの日から 2年
私の周りの知り合いも それぞれの想いを持って
たくさん東北に行きます

それが、東北の人たちにとって
求められていることで 迷惑にならなけないことであったらいいな

それだけを願います



家族失った人たちとそうでない人たちの想いは違うので
すべての人たちに 迷惑にならないことはないかもしれないけれど

3月11日に東北に行くということは 東北の人たちのためであって
神戸の人たちの自己満足に終わることないことだけを願います


3月11日 その日は、
私も私なりに できることをしたいなって思います



書きたかったこと 最初と変わってしまった気がする(^_^;)


でも、しあわせ運べるように と 臼井先生との出会いは
記録に残しておきたかったので 書けて良かった
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2013.02.15 Fri l 感謝の想い l コメント (0) トラックバック (0) l top
今日は、年末から取材を受けていた番組が
放送されました

1月の中ごろ取材は終わっていたけれど
放送があるまでは なんとなく落ち着かない

今日、放送があり
いろんな方から連絡があり

それも、ある程度落ち着きました


夜、久しぶりに主人と飲みに行きました

いつも飲みに行くメンバーに
「飲みに来てるよ よかったら一緒に飲まない?」
ってメールしました


で 6人で飲みました
テレビの取材を一緒に受けてくれたメンバーです


いろんな話をしました
取材についての話題だけじゃなく 日常の話題


その「普通」な時間に ほっとしました



今の私の日常
子どもを亡くした親としてではなく
そういうことをわざわざ言わなくてもいいつながり

将君のことを言わない時間の中で過ごしてきました

将君のことは伝えたい
でも、私の日常は そのことを言わない日常


少し矛盾しているかもしれないけれど

そのことに気を使われず 気を使わず
普通でいられる時間が 私は楽


ジムでの友達
その友達が 今、一番自分らしくいられる


将君への想いを今回のテレビで 十分知ってもらえた

もうそれだけで十分

それ以上のことは望んでいない

いつものように 普通にジムであって
日常のいろんなことで笑って騒いで。。。

そんな普通の時間を過ごしている
それが今の私・・・


みんなの存在に感謝です
2013.02.12 Tue l 感謝の想い l コメント (0) トラックバック (0) l top
テレビの放送終わりました

たくさんの方がホームページ ブログを見ていただき
メッセージもいただきました


今お電話があったのは
同級生のお母さん

その同級生は 20代前半で亡くなっています

同窓会をして そのお母さんと初めてお話をしました

それ以来 年賀状などでご挨拶させていただいています


番組を見たという お電話をいただきました

子どもを亡くさないと分からない想いがある
よくいつまでも引きずってはと言われるけれど
思わない日はないのよね

子どもを亡くすという経験をしないと
わからない想いがあるのよねと

おっしゃる言葉は、いろんな思いで過ごしてこられたという
重みを感じる言葉に感じました

その方が、おっしゃいました
うちの子は、20代前半だったけれど
あなたは、まだ小さい時だった

私にはわからない悲しみを持って過ごしてこられたんでしょうねと


生きた時間が長ければ長いほど 思い出があり
それがつらさにつながる


でも、少なければ少ないほど
その思い出の少なさがつらさにつながる


自分とは違う状況の人の辛さを思いやることができるようになるには
きっと 時間が必要なんだと思う


その時間は、Timeという時間ではなく
その時間によって いろんなことを感じることができる
そういう意味での時間です


落ちついた言葉で 話してくださった
80歳になる方の想いが
私の心を 暖かくしてくれました


同窓会をしなければ
お話をすることがなかった方

頑張ってくることで 出会うことができた方々
その出会いに たくさんたくさん感謝です
2013.02.11 Mon l 感謝の想い l コメント (0) トラックバック (0) l top
街で 幼稚園ぐらいの女の子とお母さんを見かけると
胸が チクンと痛くなります


将君を失った悲しみが大きく
優ちゃんの成長が受け入れられなかった

ママの心は、将くんを失った悲しみでいっぱいだった


幼稚園に行きはじめ
おけいこに行くときに手をつないで歩いた道

それは、優ちゃんとの時間を楽しむ時間でもあった

大人になって見ることをしなくなっていた
道端の草花・・・・

優ちゃんと歩いていると
道端の小さいお花にも目が行き

落ち葉でさえも きれいと感じることができた



女の子とお母さんが 楽しそうに歩いているのを見ると
その時の自分を思い出して 切なくなる


つらいことがなく 子どもと過ごすことができる
お母さんが うらやましい

純粋に子育てを楽しむことができるお母さんがうらやましい

そんな思いもあるのかもしれない


昔に日記を読んでいると 優ちゃんとの会話が残されていた

***********************************
2001年4月12日

今日、ゆうちゃんが、『ママ、将君のことを話してもいいの?』と聞いてきた。『いいよ、どうして?』と聞き返してみると、『将君のことを話すと、ママが悲しむと思って話さないの』と、答えてくれた。

この言葉にも私は、びっくりした。1歳半の時に震災に遭って、極限の精神状態の母親の姿を幼いながらも見つづけてきた中で、ゆうちゃんなりに、そのようにママを見ていたのかな?将くんのいないことを悲しんでいる事を私は隠さずこの6年間過ごしてきた。

口にする事は、確かに「いてくれたらいいね。」と言う内容が多くて、楽しかった事を話すときは少なかったかもしれない。でも、私の口から、将くんの話しをたくさんしてきたし、私なりに、ゆうちゃんが将くんの事を知りたくて聞きたくなったときに聞きやすいように努力してきたつもりです。だからこそ、今、何気なく今日聞いてきてくれたんだと思います。

そんな質問に大げさに反応してもいけないし、かといって知らん顔する事もこれからまた、話してくれなくなりそうで…、ちょうどいい私の受け答えはなんなんだろう。でも、そのとき、私は、その質問に戸惑って、今のように冷静に考えられなかったんだけどね。

一番いいのは、きっと『自然に・・・』なんだろうな。簡単で一番難しい。
きょうだいを亡くした子供達の色んな気持ちを聞いてみたいな…。今私に出来ることは、ゆうちゃんのことを、すごくすごく愛している事を伝える事かな。

***************************************

最近、優ちゃんが 将君に会いたいって
よく口にするようになった

『将君 かっこいいと思うよ 優しくて 私の言うこといっぱい聞いてくれるの
会いたいな~』

優ちゃんは 理想の男性像を将君に重ねてる


『絶対に会えないの?』って 聞かれるけれど
(もちろん、本人は、会えないと分かっている)

『ママも、会いたいよ』と答えるしかない


今、思うのは 今の私の状態で
もう一度、優ちゃんとの時間を楽しみたいなってこと

存在してくれていること
もっともっと感謝して 楽しい時間をいっぱい過ごしたいなって思う


昔の日記の中で
今の想いの原点になるものを見つけました


******************************
2001年5月5日①
『 笑顔の向こうに 』

この笑顔の向こうに たくさんの悲しみがあるの

たくさんの笑顔を作っても あの悲しみは癒されない
心の中から消える事がない 大きな悲しみ・…

でも、あなたのと幸せだった日々が
その悲しみの向こうから 私に手を振っている
私は、その幸せだった日々のおかげで 、
今、また笑顔を作ることができる

決して消える事がない大きな悲しみだけど
あのときの幸せな時間が 今の私の心の支えになってくれている
あなたの笑顔を思い出して 今、私は笑顔を作っている

そして、この笑顔があなたに届きますように…

***********************************


震災から6年経った頃に
こんな風に思えるようになっていたんだね


どん底に落ちて そこから 再び歩き出すときに感じたいろんなこと

また、同じ思いの人たちと交流し 聞いた想いの中で
これは・・・と思った言葉

人の優しさに触れて感じた想い
将君のためにと頑張ってきたこと

その時々に 感じたいろんなことの積み重ねが
今の私の想いを作ってきたんだなって
昔の日記を読んで 思いました



想いや事実を書き残すことって
将来の自分のために 大切なんだなって思います




私、将君の死を受け入れられなくて
助けられなかったことを後悔し自分を責め
自分が生きていたことで苦しみ

生きることさえも 罪だと感じて

元気になっていく自分を責め
笑ってはいけない 楽しいことをしてはいけないと
何年も思って生きてきました

死ねたら どんなに楽なんだろうと思い
死ぬための場所を探しさまよったことも何度もあり

ぐちゃぐちゃになって ボロボロになっていた

でも、今の私は 笑っている 毎日を楽しみたいと思っている

こんな風になっていく中で
こんな風になっていく自分を責めたりもした


大切な人を失って泣くことは いけない事じゃない
いつまでも いつまでも 失ったことを悲しむことは
悪いことじゃない

自然な感情・・・・


だって、大切なんだもの
大好きなんだもの

その人に会えなくなってしまったんだもの


あたりまえの感情だと思う



いいよ いっぱい悲しんで泣いて苦しんでいても


大切な人を思う気持ちが
その気持ちが いつかきっと いろんな力を与えてくれると思う


生きるための道を照らしてくれると思う


だから、周りにいる人
すべてを受け入れてあげて

今は、ずっと悲しんでいるかもしれないけれど
その悲しんでいることも受け入れてあげて

そして、失った大切な人のことを
いつまでもいつまでも 覚えてあげていて

忘れないでいてあげて


何年 何十年たっても
忘れないでいてあげて・・・・




子どもを失うこと


子どもを失った 私のおばあちゃんが
私が将君を失ったことを知って電話をかけてきてくれて
自分の経験を話しながら泣いてくれた
60年もたっていたのに・・・


遠い親戚の人
亡くなって 荷物の整理をしていたら
タンスの中から 亡くした子供の遺骨が出てきたって

誰にも言えなかったけれど
その遺骨をずっとずっと持っていたその人の想い


何十年たっても
元気に過ごせるようになっても

失った子供を思う気持ちは 消えない


18年・・・

「もう」ではなくて 「まだ」だと思う


将君を失ったとき まだ、30代前半だった

平均寿命まで 50年ぐらい

50年????????


気が遠くなりそうだった


あれから 18年経った
平均寿命まで 18年近づいた

あと30年ちょっと・・・
頑張れ!!私・・・・笑




今、18年前に亡くした子供を思う私を
受け入れてくれる友達がいる

そのことに 感謝すべきことなんだと思う







昔の日記
たくさんの人の想いが綴られていて
切なくて 悲しくて 感謝して・・・



たくさんの人の想いに感謝です
2013.01.31 Thu l 感謝の想い l コメント (0) トラックバック (0) l top

6434人

阪神大震災で亡くなった方の人数




いつも思う
「6434人」という ひとくくりの『死』で表現されるけれど

6434の一人一人に 心をはせてほしいと。


そして、その一人一人の死を悲しんでいるのは
その何倍 何十倍の人がいるということを・・・・


想像してほしいと思う



被害の大きさにより
それぞれの阪神大震災への思いがあると思う


初めは、子供を失った私に心を寄せてくれていた人も
時間とともに 私が元気になれずにいることに対して
いろんなことを言う人たちがいた

同じように子供を失った人を知っているけど
その人は、頑張って生きている

あなたは、頑張っていないって・・・・


ショックを受けた

そして、頑張れな自分に対して
自分自身で責めた


私は、頑張ることができない人だと・・・

ただでさえ、助けられなかったこと
生き残ったことで自己否定の塊だった私なのに

ますます、自己否定にの渦の中に
入って行った・・・・(>_<)



人と比べることしか 知らなかったあの頃
自分自身の想いが 普通なのか変なのか

そんなことさえ わからなかった


でも、その人には、その人の思いがあり
悲しみ方がある

その人の悲しみは
たとえ同じ経験をした者同士でも すべては分かり合えない

そして、自分自身で自分自身の方法で
受け止めていくしかない


悲しみ続けるという選択も
その人が 大切な人を思うための想いであれば


いろんなことをして 前を向いて歩くという選択も
その人が、大切な人を思うための想いであれば


その人にとって そうすることが
『今』を生きるための 想いであるなら

それでいいと思う


だから、私は、今の自分の想いを大切にしたいと思う
それが、私にとって一番合っている方法だと思うから



そんな風に思えるようになったのは
10年以上たってからだけど


そう思えるようになるまで
本当に しんどかったなって 思う


私の生き方 周りにいた人は
言いたいこといっぱいあっただろうなって思う

それを何も言わずにいてくれたことだけでも
感謝感謝です
2012.12.28 Fri l 感謝の想い l コメント (0) トラックバック (0) l top
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