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将君へ

将君へのお手紙は、久しぶりだね
ゆうちゃんは、今度の4月から大学生なんだよ
びっくりだよね~

将君も大きくなっているのかな?
それとも まだ小さいままなのかな?

大学生の将君は 想像ができないわ


今日ね、家のお片づけをしていると
将君と優ちゃんのビデオテープが出てきたんだよ

観たい気持ちと観れないという気持ちが
ママの心の中で行ったり来たりしててね


こんなふうに観たいなと思ったのは
初めてだったので もしかしたら将君が
観てほしいと思っているのかななんて
思ったら すごく見たくなっちゃった

随分、迷ったし悩んだけど
優ちゃんと一緒に観たよ

ママが、突然画面に現れた将君の姿
一瞬、固まっちゃった。。。

でも、将君の姿を追っているママがいて
将君ってこんなに小さかったっけと
ちょっと、ショックだった

ちょこちょこ、歩きまわっている小さい将君の姿を見ていると
こんな小さい子が、死んじゃったんだと
ショックを受けちゃった

きっと、ママだけで観てたら
泣いてたかもね。。。。

優ちゃんがそばにいて ママが泣かないか心配しているのが
伝わってきた

映像を見てると二人が とてもかわいくて
懐かしい思いと双子ってこんなに仲良しでいたんだよね
生きていたらどんな兄弟になっていたんだろうって
いろんなこと考えちゃった

将君は、今どんなこと考えているんだろうね

将君 今、どうしていますか?
ママ達のことは、見えていますか?

将君がいなくなってしまって 17年も経ってしまったんだよね
17年だよ,17年。。。。

ちょっと前だと思っていたけれど
冷静に考えると17年の時間ってすごく長いんだよね

将君が死んでしまったとき
こんなに長い時間、将君のいない生活をするとは思っていなかった

将君が、いない人生何って生きられないって
本当に思っていた

でも、ママは、17年間も生きてしまっている

この17年間を振り返ってみたら
ママの17年間には、ずっと将君がいたよ

将君がいない悲しみから
ママを歩かせてくれたのは、将君の言葉だった気がする

もちろん、将君の言葉は 聞こえないけれど
こんなふうに思っているんじゃないかな?って思って
頑張ってきた気がする

優ちゃんを見てると 泣いているママよりも
笑っているママの方が安心するみたいで
それを知ってから 将君にも安心してほしいと思ったから
笑っていようと思えるようになったよ

でも それでも 将君がいない悲しみは
ママの心の中にずっとずっとあって
いつでも会いたいなって思っているんだよ


ビデオの中にいた 小さな小さな将君

あまりにかわいかったので見入ってしまったけれど

あんな小さな将君を一人で天国に行かせてしまったこと
あらためて かわいそうだと思ったよ

ママ、あんなに泣いていたのに
今は、すっかり元気になって 色んなことできるようになってしまった

そのことを考え出すと
また、悲しみの底に落ちてしまうのがわかるから
考えないようにするよ。。。。

その分、ママにできること考えて
頑張って生きていくよ

いつの日にか、将君に会えると信じているから
その時まで頑張るよ

うまく言葉にできないけれど
ビデオ観てよかったよ

将君に会えて 将君との時間を思い出すことができたから

会いたいよ 将君。。。
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2012.02.09 Thu l 将君への想い l コメント (2) トラックバック (0) l top
今、心のケアの治療を受けていて プログラムの中に
できないことを一つずつ克服していくというものがある

最初に 今、できないことをするとしたら
どれぐらい 辛いかを数字で表し
(0~100までで 5単位)

50以下は、辛いけれどできる を基準にした

息子の写真を見る →45
ルミナリエに行く →50
将君がきていた洋服を見る →90
育児日記を見る →90

などなど

項目は、自分で決める

そして、50ぐらいの出来事から挑戦していく

毎週、順に数値の高いのものに挑戦する
それが、毎週の宿題となる

私の最大は、100で 子供たちのビデオを観ること

これは、考えるだけで悲しくなるので絶対にできないと思った
でも、治療中に頑張ろうと 初めは思って治療を始めた

治療が進む中 やっぱりできないと思った

ただ、最近、娘と将君の話をよくしていた
「どんな子だった?」と聞く娘に「こんな子だったよ」という感じで

だから、ビデオは、
その延長線上でいつか優ちゃんと一緒に観ることができるかな?と…
できれば、治療の一環として 頑張って観るというよりも
自然な形で観ることができたらと思った

だから、先週の治療の日に先生にお願いした

「治療前は、絶対に観れないと思ったけれど
今は、いつか観れるようにしたいと思えるようになった

ただ、自然な形で優ちゃんと思い出を語る形で観たいから
治療中にできなくてもいいですか?」と

「先生は、いいですよ そう思えるようになっただけで
頑張ってきたことになりますから」と言ってくださった

心が軽くなった

最近、この治療に加え、東北の子供たちのケアをされている先生に出会った

先生は、「初めての命日や誕生日、季節の行事など
1年間で辛い日は沢山あって それを阪神大震災で大切な人を失った人は
どのようにして過ごしてきたのかを知りたい」とおっしゃった

自分のこの17年間を振り返った
震災から2年間の自分の思いを書いた日記も出てきた

震災後、初めての誕生日
初めての命日を迎える前の想い
その他いろんな想いがそこには書かれていた

自分が、辛い日を過ごすためにしてきたことは
息子のためになること

最初は、お骨用のカバーを刺繍で作った
むすめには、おそろいのバックを作った

誕生日は、同じように震災で子供を亡くした人と話をして
(たまたま、お誕生日が 同じ月だったので)
天国の子供のお誕生日を祝ってあげれるのは
自分しかいない

だから、お誕生日を避けずにお祝いしてあげようと決めた
辛かったけれど、お祝いしなくてもつらいのだから
お祝いをしてあげてよかったと思う

5月人形 クリスマス などなど
1年半しか生きていなかったので
楽しい思いをあまりせてあげれなかったのが辛かった

でも、大好きだった5月人形やクリスマスツリーは
将君が見て 喜んでくれていると信じて 出すことにした

1年間は、毎日、1年前のこの日は・・・と
そんなことを思い出しては ずっと泣いて暮らしていた


1年が過ぎたら 2年前のこの日は・・・と
同じように泣いて暮していた

3年 4年 と経つ中で
そういう風に思い出す日も少しずつ減っていった
とても思い出のある日は、別として
去年までその日が来るのをカウントダウンして泣いていた日も
次の年には 「あ、明日だ。あ、今日だった」というように
その日にこだわることも少しずつ減っていった

そして、気が付いたら「あ、過ぎていた」と思い
ショックを受けたりしてきた

でも、そうやって 少しずつ いろんなことが
思い出となっていった

もちろん、そうなることに対して
自分を責めたり落ち込んだりして 過去の悲しみに引き戻ったりしたけれど
それは、それで よかったのだと思う

過去に戻って悲しみの中に何度も戻ることで
そのたびに、そこから歩き出すいろんな方法を
身につけてこれた気がするから


また、将君との思い出が詰まった辛い場所に行けなかったことについては
最初は、避けていた

絶対にいけないと思っていた
同じように 震災で子供を亡くした友達は
悲しくなったら、子供を連れて行って 死を伝えられた
病院に行って ひたすらそこで泣いていたと言っていた

思い出の場所に行けなかった私が
行けるようになったきっかけは
母の言葉でした

娘の幼稚園の遠足は、将君がいるときに
家族で何回か行った想い出いっぱいの場所でした

1年目は、
いきなり遠足でその場所に行くと
泣いてしまうので、先に家族だけで行って
思い出に浸って泣いてから 遠足の日を迎えました

2年目は、
「将君が その場所に行きたいって 言っているのかもしれないよ」
と母が言ってくれました。その言葉が、私の中にすっと入ってきて

「そうだ、将君が行きたいと思っているなら 辛くても行ってあげよう」
と思ったのでした。

きっと、将君が、私に
「ママ、僕、もう一度ママとそこに行きたかったんだ。
だから、僕がママを底に連れてきたんだよ。
だから、ママ ここに来ることを楽しんで」と言ってくれている
そう思うようにして その時を過ごしてきました。

実際に、将君からそう言われたわけじゃないけれど
その方法が、とても自然で 辛い状況を受け止めることができました

誰の言葉よりも 将君からのメッセージだと思うと
頑張ることができました

その時の母の言葉が
その後 私が、思い出の場所や出来事を受け止めることが
できるようになる きっかけになりました

そうはいっても、思い出のある場所に行くのは
やっぱり辛くて 泣いてしまいました

でも、一歩を踏み出すための 力となっていたことは確かです




今日、家の掃除をしようと押入れの中の整理をしている時に
衣装ケースの中に入った お葬式の時の色んな資料や火葬証明書や
将君を撮ったビデオが出てきました

ずいぶん前にそこにしまったようです
ビデオは、ずっと探していたものでした
ここにあったんだ…

義妹が撮ってくれたものや
がれきの中から拾ったままの 私が撮っていたビデオテープ

火葬証明書と一緒に衝撃を覚えながら
それらを手に取り 呆然とそれらを見ていました

その時、ふと、今、受けている心のケアの治療のことを思い出しました

将君のビデオ、観ることができないと思ったけれど
今なら もしかしたら観れるかな?って思いました


でも、すぐに 「やっぱり無理 できない」と思いました

ただ、このHi8のメディアを
DVDまたは、ブルーレイにダビングしなくちゃ
将来 観たくなった時には、古くて見れなくなってしまう
そう思いました

ダビングについてネットで調べました
たくさんお店はあったけれど、大切なデータが
ミスで消されたらショックなので
信用できるところはと思い、知り合いのテレビ局の方に連絡をしました

調べてくださることになりました
お話しする中で 今の想いを伝えました
すごく観たいけれど 今は観れないかもしれないと

そのやり取りを ちょうど帰ってきたばかりの娘が聞いていました
娘が、どうしたの?と聞くので
一通り、私が、ビデオを観れないことや でも見てみたいことなどを話した所
娘が、「ビデオ観ようっか!」って 言いました

娘のその言葉にびっくりしながらもちょっとうれしくて
その言葉に、私は、すぐに反応し 「観よう!」っと言ってしまいました。

でも、私が、焦っている様子を見て
娘は、「観てもいいし観なくてもいい ママが観たければ観れば?」と言いました

私が泣くのが怖かったのかもしれない。自分自身もちょっと不安だったのかな?

片づけをしていて たまたま出てきたビデオ、そして、その時の状況や娘の言葉。
どうしようと、迷っているときに思いました

『将くんも観てほしいのかな?だから、今観ないといけないかな?
今、観ないと また見る機会がなくなるかな?」って


でも、なかなか 決心ができず、観ようかな?やめようかな?の繰り返し。
私が、娘に観たくない?と聞くと 別に見なくてもいいと・・・

とうとう、娘が、「観たくなければやめれば!」と言いました
でも、そう言われると すごく観たくなります


私は、「観たたいんだけど・・・どうしよう・・・」と何度も繰り返し
一度は、「一緒に観てくれないなら観ない」と観るのをやめようとしました

その時、娘が、「ママ、過去と向き合わないといけないよ!」と冗談っぽく言いました
私は、「あなたも映っているんだから、あなたも過去と向き合わないと!」と答えました。

私は、娘に「一緒じゃないと見れない あなたと一緒に二人の思い出を見たい」そう言いました

娘は、「ずっと一緒に座っては見ないけれど、
出かける準備をしながらだったら見てもいいよ」と言ってくれました:」

その後も、自分との葛藤で折りの中のクマのように
部屋中を行ったり来たりしていた。
そして、意を決して、ラベルが付いてないVHSテープを3本持ってきた。
何が入っているかわからない3本、DVDにダビングするにも一度
中身を確かめなくてはいけないので それを確かめるという理由付けをした
その中に二人の映像があるかどうかも分からなかった。

とりあえず、順番に見ることに。
1本目、おかあさんといっしょのビデオ 2本目 ゴルフのビデオ
3本目、きっと全然違うビデオだと思って再生した。

いきなり将くんが出てきて 固まった。
優ちゃんと「いきなり 出てきたね」と話しながら見ていた。
でも、自分一人だったら 見れなかったと思う。
優ちゃんと二人で見ていると楽しかった。

涙がすごく出てくるかなと思ったけれど出てこなかった。
あまりの衝撃で涙も出なかったのかもしれない。
娘が、ママどう?泣かない?と何度も聞いてきた。
二人の様子をかわいいね~と 笑いながら見ることができた。

娘が、準備為 席を立ったので 一度、ビデオを止めた。
娘が、「一人でもっと見ればいいのに」と言ったので
少し、深呼吸してもう一度、つけた。
むすめもそばにいて一緒に見た。

娘は、私が泣いていないか伺っている様子、
私も泣かないように二人ののかわいいことをいっぱい話した。
途中、涙が出てきそうになった。
映像は、懐かしくてかわいくて笑ってみているんだけど
涙が出てきた。

悲しい気持ちではない気持ち、あまりにも可愛い二人を見て
将君がいてくれたらいいのにという素直な気もち。
娘が、出かけるというので 一度、止めた。

感想・・・思ったより悲しくなかった。娘が一緒だったからだと思う。
やっぱり、幸せだったなと再確認。
今は、しっかりとしているけれど、また、悲しくなってしまうかもしれない。

娘の感想・・・『将くんって本当にいたんだね。ママの妄想の世界の人じゃなかったんだね。
将くんかわいかたね。見てよかったね。』でした。

でも、ちょっと 疲れた

こうやって、ビデオを見ることができたのは、
昨年 10月から PTSDの治療したからだと思うし
この17年間の自分を振り返って来たからだと思う
2012.02.09 Thu l 将君への想い l コメント (1) トラックバック (0) l top
2011年3月11日 東北関東を襲った大地震
地震や津波により 多くの方が被害を受けました

たくさんの方が天国へ旅立ち 今もなお 消息がわからない方々がたくさんいらっしゃいます
一人でも多くの方が無事でいらっしゃることを心から願っています

あの日の自分を想い出し 現在 大切な人を失った人
安否がわからずにいる方のお気持ちを考えると ただただ心が痛みます

辛い辛い想いをされている方々の心に
いつの日にか 小さな光が差し込む日が必ず訪れることを
心からお祈りしています

天国へ旅立たれたすべての方たちの御冥福をお祈りいたします

2011年 3月 18日
2012.02.06 Mon l 将君のホームページ トップページで紹介した想い l コメント (0) トラックバック (0) l top
最近、娘が将君に会いたがっている

一緒に過ごしたことを覚えていないので
私が会いたいという気持ちとはちょっと違う気がするけれど

娘には、娘の中での将君が存在していて
なんていうんだろう 妄想の中での将君っていう感じかな?

話を聞いていると
こんな将君だったら最高とかなり理想化してる

小さいころの写真を見て
「将君、めちゃかわいいから 絶対にかっこいい子になっている。
優しくて草食系で。。。」と
自分の理想の将君を話してくれる

二人で将君がいたらこんな感じかもよと
話している

私は、『絶対に勉強嫌いだから 優ちゃんに宿題写させてって言ってくるわ』とか。。。

そんな日々を送っている中
昨日、
「ママ、仏壇の前に座ったら 将君と会えるかな?
将君の言葉 聞こえるかな?」
と言ってきたので
「わかんない ママは聞こえたことないけど」と話した。

娘は、仏壇の前に座り(普段は、一切座ることはない)
お線香をつけていた

その後、会えたかとか声が聞こえたかとか
私は、一切聞かなかった

きっと、自分の中で色々感じただろうから
私が話しかけることで遮りたくなかったから


ちょっとうれしい出来事だったので
残しておきます
2012.02.02 Thu l 優ちゃんの想い l コメント (0) トラックバック (0) l top
1995年10月に書いた
将くんへの手紙を読んだ

主人とケンカして 死にたくなった時に
書いたらしい

将君の災害弔慰金で買ったパソコン
将君との思い出を綴ろうと思って買ったのに
泣き言やつらい想いをいっぱい書いていた

辛くなったら 死にたくなったら
パソコンに向かって 気持ちを吐き出していた

昨日から 昔の想いを読んでいるけれど
この手紙を読んで、初めて泣いた

あの時の自分に戻っていた

つらいことばかりが書いてあるけれど
この17年間のママの想いだから それも大切にしたいと思った

もっともっと いろんなことを残しておけばよかったと思う

一周忌を前に書いた想い
まだまだ、パニック状態でいる

東日本大震災で家族を失った人も
まだまだ、前を向いて歩こうと思えていないだろうな

一見、頑張って生活しているように見える人もね

ここ何日か、いっぱいいっぱい 辛くて
夜も眠れなくて いろんな想いを こうやって
吐き出している

でも、知ってる
こうやって、吐き出せるってことは
大丈夫ってこと…

東日本大震災が起こっ手からしばらくは
何も書けなかった

パニックになっている時って
気持ちを言葉にできない


カウンセリングもそうだと思う
カウンセリングに行こうと思えた時には
一歩 歩き出せているんだと

悲しみの真っ最中にいるときには
そんなこと考える余裕、まったくないもの


将くんへの手紙
そのうち、入力して載せれたらいいな
2012.02.02 Thu l ママの想い l コメント (0) トラックバック (0) l top
昔 想いを投稿した親の会 ちいさな風の会の資料を
探していたら 以前の日記などが出てきた

投稿用に書いていたもので
文集に投稿したものは、すでにホームページにアップしてあるけれど
今回 出てきたのや 投稿用に整理する前の
日々の想いを綴ったもの

将君への手紙も出てきた

これらを見るのは15年ぶり
かなりしんどいです

でも、残しておかないと。。。

手書きなので 入力しなきゃ
2012.02.01 Wed l ママの想い l コメント (0) トラックバック (0) l top
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