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明日は、娘の取材 再び~♪

直後のこと
娘と一緒に死のうと思っていた時のこと
そして、実際に行動を起こさなかった思いを
話そうと思う。

その時は、必死で生きていて
自分を客観的にみる余裕もなかった。


というか 「現在」を客観的にみることは
普段しないのかな???

客観的に見えてくるのは
時間が経って 『今の自分』が『あの時の自分』を
振り返ったときなのかもしれないね。

『遺族』である自分の立場と
そうでない人たちの間に大きな壁があると
ずっとずっと 思っていた。

ある日、そのことを友達に話したことがあった
「みんなが、『子供を亡くした私』に近づくことを避けてる。
みんなが壁を作っているから私は、みんなとのあいだに距離を感じる」と。

それを聞いていた友達が言ってくれた。
「壁を作っているのは、みんなじゃなく、あなただよ」

衝撃だったな、その子の言葉。

「そんなわけない」って思った。
私は、自分の気持ちを聞いてほしいと思っているのにみんなが、その話をすることを避けてる」って。


でも、「子供を亡くした私」という殻で身を固めていた私。
周りから見たら その殻が 大きな壁だと感じたんだろうね。

何か話しかけたくても
その殻の中で怖い顔して警戒して世の中を斜めに見ていた私に
声はかけれなかったんだろうなって。

それが、悪いことだというのではなく
子供を失うことは、そういう気持ちにしてしまうほど
苦しくつらいものだということなんだけれどね。

あの時の私自信を客観的にみることができなかったから
そんなことない!って 周りが私のことをわかってくれないからだと
思ったりしてた。

そのことが、壁をどんどん高くしていたのかもしれないね。

自分が作った壁なのか、相手が作った壁なのか
それは、どちらでもいいんだけれど

私は、その壁を一生超えることはできない。
壁の向こうの世界には、絶対に行けないと思っていた。

子供を亡くすということは
経験した人でしかわからないからと。。。。


でも、ある日、その壁を越えたと思う時が来た。

それは、9年前に同窓会をしたとき。
自分の人生は、子供を亡くした人生。
それ以前の人生は、私の中でどうでもいい時間だった。

私の中で完全に消えてしまったし
思い出すことさえも自分が意識しないところで
拒否していたと思う。

でも、同窓会をしたときに
子供を亡くしてない人生が自分にあることを思い出した。
そして、その高校時代を懐かしく思える感覚が生まれてきた。

子供を亡くしていない人生を思い出し
同級生と楽しく過ごそうと思えたときに

一生超えることができないと思っていた
大きな壁を簡単に飛び越えたって思えた。

あまりにも、自然にあっけなく
その壁を越えてしまったことに 軽いショックを受けながらも
同級生との楽しい時間を過ごしている私がいた。

それからかな?
震災にかかわることができなくなったのは。

震災という文字や震災にかかわることが
私にとってつらいことになってしまった。

その当時、人と防災未来センターで語り部のボランティアをしていた。
その施設に近づくと 心臓がドキドキして つらくなってしまう。

わぁ~と叫んで 頭から消したくなってしまう。
息子のことを考える時には そんな風には感じなかった。

でも、「震災」や震災のことを話す取材に対しては
強い拒否感があって しんどかった。




当時通っていた、カウンセリングの先生に
そのことを話した。

先生は、離れていいんじゃないですか?
と言ってくれた。

その言葉を聞いて 離れてもいいんだって 楽になった。

語り部をやめて 震災に関するいろんなことから離れた。
講演も取材もすべて断った。

その時のことを分析してみると
あの時の私は、同窓会をすることで
「普通」の生活をしたいと思うようになっていたのかな?

前に進まなきゃって強く思っていたのだと思う。
だから、その気持ちを後ろに引っ張る 邪魔をする「震災」のことに対して
拒否感を持ったのかもしれない。

何度も言うけれど 息子のことは拒否感を感じなかった。


そんな私が、再び取材を受けるきっかけになったのは
「笑顔の向こうに」を作詞してくださった 臼井先生とのつながりだった。


某テレビ局の方が、臼井先生が作られた
しあわせ運べるように の取材をされていた。

その取材の中で、臼井先生が、私との出会いのことを
話してくださったようで
テレビ局の方から、取材をさせてくださいと連絡があった。

すべての取材を断っていたので
お断りをするつもりだったけれど
私が、必死で生きる道を探していた時に出会った臼井先生。

その先生との出会いについての取材を
断っていはいけない気がした。

断ることで、私が必死で生きてきた時間を
否定するようなそんな気がしたから。

そして、取材を受けることにした。

そこから、いろんなこと いろんな人との出会いがあり
今の私を作ることになった。

あの時に、取材を受けていなかったら
臼井先生とのつながりもあの時で終わっていて
きっと、この「笑顔の向こうに」の歌は、生まれなかったと思う。

人との出会いは、その時は、何気ないものだけれど
後になって あの時の出会いがなければ 今の私はいなかったかも
という出会いになる可能性がある。

同じ経験をしていなくても
人はつながっていられる。

自分と同じ経験をした人 同じ思いをした人を探していたあのころの私。

一緒じゃない人を否定して 一緒じゃないことで
壁を作ってきたあの頃の私。

一緒じゃない人 違う思いの人と出会ったとき
そんな感じ方考え方があるんだよね。

それぞれなんだよねって
相手を受け入れることができるようになった今の私。


震災から20年という時間は
人の気持ちを変えることができる時間なんだろうなって思う。

そして、子供を思う気持ちは、変わらない時間でもあるんだって。


こんなことを明日、話せたらいいな、って
たぶん 明日になったら忘れてしまって話せないかも。

これ印刷して 忘れないように手元においておこう(笑)
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2014.09.06 Sat l 阪神大震災への想い l コメント (2) トラックバック (0) l top
今から10年以上前
某新聞社の取材を受けました。
息子のホームページを作ったと事についてでした。

そしてそれが記事になった後
その新聞社の方から連絡がありました。

読者の方から、あなたと連絡を取りたいという方がいる。
その方は、阪神大震災でお子さんをなくされた方です。
連絡先を伝えてもいいでしょうか?ということでした。

まだまだ、今ほど個人情報保護について
そんなに問題になっていなかった頃でしたので
いいですよ〜って お伝えしました。

そして、その方から連絡が来ました。

震災で成人した息子さんを亡くした。
自分は、足が悪くて自分で自由に外出できない
また、年を取っているのでインターネットができない。
他の人のように、震災で子供を亡くした人の集まりにも行けないし
あなた達のように、ネットでの交流もできない。

新聞であなたの記事を読んだ時に
あ、私と同じ思いで生きている人がいるんだって
すごく嬉しかったです。
この人と話してみたいと思って
連絡させてもらいましたと。


その後、2度程お電話をいただきましたが
最後の電話が、咳き込まれて 今日はもう切りますと
おっしゃって電話を切りました。

それから、連絡がないまま、何年かの時間が過ぎました。

その後、私は遺族の方たちが集まる会に参加しました。
そして、ある日、新しい方が仲間になりました。

その方のお話を聞いていると
あの時の電話の方に状況が似ていましたが、
その方とゆっくりお話しする機会がないまま
何年かが過ぎました。

そして、2011年
東日本大震災が起こりました。

その年、東北へのメッセージを送るという
某テレビ局の企画の取材を受けました。

1分の映像を作り
CMのように、定期的に流すという物でした。

東北へのメッセージを送る事に
かなり抵抗感がありました。

だって、震災で家族の方をなくした方々にとって
17年近く経った私の思いを届けたとしても
その方々の心に響き、力になるとは思わなかったから。

それだけ、心が傷ついている方々に
頑張れ的なメッセージを送る事が
余計に心を傷付けてしまうと思ったから。

でも、色んな条件を出し 内容も何度も話合い
その時だけでなく、私達の思いを受け入れる事ができるようになるまで
10年20年の区切りの時だけでもいいので
将来的にも流してくれるのであればと
取材を受けました。

その時にもう一人の方が取材を受けました。
弟さんをなくされた方です。

その方とは、一緒に取材を受けたというつながりで出会い
交流するようになりました。

ネットで公開された映像と私達の背景を読む中で
「あれ?どこかで聞いた事のある話だな」って思いました。

それが、10年程前に新聞を見て
私に連絡をくださった方のお話だったのです。

もしかして?と思い 聞いてみました。

そうすると、私に電話してくださった方は
その方のお母さんでした。

その偶然のつながりに嬉しくなった私達は
その後も交流を続けました。

しかし、お互いに色々忙しくなり
連絡をしなくなりました。

その間に、お互いに携帯を変えたりして
連絡がつかなくなってしまいました。


どうしているのかな?と思いつつも
会えずにいました。



それから 2年半ぐらいの時間が過ぎました。

震災関連のワークショップがあるというので
参加しました。

その時に、たまたま同じグループになった方から
「もしかして?○○さん?」と 声をかけていただきました。

それが、あの時の方だったのです。
偶然の再会に お互いとてもビックリしました。

連絡先を交換して またメールでの交流が始まりました。


その方から、今日連絡がありました。
近くまで行く用事があるのでお茶しませんか?と。

2時間弱の時間でしたが
あの時の取材のこと、会わなかった時間の事
そんな事を話しているとあっという間に時間が過ぎました。

また、楽しい事を一緒にしましょうと約束をして
お別れしました。

状況が、全く違う私達で 感じ方も考え方も
違うところがいっぱいある私達ですが

たくさんの想いの中で生きて来て今があるという
その事が、私達をつなげれくれている気がします。

そして、お互いの感じ方生き方を批判するのではなく
そういう生き方もあるとお互いに受け入れています。

久しぶりに 自分を素直に出す事ができた
充実した時間を過ごす事ができました。
2014.07.25 Fri l 阪神大震災への想い l コメント (0) トラックバック (0) l top
来年の1月17日で
阪神大震災から 丸20年が経つ。

私の中で、20年だから何かが変わるかと言えば
他の1月17日と過ごし方は変わらない。

ただ、私の周りが、震災20年に向けて
動き始めている。


毎年、震災〇年と 次の1月17日に向けて何か
イベントはないかな?と 夏前に検索しても
ほとんど何もヒットしないのに

阪神大震災20年と入れて検索すると
たくさんヒットする。

震災20年だから 何かをと思う人たちは
普段、震災に深くかかわっている人も
あまりかかわっていない人もいるみたい。

私は、今いろんなことを頑張っているけれど
それは、震災20年ではなく
我が家の状況が、そうだから・・・・

それが、たまたま、20年と重なっただけ。


色々と気になる事 気になる友達もいるけれど
毎日が忙しくて、気が付けば、いつもこの時間で
なかなか 声をかけてあげることができなくて
ごめんなさい です。
2014.06.25 Wed l 阪神大震災への想い l コメント (0) トラックバック (0) l top
2005年1月17日、震災から10年。
多くの震災記事を目にしました。

改めて家族を失ったたくさんの方たちのこの10年の思いを知りました。
その紙面やテレビから伝えられてくる何百倍何千倍の人達の悲しみや苦しみ・・・・。

それぞれの方達が、
表現することのできない複雑な思いを抱えて生きてこられたことでしょう

慰霊祭や各地で行われる震災関係のイベント、
また、新聞やテレビの報道などで、
よく耳にする『復興』という言葉が、私の心にチクチクと突き刺さります・・・・

あの日、私たちの子供は、短い短い人生を終えました。
もっともっと、色んな事を経験したかったことでしょう、
きょうだいや、友達ともたくさん遊びたかったことでしょう、
恋愛をして家庭を持ち、自分の子供を育てる幸せを感じたかったことでしょう。

それを経験させてやれなかったという親としての苦しみは、
言葉で言い表すことは出来ません。

どんなに街が復興し、震災前の街に戻ったとしても、
私たちの子供は、決して、帰ってくることはないのです。
抱きしめることは出来ないのです、
あの子の暖かさ、あの子の重み、あの子の笑顔を感じることは出来ないのです。

『復興』という言葉を聞くたびに、
あの子がいなくなった現実を再認識させられました。
生きていくために
心の引き出しに詰め込んで鍵をかけていたはずのたくさんの思いが、
私の心をじわりじわりと締め付けます。

震災から11年が過ぎようとしています。
時間が経つにつれ、あの子のことを話すことができなくなりました。

周りの友達とうまく付き合うには、
そのことを言葉にしないで生活すること・・・。
でも、亡くなったとしても私たちの子供であることには、変わりはありません。
元気でいる子供の話をするのと同じように、あの子のことを話したいのです。

いくら笑顔で過ごすことができるようになったとしても、
いくら素敵な出会いに感動できるようになったとしても
、あの時の悲しみは、今でも変わらない・・・
私のあの子との時間は、あの時に止まったまま・・・・。

私にとっての「復興」は、何年たってもやってくることはありません。




今、この心の中を自分でどう整理していいかわからくなっています
今日、2005年1月17日、たくさんの涙を流しました
この10年私を支えてくれたたくさんの人たちへの感謝の想いを
支えにして頑張ってきたはずだったのにね
なんか、今日はその頑張りがききません
しばらく、ゆっくりと悲しみと共に過ごそうと思います

そして、泣いている私に「ママ、大丈夫?」と心配そうに声をかけてくれた
ゆう ちゃんの存在の大切さをしっかりと感じたいと思っています
************************************************************
しょうくん・・・どうしていますか?
あの時、しょうくんを助けられなかったという
自分を責める思いとママが生き残ってしまったという思いが
再び頭を出してきて、ママの心が苦しがっています
助けられなくて、本当にごめんね・・・・・・

今、しょうくんは、どんな生活をしているのでしょうか
ママの笑顔は、しょうくんの心を温かくしているのでしょうか

もう一度、抱きしめて、たくさんたくさん伝えたいことがあります
どんなに離れていても
ママは、しょうくんのことを絶対に忘れないからね
2005年1月17日
2013.11.01 Fri l 阪神大震災への想い l コメント (3) トラックバック (0) l top
今朝の地震は、本当に怖かった。
揺れ自体は、阪神大震災の時に比べたら 全然大したことないんだけど
でも、あの時も、小さい揺れから大きな揺れが突然やってきたことを
体が覚えていて この揺れの次にもっと揺れるんじゃないかと思ったり
あの日のことが フラッシュバックしたりして

心臓が バクバクしていて 手も震えて。。。
今でも、なんか宙に浮いている感じがする。

今日の予定をすべて取りやめて家にいようと思ったけれど
でも、家にいても 余計なことを考えるからと
予定通り 出かけることにした。

行ってみると みんな普通に着ていた、何事もなかったように。

でも、夕方出かけたところでは、みんなが地震の話題をしていた。
私の顔を見るなり 大丈夫だった?と声をかけてくれる人もいた。

すぐに、メールをと 思ったけれど、大変な時だからこそ
メールを控えておいたほうがいいと思って何もしなかったと
行ってくれた人がたくさんいた。

すぐにメールをくれた人。
パニックになっているだろうという時間をあえて避けて
メールをくれた人。

みんなみんな、気にかけてくれていたことがうれしかった。
きっと 連絡をくれていない人も 心配してくれているだろうなって思った


夕方の出先での地震の話題
たくさんの人が言っていた、18年前のことを思いだしたと。
18年もたっているのに あの日のことが鮮明に蘇ってきて
すごくこわかったって。

あの日のことは、普段の生活では あまり考えたり感じたりすることは
ほとんどないけれど、揺れを体験して 体は、しっかりと覚えていたというのが
みんなの感想だった。


あちらこちらで、地震の話題になっていて
そのまま、18年前の震災の話題に移って行った。


地震の話題ができるのは、安心できる半面
今は、その話題をしたくない

みんなが 話しているのが聞こえてきて
泣きそうになった。

その場から 逃げ出したくなったりもした。


でも、深く考えるとしんどくなるので
さらっと流すようにしている。


ネットで、1週間以内に 震度5程度の余震が来るって言っている。
やだな。。。。 家族が、ばらばらの時に地震が来たら。

お出かけからの帰り 震度4だったこともあって
うちの周りは、見た目の被害はない。

色んな人が、普通に歩いていて
普通の日常が そこにあった・・・・・

あの地震、夢だったの??って いう錯覚に陥りそうなぐらい
普通の日常に、落ち着かなく集中力もない自分がへんなんじゃないかと
思ってしまう・
2013.04.13 Sat l 阪神大震災への想い l コメント (0) トラックバック (0) l top
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