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来週は、久しぶりに同級生たちと会う。

震災後始めて同級生と会ったのは、震災から10年が過ぎた時だった。

こんな自分をみんなはどんな目で見るんだろう?
子供を失った自分は、同級生の中で存在できるのかな?

そんな不安を抱えてみんなに会いに行った。


でも、そんな不安はどこへやら?
みんなに会った瞬間、〇年前の高校時代に逆戻り

あの子は、どうしてる?
今の自分の生活を話す暇がないぐらい
高校時代の話題に花が咲いた。


あ、私、子供を亡くしてない時代があったんだ
って 初めて気が付いた。

将君が死んでしまったとき、自分の人生はなくなった
そう感じて生きてきた

あるのは、悲しみという世界の中の自分だけ


だから、同級生と会ったとき
非日常の世界である、もう一つの世界ができた気がした。

というか、もう一つの世界があったことに気が付いたのよね。


今の私、ふたつの世界を行ったり来たりしながら
生きている。

最初は、なかなか上手にスイッチを入れかえれなかったけれど
今では、スイッチ一つで世界を変えることができる


プチ同窓会は、14人ほど集まる

私の中でとてもとても楽しい時間。

そんな時間があるから 悲しみの中で生きていられるんだろうなって思う
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2013.08.24 Sat l 父母への想い l コメント (2) トラックバック (0) l top
お盆休みは、主人の実家に行きます。

主人の実家は、関東。
そして、その帰りに、ちょっと足を延ばして
仙台に行こうと思っています。

最初に、そのお友達に会いに仙台まで行ったのは
今年の2月の末でした。

その友達にとって 大切な大切な場所に
案内していただきました。

そこでは、ただただ祈ることしかできませんでした。

大切な場所には、友達の大切なものが、置いてありました。

私には、わかってあげることはできない
たくさんの想いを持って生きている友達。

その友達にとって その場所がどれだけ大切な場所なのか
想像することしかできない私は

その大切な場所に、入らせてもらえたことに対して
ただただ、感謝しました。

友達なりに たくさんの想いをこめて
その大切な場所に大切な空間を作っておられました。

一見、ただおいてあるだけのように見えるけれど
でも、一つ一つに想いがありその場所のあるものだということは
彼女のそれらの物への想いを聞いて想像できました。

大切な人を思う 誰にも侵されたくないその友達の大切な空間・・・
なんだと感じました。


6月、再び彼女に会いに行きました。
そして、その大切な場所に案内してもらいました。

お父さんが植えていらっしゃったというバラが
花を咲かせたと教えてくれました。

たくさんの思いがこもった お花やトウモロコシ
じゃがいもが植えられていました。


あの時に見せていただいた トウモロコシは
大きくなったかしら・・・・

あの時に小さかったひまわりは、大きくなって きっときれいなお花を
咲かせていることでしょうね

たくさん咲いていたお花は、新しい種を作り
来年に向けての準備を始めている頃かしら?



**************************

この間、父のお墓参りに行ってきました。

お掃除をしているときに小さなお花をつけた雑草を見つけました。
そのお花を見て 私がそこに行かない時に
父のそばにいてくれたんだなって思いました。

ありがとうって 思ったら その雑草を抜くことができませんでした。

人から見ると ただの小さなどこにでも生えている雑草かもしれないけれど
私にとっては、父に寄り添ってくれていた大切なお花。

私にとっては、大切なものなのよね。


そして、隣のお墓にたくさんの雑草が生えていました。

お墓には、この間来たのかな?とわかるぐらい
まだ、枯れていないお花が、供えられていました。

雑草が気になったけれど
もしかしたら、あえて抜かないのかもねと話しながら、
そのままにしてきました。

ついつい きれいにしてあげたくなっちゃうけれど
想いは、それぞれなのよね。

たとえ、私には、雑草に見えても
その方には、想いがあるのかもしれないものね

大切な大切な場所だからこそ、想いはわかってほしいもんね。
2013.08.11 Sun l 父母への想い l コメント (0) トラックバック (0) l top
今日は、宝塚市の花火大会です。

私が、その花火大会に初めて行ったのは、小学校3年生か4年生のころ。

父の勤めていた会社が、宝塚の花火がすぐ目の前に見える場所を
会社の寮として購入した年だった。

その日、会社の人や取引先の方が来られるとのことで
家族でお掃除に行ったと記憶している。

そこは、打ち上げ花火の火の粉が落ちてくる真下ぐらいの場所で
すごくきれいに花火が見えた気がする

その花火大会は、仕事人間だった父と、家族で出かけることもなく
私の記憶に残っている 父との思い出としてのワンシーンです。

その後、何度か宝塚の花火大会に行った。

主人と付き合ったときも、主人を親戚の人に紹介する場として
みんなが集まるそ花火大会を父は選んだ。


私にとって、楽しい思い出のあるその寮は
私たちが、震災後 一時的に避難をさせてもらった場所でもある


花火大会でみんなで食事をしたその場所に
亡くなった将君を寝かせた

その後、移動し お通夜まで過ごした部屋は、
主人を親戚の人に紹介するときに使った部屋だった。


そして、その寮で 将君のお葬式をした。


楽しい思い出が詰まった その場所は、悲しい場所の思い出に上書き保存されてしまった。



震災から数年たった時に
父が、花火大会に誘ってくれた

私は、「その場所は、将君のお葬式をした場所だから辛くて行けない」
と言ったら 父は言った

「いつまでも、そんなんやったら、あかんやろ!」と。

その時の私は、その場所だけは 行けないと 涙が出そうなのをこらえて
父に話した。



そして、父が亡くなった。


ネットで、宝塚花火大会協賛金を募集していた
協賛金を出資した人は、特別のエリアで椅子に座って見ることができるという。

主人に相談して それを見に行くことにした。


辛くて苦しくて ずっと行っていなかった宝塚の花火大会。
ずいぶん、迷ったけれど 父との思い出のある花火大会に行って
父を感じたかったから 頑張っていくことにした。

出資者のエリアは、父の会社の寮の近く。
そこに行くときに その寮の看板が見えた。

父を想い 将君を想い 楽しかった時のことを思い出し
将君のお葬式を思い出した。

ただ、きれいだなって 思うだけの花火大会ではなかったけれど
その場所に頑張ってこれたことを 父は、喜んでくれるかな?って思った





将君を花火大会に連れて行ってあげれなかったこと思うと
辛いけれど、私の目を通して 私の経験を通して

将君にいろんな経験をさせてあげたいなって思った

いつか 将君に会える時が来たら
そのことを話してあげるんだ~(^o^)


あれ以来、花火大会に入っていないけれど
毎年、宝塚の花火大会に行っていた父は、今年も天国でも見ているだろうな
2013.08.07 Wed l 父母への想い l コメント (0) トラックバック (0) l top
今日は、父の誕生日
生きていれば 79歳

突然の父の死
あまりに突然で その現実を受け入れようと
必死だった私

泣いて泣いて泣いて
娘が 恐怖を覚えるぐらい泣いてた私

慟哭…

って あの状況を言うんだろうな


父が亡くなった直後 父の夢を見た
弟に「行くぞ」と言って 玄関を出る夢


その時に感じた

父は、死を受け入れたんだって


父の友達が たくさん来てくれた
そして、父のために泣いてくれた


父の人生 色々あったけれど
きっと、幸せな人生だったんだねって思った


父の死を経験し
悲しみの中で そんなことを考えた私


私が死んだあと
ママの人生は、辛いことがあったけれど
たくさんの友達に囲まれて幸せだったんだろうなって

娘に感じて感じてほしいと思った

そして、そのことを 私を失った悲しみから
歩き出す力にしてほしいと思った


だから、人生を一生懸命に生きていこうと思った

将君を失った悲しみをなくすということではなくね


うまく説明できないけれど
人生を一生懸命に生きようと思った


それは、父が 自分の命と引き換えに
私に教えてくれたこと。

だから、そう感じたことを 大切にして生きていこうと思う

それが、私が父のことを大切にしているということだから



そして、今日は
私の大好きな おじいちゃんの命日でもある


私が小学校1年生の時に天国に旅立った


亡くなる前に 病室に行った
今思うと
おじいちゃんは、自分の死をわかっていたんだろうな

私に最後の言葉を言ってくれた

「女の子だから 優しくいるんだよ」って。

私は、その言葉が ずっと胸に残っていた


小学校や中学校のとき
帰りの掃除のときに みんな帰ってしまって
私一人が掃除をしなければいけなくなったことがあった

なんで 私一人なの?って 腹が立ったりしたけれど

誰もいない教室で一人掃除をしながら
おじいちゃんが、天国で見てくれている

誰も私が一人で掃除をしていることを知らなくても
おじいちゃんが 知ってくれていて
偉いねって 頭をヨシヨシしてくれているはず

そう思っていた


おじいちゃんは、ずっとずっと
私のそばにいてくれる そんな風に感じて育ってきた


おじいちゃんが最後に言ってくれた
「優しい子になりなさい」

そんな風にこれからも生きていたいなって思う


そして、娘にも優しい子になってほしいと思う



6月30日

私にとって 大切な大切な日です
2013.06.30 Sun l 父母への想い l コメント (0) トラックバック (0) l top
~父の日に思う~


お昼を食べたら なんだか眠くなって
横になった時に

遠い昔の子供のころのことを思い出しました。

おばあちゃんの家は古い家(地震で壊れた家)
夏休み そこに、蚊帳をつってくれて
おばあちゃんとよくお昼寝をしたっけ。

お庭が見える広いお部屋が
その家で一番風通しが良くて

お昼寝をするときはいつもその部屋だった。
おばあちゃんが、うちわであおいでくれて

眠くないと言っているのに
寝なきゃダメと言われて。。。。

そんなおばあちゃんも年を取って
認知症になり 三田の施設に入りました。

地震の前の日に子供たちを連れて
おばあちゃんに会いに行きました。

遠くに住んでいた私たちは
次はいつ会えるんだろう?

子供たちと会うのは、もしかしてこれが最後になってしまうのかな?
この時間を大切にしなきゃ そんな風に思いました。

そして、次の日 阪神大震災。
そして、息子が天国へ

息子には「次」は、なくなってしまいました。

あんな風に思わなければよかったと
どれだけ後悔したことでしょう。

震災後、1年ちょっと経って
おばあちゃんの容体が悪くなって
意識がなくなったまま 7か月入院しました。

私は、悲しみの中 いろんな思いもあり
おばあちゃんに会う事ができないでいました。

そして、おばあちゃんが 亡くなったという連絡。

あれから 心の奥に 会いに行かなかった自責の想いを
抱えたまま それを自分の中で否定して生きてきました。

今日、遠い昔のことを想いだし
おばあちゃんのことを想いだし
あの時のことを想いだし

その自責の想いが出てきました。
会いに行けばよかったと。。。。。

孫の中で私だけが 女の子。
きっと、すごくかわいがってくれていたんだろうなって思います。

それなのに 母に対していつも厳しかったおばあちゃんに対して
たくさん腹を立てて いろんなきついことをいっぱい言ってしまった。

幼稚園のころから 隣に住んでいたおばあちゃんとの思い出が
自分が思っていた以上に たくさんあることに
今頃気が付きました。

父は、子供のころに お父さんを亡くして
おばあちゃんが、女で一つで 二人の子供たちを
大学に行かせた。

父は、そんなおばあちゃんにたくさん感謝していた。
おばあちゃんを とても大切にしていた。

仕事が忙しくて 父と遊んだ思い出は
あまりないけれど 父の考え方や生き方を
私は、誇りに思っています。

今日は、父の日
特別に何も用意していないけれど

息子を失って悲しんでいる私を
すごく心配していた。

親として泣いている娘を見るのが辛かったんだろうなって思う。

前を向いて生きろと よく言われていた。

父がいるころは、まだまだ、そこまで元気になれていなかったけれど
今なら、少しだけ胸を張って
頑張って生きてるよって 言える。

人生を楽しもうと頑張って生きている私が
父の日の父へのプレゼント。
2013.06.16 Sun l 父母への想い l コメント (0) トラックバック (0) l top
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