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今日は、父の誕生日でした
生きていれば、78歳

6年前に書いた想い
読み返すと今の私の原点になっている想いが
書かれていた

父の死 とってもとっても悲しいことだったけれど
私の人生に大きな変化を与えてくれた

親ってすごい…
だって 息子が亡くなったときには、こんなふうに思えなかったもの


以下 6年前の想いです


*********************************************

父が遺してくれたもの

2006年06月30日(金) 23時58分



今日は、父の誕生日。。。

生きていれば72歳





私は、父の仏前に手を合わすことは、ほとんどない

それは、息子に対しても同じ。。。。



それは、仏前に座ると つらいとか 向き合うのが怖いとか

そんなことじゃない





座る必要性を感じていないから



私の息子や父への思いは、仏壇の前にすわって向き合わなくても

私自身が、今を生きていて、人生を楽しんで生きようと思ってることが

私が笑顔でいることが、息子や、父への想いの全てであるから・・・



私の笑顔を 息子と父に伝えたい

今はそれだけ・・・・・







お父さんを亡くしたある友達が言っていた

その子も、仏壇に手を合わせないと・・・・



命日に、家族に言われて 立ったまま 手を合わせて怒られたって

でも、その子は。、毎日仕事をする上で、迷った時悩んだときなど、

ずっとお父さんと話をしながら、進めている



けっして、忘れているわけじゃない

みんなよりも 多くお父さんと話してるって。。。。



その子の気持ちがよくわかる







父は、自分の生き方を私たちに見せる事で

私にすごく大きなものを残してくれた
父の生き方そのものが、悲しんでいる私を支えてくれた


父の死を経験して、私は、自分がしっかりと生きようと思えるようになった

しっかりと生きていたいと 心から思っている



私の生き方全てが 娘へのそして、残していく人へのメッセージになると思うから



人生、楽しいことばかりじゃない、

辛いこと、嫌なこと 悲しいこと 生きていたくないこと あるかもしれない



娘には、どんなことがあっても 生き抜いてほしい

自分の人生を楽しんでほしい



あの地震の時に、生きていてよかったって 

思えるような人生を送ってほしい



私は、大切な子供失って とてもとても辛い人生
でも、そんなママでも 人生を楽しんで生きていく 笑って生きていく
笑って生きていけるようになる

そうなるには、辛いこと苦しいこと いっぱいいっぱいあったし
悲しみは、絶対に消えない

でも、とらえ方ひとつで また、前を向いて生きていけるようになれる

それを、子どもを失った悲しみを経験した私が
人生や生き方を通じて 母として、娘に 残して上げれることだと思うから



父が私に残してくれたように・・・・・


決して無理をしているわけじゃなくて、心からそう思っている


そして、震災前の私の人生があったことを思い出させてくれた
友達と笑ってすごすという楽しみを思い出させてくれた

全てのお友達に心から感謝しています



いつもいつも 元気の素をありがとう♪
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2012.06.30 Sat l 父母への想い l コメント (0) トラックバック (0) l top
7年前の父の誕生日に書いたものです

***************************************


今日は、父の誕生日



生きていれば、71歳。。。





脳梗塞で倒れて入院して
そして、退院の前の日が 中学時代 高校時代の同窓会・・・

病院の門限には、ちゃんと帰るという約束で
外出を許してもらった

会場への送り迎えは 私がした

迎えに行ったら 終わる時間のちょっと前
楽しそうにしている父がいた

どうしても2次会に 行きたいとういうので
私は時間をつぶして 約束の時間に2次会の会場に行った

同級生たちの行きつけの小さなスナック

まだ帰りたくないというので
私もそこに同席させてもらった

楽しそうにカラオケを歌っている父
脳梗塞で言葉が不自由だったはずだったのに
ちゃんと歌っていた

あんな父を見たのは 2回目

それでも、病院に帰らなくてはいけない
その思いが強く
無理やり 父を連れて帰った

帰り際に 別の同級生が
そのお店に向っているところに出会った

「もう帰るの?」という 同級生の残念そうな問いかけに
「父は、入院中だから」と 寂しそうに言った父

その5か月後に父は、亡くなった…


私が、同窓会をした後だったら
その時の父の寂しさをわかってあげれたのに

父が亡くなるってわかっていたら
先生にお願いして 最後まで居させてあげたのに

ごめんなさい としか言えない

++++++++


父が亡くなる直前に、父の同窓会の話をした
大学の同窓会の出欠のハガキを私が代理で書いた



そして、カレンダーに日程を書き込んだ


亡くなる直前に、父と話したときに父が言った

「オレは、次回のッ中学校の同窓会の幹事だ、ずっと、仕事で忙しかったから

同窓会を計画したくても、できなかった

退職して時間があるから、そろそろやろうかな・・・・」



父にとって、子供の頃から大学までの友達は

一番心休まる人たちだったのかもしれない



「私にできることはやるから」と伝えた。

父も中学時代の友達と会うのを楽しみにしていた



そして、その後、父は突然、亡くなった

本当に突然・・・に。



せめて同窓会をさせてあげたかった



父のお葬式が、実質、同窓会になった



四十九日には、父の友達に集まってもらった

私の知らない父の思い出・・・・



あの場に父はいなかったけれど、父は、存在していた



当時好きだった人の話を、みんながしているときに

恥ずかしそうに笑っている父のがいた・・・



きっときっと、素敵な仲間だったのだろう

そんな素敵な仲間に出会えた父がうらやましかった



そんな父の死からちょうど1年経った頃に

高校時代の友達と再会した

そして、同窓会をすることになった



私とその友達が幹事・・・

父の同窓会と重ね合わせた



ホームページを作ってそこで交流が始まった

記憶の奥底に消えかかっていた高校時代が

少しずつよみがえってきた



当時仲良しだった友達との再会・・・

震災以来、お互いに色んな思いを抱えながら

連絡が取れなかった友達からメールや手紙をもらった

彼女たちの色んな思いを改めて知った



素直にうれしいと思った



そして、新しい出会いもあった

当時話したことのない同級生

でもずっとずっと昔からの友達みたいに思う



同じ高校で過ごした同じ時間が

こんなにもお互いの距離を短くできるんだと

改めて知った・・・・



人生の折り返し地点に立っている私たち

これからの人生が楽しみになるぐらい素敵な再会



自分の人生が終わったときに

涙してくれる友達との出会いかも知れない

そう思うと、なんかとても暖かいものを感じる



あの時、生きていたから今の幸せを感じられるんだよね

深く考えるとこの幸せが消えてしまうから

今だけは、深く考えないでいようと思う



生きていて良かったと

あれ以来、初めて素直に思えました



そう思えるのも、今、素敵な友達が私の回りに

いっぱいいるからだと思う



何気に過ごしていた高校時代が

何十年後かにこんなに意味のあるものになるとは

思っても見なかった



こんな素敵な学生時代を

ゆうちゃんは、過ごすのだろうなって思うと

やっぱり、うらやましく思う



両親、私、ゆうちゃん・・・・

それぞれの人生がつながっているんだね



夏の同窓会が、到着地点じゃなくて

みんなとの。出発地点だったらいいな







しょうくん・・・

しょうくんに、こんな素敵な人生をすごさせてあげれなかったこと

どう考えてもつらいです



ママは、どうしたらいいんだろう

どうするべきなんだろう



いくら考えても、答えは出てきません



この10年半生きてきて感じたこと



それは、しょうくんは、いつまでたってもママにとって

大切な子供であるということ



きっと、ママの笑顔が、しょうくんとつながっているよね



きっときっと、しょうくんもしあわせだよね

ただただそれだけを信じていたい・・・



今日、頼んでいた、さくらんぼが届きました

おじいちゃんの仏壇にお供えしました



おじいちゃんのおひざにのって

きっと一緒にさくらんぼを食べているかなって

勝手に想像しています



今日の日記、思いがまとまらなくて

ただただ、言葉を並べただけです



でも、去年はかけなかった父への思い

ほんの一部だけど、こうやって書くことができてよかった



パパ、誕生日おめでとう

パパの私への思い、たくさんたくさん感じていました



心から感謝の気持ちでいっぱいです
2012.06.30 Sat l 父母への想い l コメント (0) トラックバック (0) l top
私は、普段 車で移動することが多いし
なんだかんだ、忙しくすることが多く
あまり ゆっくりと街を歩く機会が少ない

でも、先日 車では行けない場所に用があり
夕方 一人で歩いて出かけた

信号待ちをしている時
隣に幼稚園帰りのお母さんと女の子が隣にいた
とても小さかったから 年少さんぐらいかな?

二人の会話が 耳に入ってきた
そのほのぼのとした会話を聞いて

娘が小さいころのことを思い出した

娘が中学校に入って
私から離れていくようになって

女の子連れのお母さんが目につくようになった

あ~ あんな時期があったなって

今、あの頃のことを思い出すと
悲しみの中、娘との時間は 私にとって
癒しの時間だったんだろうなって

でも、将君が亡くなってしばらくは
娘と過ごした時間の記憶が飛んでいる

娘の世話をしながらも
頭の中は、息子の死を悲しんでいて
娘と息子の面影を重ねていた

顔は、笑って娘を見ていたけれど
私の目は、遠いところを見ていた

その時、思ってた
いつか、娘が大きくなった時
「ママは、私のことを見てくれてなかった
いつも 遠くを見て悲しそうだった」
って 言われるんだろうなって…

ごめんなさいの気持ちを持ちながら
それでも、悲しみを消すことはできなかった

娘との会話には、いつも将君がいた
娘が、将君のことを話てくれると
娘は、将君のことを覚えていてくれる
そう思えて 嬉しかった

でも、きっと、娘は
ママの将君への気持ちを理解していて
ママのために 将君の話をしてくれていたんだろうな

わずか 2歳の子供にそう思わせていた私…

でも、娘の言葉に 癒されて生きていた

娘は、今でも いろんな場面で
ママが悲しんでいないか とても気にしている

小さいころ まだ、ドラマの内容が
理解できないぐらいの時

悲しそうな効果音が
テレビから流れてきた時
「ママ、だれか死んじゃったの?」って 言っていたっけ

ママの涙は、娘にとって とても辛いものだったんだろうな

申し訳ないと思いつつ
あの頃の私には どうすることもできなかった

笑顔になると 娘はとても喜んでいた
テンションが高くなる そんな感じだった


そんな娘を見ていると
同じ年の将君も ママの笑顔が好きなんかな?
涙よりも ママの笑顔を見ると ホッとするんかな?

そんなふうに思うようになったのは
娘が小学校2年生か3年生のころだったと思う


震災から 2年後 娘の七五三だった
双子だったから 一緒に七五三をしようと思っていたので
将君がいない七五三はしたくないと

着物を買ってあげると言ってくれた
義母の申し出を断った

娘が、大きくなって 七五三の写真が無かったらかわいそう
とも言われたけれど、頑固として 断った


それでも、やっぱりかわいそうかな?って
ちょっと思ったので 家にある可愛い洋服を着せて
千歳飴だけを買ってきて 家で、写真を撮った

あの頃の私は、そうすることが精いっぱいだった

私のイメージの中では、
娘が幼稚園に行くまでは、娘と楽しんだという
記憶が少なかったけれど

こうやって 振り返ると
娘のためにいろんなことをしていたんだなって
ちょっと ホッとする


女の子とママを見ていると
あの頃 もっともっと 娘との時間を
楽しめば良かったかなぁ~ って思ったりするけれど

あの頃の私に
もっと、娘との時間を大切にしてあげてとは
やっぱり言えないな・・・・

言っても あの頃の私は
その言葉を受け入れることができないぐらい
悲しんでいたから…


でも、横断歩道で
娘との時間を楽しんでいるママを見て
すっごく 羨ましかった

私ができなかったことを
このママは できているんだなって・・・


私自身のことなのに
そんなふうに思うのは 変かなぁ~

でも、思ったものは、仕方ないか・・・笑


娘は大学生
どんどん、私から 離れていく


でも、大人になったら
大人になったらで 楽しみがあるよね

お化粧の話をしたり
洋服を共有したり・・・

喧嘩もいっぱしいて
あの時、死んでいたら 今、こうやって
娘に嫌な思いをさせなくて済んだのにって
いまだに 思ったりしてしまうけれど

娘がいたから 私は
今まで生きてこれたと思う

そして、これからも 娘との時間を
楽しめるから 生きて行こうと思えるのかも


最近の楽しみの一つ
娘とちょっとおしゃれなBarに行くこと

今は、ノンアルコールのカクテルだけど
20歳になったら
二人で堂々とお酒を飲みに行こうっと♪
2012.06.30 Sat l 優ちゃんへの想い l コメント (0) トラックバック (0) l top
17年半・・・

私にとって阪神大震災が起こった17年半前は
そんなに遠い時間じゃない

でも、17年半って
客観的に思うと とってもとっても長い時間

あの時60歳で定年していたから
ボランティアをし始めた人

もう 78歳ぐらい

このまま、ボランティアをいつまで続けられるか
考えていらっしゃいます

30代前半だった私も・・・・・(-_-;)


昨日のことのように感じるけれど
一個一個 思い出すと 気持ちの変化も
たくさんあって あらためて17年半という時間の
長さを感じます


必死だった最初のころ
将君のことを忘れてほしくなくて
年賀状の代わりに(おめでとうが どうしても言えなくて)
命日に寒中見舞いを送っていました

自分がどれぐらい将君のことを想い生きているか
将君のことを忘れないでくださいと

差出人のところには
将君の名前もいれた 華族4人の名前を添えて・・・・


5年ぐらいは、自分の想いだけで
関わってきた人たちみんなに はがきを送っていましたが

だんだん、私の想いを押し付けていることが
申し訳なくなって・・・
というか、いつまでも??って思っている気がして

本当に仲のいい子だけにして
その他の人たちに送ることをやめました

人とのかかわりを自分から断ち切っていました
一番引きこもっていた時期かもしれません

家族さえいれば
それ以外の人たちとかかわらなくていい

あとは、ネットで同じような経験をした人さえいれば
私は、それでいい

そう思って生きていました


それから 10年
震災15年のころから
ふと、昔の友達に逢いたくなりました

10年以上連絡を取ってなかった子もいるので
寒中見舞いを送っても
あて先不明でたくさん帰ってきました

でも、その中で何人か お返事をくれました
私のことを心配してくれてるお返事もあれば
敢えて、何も触れず あの時一緒だった子供たちの
今を伝えてくれるだけのものもあって

それはそれで、将君がいない今を悲しくなったりしたのだけど

勇気を振り絞って 返信してくれました
そして、私が 今を生きてきていることを
喜んでくれていました

一度は、絶った友達関係
電話では、話しづらい けれど メールなら送りやすい
そんな時代に、ちょっと感謝です


消えてしまった関係もいっぱいあるけれど
再びつながった関係

将君のことを知っている人との再会が
嬉しく思えました

そう思えるには、15年という時間がかかりました
(私の場合)


10年ぐらいは、とても嫌な人間で
言葉に出すと 人間性を疑われてしまうような
そんな人間だった気がします


優しい人でいたい
人の心を思いやれる人でいたい

そう思っていた私だったのに


今でも、ひねくれた考えが
時々頭を出してしまう私

そんなことを相談した友達が言ってくれました

仕方ないよ 子どもが死んじゃったんだもの
それだけ 辛いんだものって

その言葉に こころがちょっぴり軽くなりました



ふと 思ったことを
記録のために残しておきます

将来 いろんなことを思いやなんだ自分のために
2012.06.29 Fri l 阪神大震災への想い l コメント (0) トラックバック (0) l top
ずっとやろうやろうと思っていた
写真のデジタル化

デジカメができてから
パソコンで写真をみるのが普通になってますが

息子の写真は、デジカメができる前に撮ったので
パソコンで見ることができません

何枚かは、スキャナで読み込みましたが
数が多すぎて その作業をするのが大変

で、写真屋さんにCDRに取り込んでもらうことにしました

さっき、持って行ったのですが
20年弱前のネガなので それもできないものが
あるかもしれないとのこと



同じように
子供たちが写っているビデオ
HI-8なので それをDVD化することにした

子供たちのビデオは 観れないので
ずっと、封印していました

今年の2月 PTSDの治療をきっかけに
一度だけ観たけれど その後も封印したまま

将来 観たいと思ったときに見れないと困るので
DVDにすることにしました

知り合いにお願いして
業者を紹介していただきました

古いテープなので
状態によっては、湿気でテープがくっついていたり
切れてしまっていると ダビングできないみたいです(-_-;)

パソコンのデータも
10年前のハードディスクも
接続方法が、今と違って 今のPCに接続できないし
ケーブルも もう売ってなかったり

読み込みのソフトも 古いものなので
現在のPCでは、どうすることもできないとのこと

パソコン 便利だけど
その分、機械なので 古くなると読み込みできないみたいなので
大切なものだと 大変です

現在、これまた、知り合い(プロ)にお願いして
データを今のPCで見れるように作業をしてもらっているところです

でも、ちゃんとできるのか 心配・・・・


ブログとか とても流行っているけれど
以前、使っていた レンタル日記

あるとき、連絡先のサーバーがダウンしたとかで
日記の内容がすべて消えてしまったことがある

現在は、バックアップもきちんとされているので
そんなことはないかもしれないけれど

消えてしまったら ショックだよね

PCのバックアップ 大切です
2012.06.28 Thu l 将君への想い l コメント (4) トラックバック (0) l top

『三つの問いかけ東日本から阪神・淡路へ』神戸新聞掲載

阪神大震災で家族を失った人は
亡くなった人の何倍もの人

その一人一人にそれぞれの想いがあり
それぞれのその後の人生がある

私が知っているのは自分自身の想いだけ
その自分の想いも 自分自身でさえ100%表現できない


この新聞記事で紹介されている人たちは
ほんのほんの一部の人

しかも その人が生きてきた震災後の想いの
ほんの一部の思いでしかない

それでも、きっとこうやって
伝えることに意味があるのだと思う

息子を失った後
今まで、子どもを失った人は、
このつらい思いを抱えて
どんなふうに生きてきているんだろう?

そんなことを思っていた

前を向いて生きていける人の話を聞いて
前を向いて生きている人を受け入れることができなかった

17年たった私
人から見ると あの時に自分自身が受け入れることができなかった
「前を向いて生きていけるようになった人」なんだろうなって思う

でも、今わかるのは
「前を向いて」の言葉の中には
亡くなった人のことを忘れたり 仕方ないと思って
『前を向いて歩いている』ということではないということ

亡くなった人を深く思うから
一歩を歩く出すことができたということ


この神戸新聞の記事を読んで
自分とは違う状況で大切な人を失っているけれど
短い記事の中に自分の想いと重なる部分があることに気が付く

感じることは違うし
生きるための方法も違うけれど

17年半という時間を生き続けることができた
その裏には、亡くなった人への深い愛情があるんだと思う

亡くなった人の命に変わるものは
絶対にないけれど


元気になっていく自分を 笑えるようになってしまった自分を
受け入れられなかった時期があったりしたけれど

この17年半 私が出会った人 出会った言葉
そして、それらによって いろんなことを感じ考えて
今の私がいて・・・

そして、それは これから先も続いて
私の想いは、今以上に何かを感じて生きていくんだろうなと
思うのです
2012.06.28 Thu l 阪神大震災への想い l コメント (0) トラックバック (0) l top
今年、久しぶりにプチトマトを栽培しています。

一番最初に栽培したのは
1996年 阪神大震災から1年後の夏

その年の春 私たちは 家を建てました
家で引きこもっている私を心配した父が
引っ越ししたら 少しは気がまぎれるのではと
勧めてくれたからです

トマト

小さなお庭もありました
そのお庭が、私と娘の安心できる外出?先でした(笑)


そこに トマトやキュウリ ナスを植えました

そして、その年の夏 たくさんのトマトやキュウリ ナスができました
そして、それらを娘と収穫するのが
私と娘の日課になりました

収穫した野菜たち
娘が将君の仏壇にお供えしたり
そのまま、洗ってガブリと食べたり。。。

悲しみいっぱいの生活中での
娘とのほっこりできた時間でした

あのころは、デジカメもなかったし
ブログなんかもなかったので 今みたいに
日常の中で 写真を撮ることもあまりしなかったので
野菜たちの画像が残っていないのが残念です


昨日収穫した 3個のトマト
将君の仏壇にお供えした時に 16年前の夏の日のことを
思い出しました


野菜たちと一緒に植えた 「ひまわり」
大きくなる品種だったみたいで 大人の背丈をはるかに超えていました

その前で撮った私のお気に入りの子供たちの写真です

優とひまわり450
2012.06.24 Sun l 子供たちのこと l コメント (0) トラックバック (0) l top
毎日のように いろんな想いを
言葉にしようと ブログを書いているけれど

自分の想いがまとまらず
言いたいことが うまく伝えられず

書くことで誰かを傷つけてしまう気がして
誰かを嫌な思いにさせてしまう気がして

結局は、下書き保存にしてしまっている

それでもいいか
特に だれかにわかってもらいたいというものではないから
自分のぐちゃぐちゃになった頭の中のいろんな想いを
整理するために書いているのだから…

もう少し整理できるようになったら
きっと、公開できるものが書けるかもしれない

次は、軽く ベランダ菜園でできたトマトの話題にしよう♪
2012.06.23 Sat l 日常の想い l コメント (0) トラックバック (0) l top
KOSMA http://www.hi-net.zaq.ne.jp/kosma/ という 
神戸の長田で音楽活動をされているグループが
阪神大震災から10年たった2005年に
阪神大震災を記録する「歌声よ!明日に向かって」という文集を発行しました
原稿は、KOSMAで活動されている方や
一般募集で集められました

そこに応募して 文集に乗せていただきました
(第一章 運命 生と死 掲載)
http://www.hi-net.zaq.ne.jp/kosma/shinsaibook1.html

真っ暗闇の中 生きるための光を探してきた10年
「娘の命」が 光となって 私の生きる先に見えていたけれど

でも、その光までの道が 全く見えなくて
遠くの方で 輝いていた状態の10年でした

でも、10年のころから ようやく
その光までの道が 見えてきた時期でもありました

どう歩いていくか そんなことは
まだまだ、わからなくて・・・

でも、光に向かって 歩き出すことができた時期でした

その時の想いを書いて 応募しました
もう原稿を書いたのが 2004年だったので
これを書いてから 8年近くたったのですね

この時に感じたことは
私が今生きている原点になっています

でも、あのころから そんなに変わってないかな
それだけ、この時の想いは それまでの想いとは
違う思いだったんだと思います


『未来へ』(2004年8月)


 私は、震災で一歳六ヶ月の息子を亡くしております。震災から月日が流れ、息子を知っているわずかな人たちからも、息子の存在が薄れて消えてしまうのではないかと、不安に思う今日この頃です。
 息子の生きた一年六ヶ月を私の手で、語り続けていければと思いました。


***************************

  死‥

 あの日 たった一人で旅立った一歳半のあなた
 あなたの死を 私は どう受け止めていいかわからないまま
 十年という月日が過ぎようとしている

 あなたの命の重さを考えた時に
 その重さに値するほどの
 私が生きるための意味をいまだに
 見つけることができない

 私の姿が見えないと不安で泣いていたあなたが
 なぜ 私と離れなければならない
 「死」を選んだのだろうか

 私に
 何を伝えたくて
 何を感じてほしくて
 何を見つけてほしくて
 自らの命をかけたのだろうか

 言葉を話すことができなかった
 わずか一歳半だったあなたの思いを
 知りたい一心でこの十年を生きてきた




  生きる‥

 この十年で 自分の心の中で
 確信できたことがある

 それは
 私は あなたを失った悲しみと共に
 生き続けていかなければならないということ

 あなたと再会するまで あなたの「死」の意味を探し
 自分が「生き続けるため」の意味を探すために

 その確信が これからも「生き続けるため」の
 未来への扉のカギなのかもしれない
2012.06.22 Fri l ママの想い l コメント (0) トラックバック (0) l top

今日は、先日、ブログで紹介した
『ふたつの震災』という本を出版されたお二人の方の講座
「大阪から見る、東日本大震災ー講座」の開催される日
http://​www.nakanoshima-univ.com/site/​seminar/article/117

娘も 今日は、アルバイトがないというので
一緒に行く?と誘ってみたら 行ってみたいとのこと

で、急きょ 当日参加できるか問い合わせをしたら
大丈夫とのことなので 一緒に行くことにしました

大学のマスコミュニケーション学科に進んだ娘に

大学でも阪神大震災 東日本大震災についての
講義を受けている

人によって感じ方や視点は 色々だから
いろんな人の話を聞くことは大切だよね

これからも、こういう機会があれば
一緒に話を聞きに行けたらいいな

一歳半だった 娘とこんなふうに
一緒に震災のことを考えることができるようになるなんて
思ってもみませんでした





取材を受けていて思うのは 遺族の想いのズレ。。。

取材をしてくださる記者の方やテレビ局の方と
いろんな話をすると 
人として私の想いを理解してくださろうとしていることが
伝わってくることが多々あります

でも、それが、新聞やテレビというものを通して
伝えることになると 想いは、ズレてきてしまう

それは、シナリオがあったり 世間の人がどう感じるかなどを
考えたりしたうえでのことだと思うのんだけど

私にすると 本当の思いが伝わらないもどかしさがある

そういう意味でこのような講座で
著者の方たちの想いを直接聞くことができることは
貴重だと思う

「ふたつの震災」の本の中で紹介されている
お嬢さんがお嫁に行った先で亡くなった方が紹介されている

その人、東日本大震災直後に 
私が いつもお世話になっているお店で
「お客さんのお嬢さんが・・・・」と聞いた人

その時に、初めてそのお店の人に
私が阪神大震災で子供を失ったことを話した

ずっと気にかけていて どうされていますか?って
お店に行くたびに声をかけていた人

こんなところでつながるなんて・・・
2012.06.20 Wed l 取材 l コメント (0) トラックバック (0) l top
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