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今日は、友達とランチ
1年ぶりの再会です

去年の夏前
私が、東日本大震災でしんどい思いをしているんじゃないか
そう思って 会いに来てくれて以来の再会

励ましの言葉を言ってくれるわけじゃなく
ただ、私に会いに来てくれて
そして、私の話を聞いてくれた

お互いいろんな経験をししてきて
色んな想いを抱えながら15年以上を生きてきた

違う経験をしたお互いの気持ちを理解しえないことはわかっている
理解してほしいとは望んでいない
なんだろう お互いに寄り添っていたいと思っている
そう思ってくれているだろうなって思う
それだけでいい関係

自分もつらかったけれど
自分とは違う経験をした相手の辛さ
自分には、わかることができないつらさをしてきたと思うから

あえて わかるよとは言わない 言えない
お互いに・・・・

特に意識しているわけじゃなく
自然な状態でいられる

東日本大震災
自分たちにできることはないか

今まで、自分たちが受けた取材への想い
「笑顔」の向こう側にあるいろんな想いを
ちゃんと伝えてほしいのにねと

子供たちのこと
家族のこと
韓国旅行のこと

最後は、エステの話 ネイルの話 
そして、いかにして素敵に生きていけるか
そんな話になった

あんなに辛い時期を過ごしてきた私たちが
もう、一生 おしゃれや楽しいことができない
しない しちゃいけないと 思っていた私たちが
再び 素敵に生きていきたいと思い
今、二人でいろんな話をしている

それが、今の私たち


わしたち頑張ってきたよね
自分をほめてあげようねって 話した



でも、もう少ししたら 久しぶりに
ネイルしてみようかなって
その子のネイルを見て思った

子どもが死んじゃった人生だけど
楽しく生きていいよね

あんなに苦しんで悲しんできた人生を経験したから
だから、今は、楽しく生きていいよね
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2012.07.29 Sun l 日常の想い l コメント (0) トラックバック (0) l top

7月ももうすぐおわりますね
この間、娘が大学に入ったと思っていたのに
あっという間に時間が過ぎ

気が付けば 暑い暑い夏!!

今年のお盆は、お盆の前に将君のお寺さんに来ていたいて
お盆には、東京(娘の予定)に行き、そのまま 主人の実家(栃木)に帰ります

去年は、そこからレンタカーを借りて
陸前高田市まで行きました

GWにボランティアで伺った皆さんに逢うために。。。

那須インターから乗って平泉まで行き
そこから陸前高田まで 思った以上に遠かったけれど
関西から行くことを考えると 日帰りができたので
近いんですよね


塩釜に住んでいる友達は
転勤で、石巻に移動したとのこと(仕事だけ)

その友達にも会いに行きたい

いつか絶対に会いに行く
そう思って日々 その日のために
頑張っています


今日は、娘が大学の試験で
いつももより 早く帰ってくるので
待ち合わせてお買い物に行きます



久々に日常の日記でした
2012.07.26 Thu l 日常の想い l コメント (0) トラックバック (0) l top
過去の日記を読み返して想うこと

10年以上前の想い
こんなふうに感じていたんだ

今、こう感じるようになったきっかけは
これだったんだ・・・

過去の日記を読んで
いろんな感情を振り返る


つらい思いも 頑張った想いも
感謝の想いも

いろんな想いの積み重ねが
私の17年半を埋めてきた


思いを書くこと
自分の気持ちを整理するために役に立つと思ってきたけれど
それだけではなかったということを
あらためて知る


いろんな想いの中
頑張ってきた自分 支えてきてくれた家族や友達の存在が
今の自分を作ってくれたんだと
感謝している

相変わらず、会いたい将君には会えずにいるし
わかってもらうことができない感情や想いも
いっぱいあるけれど
昔の自分が書いた文章を感慨深く読み返している

友達に知ってほしいと思って書いた文章も
今では、自分のためになっているんだなって想う


この文章も
5年後10年後の私が読むと何かを感じるのだろうか?

きっと、笑うだろうな
「一生懸命 色々頑張って 頑張っていこうとしてるやん」って・・・笑


娘も ママの想いは、こんなふうだったんだと
孫と一緒に読んだりするんだろうか??



未来のゆうちゃんへ

「あなたは、今、19歳 まだまだ、いっぱい喧嘩しているけれど
あなたが、生きていてくれたこと 感謝してるよ。パパも同じ思いです。

あなたが、わがままに育ってしまったのは
『生きていてくれただけで 幸せ。何も望まない』と 甘やかしてきたせいだよね。」
とパパと いつも話しています。

あなたの子どもは、しっかりと厳しく育てるからね 笑

わがままいっぱいのあなただけど
パパとママにとっては、とてもとても大切なあなたです

生きていてくれて ありがとう
2012.07.23 Mon l 優ちゃんへ l コメント (0) トラックバック (0) l top
今日、2個目の日記です


書こうと思っていたいろんな想い
やっと 書く時間ができました
(昔の想いをコピーしているだけですが…)


今は、もうしていませんが
数年前 交流していた学校のみなさんにお話しさせていただいた原稿です

あの頃は、必死で書いていたので 気づかなかったですが
随分、偉そうに書いていますね。。。(^_^;)

我ながら 恥ずかしいです

でも、伝えたいことのすべてではないえれど
きちんと、まとめられているので
紹介したいなって思ったので 紹介させていただきますね
そのうち、将君のホームページの方でも アップしようと思っています


ちょっと長くなってしまうけれど・・・・
良かったら読んでくださいね



***************************
【〇〇中学校2年生のみなさんへ  2005年1月 】


阪神淡路大震災が起こった1995年、皆さんは4歳ぐらいであまり覚えていないと思います。そんな皆さんが、今、あの阪神淡路大震災について学んでいらっしゃると聞きました。今年は、震災から10年ということで年末から多くの震災関連の記事やニュースを目にしたことと思います。

どんな記事が、皆さんの心を動かしたのでしょうか、きっと、一人一人、心が動いた記事はそれぞれだと思います。あの日から、時間がたつにつれ震災を語る人伝える人が少なくなってきているような気がします。しかし、10年経って始めて思いを伝えることができるようになった人もいることでしょう。

話さなくなったのは、みんなはあの時のことを忘れてしまったのでしょうか・・・。それは違うと思います。あの日のことは、みんなが忘れることはできないのです。思いを外に出さない、出せない理由は、人それぞれだと思います。

ある人は、つらい経験がいまだに生なましく心に残っていて言葉で表現することができないでいるのかもしれません。また、ある人は、人から、「いつまでも震災のことをひきずり、前を向けない」や「いつまでも震災のことを言っていても仕方ない」などと言われたり、「復興」という言葉に復興できてない自分を感じ責める思いを閉じ込めているのかもしれません。大切な人との思い出を自分の中だけで、大切にしていたいのかもしれません。伝えたいという想いはあっても、どうやって伝えればいいのか、伝えるための手段を知らずにいるだけかもしれません。

では、逆に時間がたって、初めて思いを表現することができた人たちもいます。それは、どうしてなのでしょう。

震災から時間が経つにつれて、薄れていく震災のことを語り継ぎが泣ければならないという心が芽生えてきたからかもしれません。大切な人を失ったことによる混乱から脱し、少しずつ歩き始めてようやく亡くなった人の生きた証を残したいと思えるようになったのかもしれません。また、この10年で感じたことや経験したことの中での社会的な問題点をいろんな人に伝えたいのかもしれません。

震災にあった方たちは、被害の大小に関係なく、それぞれが体験したことからいろんな事を感じてきた10年だったのではないでしょうか。「復興」したと見える被災地では、その人々の笑顔の中には、10年たった今でも、消えることのないたくさんの思いがあることを感じてほしいと思います。

阪神淡路大震災では、6433人の方が亡くなりました。6433というのは一つの数字でなく一人の命が6433人分集まったものだということを感じてくださいね。

そして、その一人一人に家族や友達がいます。将君にもママである私、そしてパパ、ゆうちゃん、おじいちゃんおばあちゃん、おじさんおばさん、そしてお友達・・・。将君の死を心から悲しんでくれる人がたくさんいるんですよね

今回、授業で伝えてもらったものは、母である私一人の思いです。将君を思っている人たちの中のたった一人の思いに過ぎません。パパや優ちゃんにも、それぞれの立場での思いがあるんですよね。それは、私の思いと重なる部分もあれば、まったく違うものだったり。
私たちのことを通して、阪神大震災で亡くなった6433人の一人一人の人生を、その亡くなった6433人の何倍もの家族や友人の思いがあることにまで思いを寄せていただきたいと思っています。

そして、その思いを、阪神大震災で家族を亡くした人にだけでなく、病気や事故その他の原因で家族を失った人への思いにつなげてほしいと思っています。

私は、震災直後、ママを探して泣いているかもしれない将君のところに行って抱きしめてあげたいと思って死ぬことばかり考えてきていました。

そんな私が、今は、「生きたい」と思っています。

あのときに、生きる希望がなくなってしまった私が、再び生きようと思えるようになったのには、娘や主人はもちろんのこと、私の周りにいた友達などの存在があったからです。
10年の間に、その人たちにたくさんのがんばっていくためのエネルギーをもらってきました。そのエネルギーの元になるものは、何気ない言葉だったり、日常の生活の中で生まれてくるようなちょっとした出来事多いのです。

みんなは、周りにいるお友達が、本当に苦しんでいる姿を見たときに何ができますか?どんなことをしてあげられますか?また、自分が、死にたくなるほど辛い経験をしたときに周りにいるお友達に何をしてほしいですか?どんな風でいてほしいですか?どんな言葉をかけてほしいですか?それは、いつも一緒にいる友達だけでなく、クラスのお友達すべての場合で考えてみてくださいね。

色々考えれば考えるほど何もできなくなってしまうかもしれないけれど、自分にできることを無理せずにしてあげることが大切です。その人にとって必要なことが100あるとしたら、100すべてをしようと思うと気が遠くなって何もできなくなってしまう、でも、100のうち1個だけでも自分にできることがあれば、それをやってみる、そうすると、そのひとつのことから次々に自分にできることに繋がって行くことで、結果的に、その人に思いが伝わっていくということを知ってほしいです。

大切な人を失った人たちにとって、生きようと思えるようになるためには、そばにいる人たちの存在がとても重要です。周りにいる人たちの接し方ひとつで悲しみで傷ついた心が癒されていくのか、より深い傷となって、その人の心の奥底に刻まれてしまうのか分かれると思います。


私が、生きていくうえでとても力になったことの中のいくつかを紹介しますね
1つは、震災後、少ししてからの月命日(亡くなった日と同じ17日)にいただいたお花のお話です。
そのお花は、小さなプリンカップにアレンジされたお庭で咲いていたという小さなかわいい草花でした。その友達は、「将君のことは、絶対忘れないから」と言ってそのお花を届けてくれました。お金のかかってない小さな小さなお花ですが、私は、その友達の気持をそのお花から十分感じることができました。その後、私は、何度も将君の思い出がみんなの中から消えてなくなってしまうような不安を感じました。でも、その都度、その友達が言ってくれた「将君のことは、絶対に忘れない」というその一言に支えられてきた気がします。その友達は、今でもバレンタインデーの日に将君にお花を届けてくれています。届くたびにあの時言ってくれた言葉が私の心によみがえってきて、ただただ感謝の思いでいっぱいになります。

また、こんなこともありました。
去年の12月に、中学校と高校と一緒だった友達から電話がありました。話したのは、10年ぶり・・・。私たちは、学校を卒業してから毎年、年賀状だけで近況報告するだけで会うことはありませんでした。1995年の年賀状で、その子が結婚することを知り、お祝いの電話をして以来の電話です。

その子は、電話口で、泣いていました。将君が亡くなったのを知ってから、ずっとずっと私に連絡をしたかったそうですが、どんな言葉をかければいいのか、自分に何ができるんだろうと自問自答しながら、何もできないまま10年が過ぎたそうです。震災後、2年たったときにその子から子供の写真入の年賀状が来ました。それ以来、その友達は、簡単なメッセージを添えて毎年年賀状を送ってきてくれました。その短いメッセージから、その子が、私のことを心から心配してくれていることが伝わってきました。そして、10年がたとうとしている去年の12月その友達から電話がかかってきたのです。その子は、年賀状を書くときに、毎年ずっと思っていた思いを私に伝えようと手紙を書こうとしてくれたそうです。

この10年何もできなかった自分、そして、悲しむかもしれないけど、普通に接することが一番だと信じて子供の写真入の年賀状を送り続けてきたことを謝りたかったそうです。でも、何を書いても言い訳にしか受け取ってもらえないと悩んだ結果、思い切って私に電話をかけてきてくれたそうです。その子は、この10年の思いを泣きながら話してくれました。私のホームページや本、そして取り上げていただいたテレビや新聞記事などを見ることで、私たち家族の悲しみにずっと寄り添っていてくれたそうです。10年たって、やっと電話ができたといってくれました。私は、直接あったり声をかけたりしてくれる人だけではない、私の目に見えない場所でも、私たちのことを思ってくれている人がいることを知り、本当にうれしかったです。中学校、高校と何気なく普通に付き合ってきた友達が、今、私が生きるうえで、こんなにも大切な友達だったんだと感じられた大切な瞬間でした。

ここに紹介させていただいたのは、ほんの一部です。些細なことですが、それを自分にとってどう受け止めるか、その受け止め方によって自分の気持が、180度かわってしまうことがあります。

二つ目の10年目に電話をしてくれた友達のことも、私がその友達からの電話を「10年も連絡をしてこないで今更、謝られても・・・」と受け取ればどうでしょう。きっと人のやさしさが感じられないままその電話を切ったことでしょう。そう思うと、同じことでも自分の考え方ひとつで自分の生き方を変えていくことができるのです


なぜ、ホームページを作ったのか

震災から、4ヶ月ぐらいたった頃、私は、「愛する息子のたった1年半の人生のすべて」を私の記憶に刻みたいと思っているにもかかわらず、将君との思い出がどんどん薄れていっていることに気がつき、母親として失格かもしれない、このまま、私の中から将君の記憶がきえてしまったらどうしようと、不安を感じはじめていました。
私は、将君との思い出を残すことを考えました。でも、ノートに将君との思い出を書こうとすると涙があふれて先に進みません。録音用のレコーダを買ってきて、息子のことを話す会話を録音して残そうとしたこともありました。いつか、息子の一生を残すための小冊子を作りたいと思うようになったのもこの頃からです。

そして、少しずつ息子の死の瞬間のことを残さなければいけないと思うようになりました、主人は、震災当時、山口県にいて震災を経験していません。もちろん、病院で死の宣告をされたときのことも知りません、一緒にいた優ちゃんも、当時1歳6ヶ月問いことで震災のこと、将君の死を覚えてはいないと思います。将君の死の瞬間を書き残すことができるのは、私一人だけだったのです。主人に息子の死の瞬間を、そして、優ちゃんに兄弟の死の瞬間を伝え残さなければならないという使命が私に沸いてきました。

そして、優ちゃんが大きくなって、いろんな事を理解できるようになって、自分が兄弟とどんな時間を過ごしていたのか、泣いてばかりいたママの思いを知りたいと思ったときのために、その時の悲しみに押しつぶされそうになっていたママの気持を隠さず書き残したいと思っていました。

また、震災から4年がたち、表面的には、何事もなく生活できるようになった私でしたが、元気に笑って友達と話している自分に罪悪感を感じ、玄関の扉を開けて家に入った瞬間、涙があふれ出てそのまま寝込んでしまったことも、多々ありました。友達に、元気になってよかったといわれて、子供を失ったのに元気になってしまった自分に気がつき、自分を悲しみの中に引きずりいれたこともたくさんありました。

友達に、子供を失った悲しみは、そう簡単にはなくならないと伝えたいにもかかわらず、元気なったと喜んでくれている友達の顔をみていると伝えることはできませんでした。また、がんばっている自分がいることもホームページというフィルターを通して友達に伝えたいと思ったのです。

そんな、一方的な思いを綴った将君のホームページですが、開設から5年たって、そのHPを通じてたくさんのことを得ることができたと実感することができるようになりました。

まず、同じ思いを抱える人たちと話すことで、私がそれまでの5年間、「異常かもしれないと思っていた私の中の色んな気持ちが、子供を亡くした人が、普通に感じる気持だったと知り、ほっとしました。

そして、家族の中で一人だけ天国へ旅立ったため、将君は、一人ぼっちで泣いているんじゃないかと心配していましたが、HPを通じてたくさんの子供を亡くした人と知り合い、天国でその人たちの子供と一緒に楽しんでいるのかもしれないと思えるようになりました。それは、母親として本当に本当に心の支えになりました。

そして、私は、『将君と優ちゃん二人のお母さん』という思いを強く持っているにもかかわらず、日常の生活の中で、周りの人にとっては「優ちゃんのママ」でしかないんだという悲しさを感じていたので、インターネットの世界の中で、私は、どうどうと『将君のママ』として生きてい続けてもいいということを知り、私に大きなやすらぎを与えてくれました。そのことによって、私の不安定な心は、少しずつ落ち着きを取り戻すことができ、周りの人のことを考える気持の余裕が生まれてきました。

それまでは、自分の思いを理解してほしいと、なんで私の思いをわかってくれないの、どうせ私の思いなんてわかりっこないでしょと、相手に自分の思いを押付けてばかりいたのかもしれません。でも、ホームページを開設してからは、私は、相手にいろんな事を望まなくなっただけでなく相手の思いを理解してその人と接していきたいと思えるようになりました。そうすると、子供を亡くした私に寄り添ったり、寄り添おうとしてくれた友達の思いに心から感謝できるようになりました。

また、ホームページを授業に使ってくださった学校との交流が、きょうだいを亡くした優ちゃんの悲しみを考えるきっかけになりました。当時、1歳半だった優ちゃんですが、十分将君を失った寂しさを感じていました。お葬式の時から、十分話すことができなかった優ちゃんでしたが、優ちゃんなりに悲しみを体で表現していました。そして、年齢とともに「死」というものを理解できるようになり、あたらな悲しみや寂しさが優ちゃんに生まれてきまたようです。そんな、優ちゃんに気づきながらも、私は自分の悲しみを受け入れようすることだけに必死で、優ちゃんに何もしてあげることができませんでした、また、悲しみに気づいてもどうしてあげたらいいかもわかりませんでした。もっともっと、優ちゃんのために生きていかなければならないと思い始めたのは、震災から7年たった頃ある学校に訪問した時に生徒の方から質問された言葉がきっかけでした。私にとって、その学校との交流は、私の生きる道を軌道修正してくれた大切な出会いになりました。

そのときの担当の先生が、この授業をクローズ(閉じる)して終わっていはいけない、オープン(開いた)状態にすることが大切ただといって下さったことが印象的でした。

開いた状態でいることでその授業をすることでの発展がえられるからだそうです。その後も、私やその先生がお互いにあの授業での出会いを心の中に持ち続けることの大切さを教えていただきました。

そして、その後、そのときのことがきっかけになり、たくさんの学校の方たちと出会うことができました。将君のホームページを使って授業をしてくださった方たちから感想をいただいたことで、私たちの経験が、色んな形でたくさんの先生方やこれからを生きていく子供たちの心に何かを残せるようなちいさな種になっていることを知りとてもうれしく感じました。

息子の死は、私たち家族にとって、とても辛いもので、息子の命に代わるすばらしいものは無いと思っていますが、息子が亡くなったあとでもこのような形でいろんな方にいろんなことを感じていただけるきっかけになっていることを知りとてもとてもうれしいです。

「命の大切さ」たった5文字の言葉ですが、その意味を伝えることは、とても難しく私自身まだ答えが出ていません。でも、今回の授業が皆さんにとって今すぐ何かの答えを出すものでなくてもいいと思っています。そして、今回のことが、その悲しみや苦しみの中から一歩を歩き出すためのひとつの勇気につながることを願っています。

この10年、多くの人と出会いました、すべてが心が温かくなる出会いではありませんでした。傷ついてずたずたになった出会いもたくさんありました。でも、たくさん傷ついて苦しむことによって見えてくることがたくさんあります。そのとき気づいたことが今の私の強さの土台になっている気がします。

辛い時には、じっと殻に閉じこもって泣いていてもいい、辛さを否定してがんばらなくてもいいんだよ、強くならなくてもいい。ただ、忘れないでほしいことがあります。そんなあなたをすぐそばで見守ってくれている家族や友達がいることを・・・。その人たちの存在に気づくだけのほんの少しの余裕だけは持っていてほしいと思っています。

亡くなってからも輝ける命ってあるんだなぁとHPを使ってくださった皆様からのお便りやご感想をいただくたびに感じています。ありがとうございました。
2012.07.21 Sat l 友達への感謝 l コメント (4) トラックバック (0) l top
やっと前を向いて生きようと思えるようになったころに書いた
娘への手紙です

自分の中で めちゃくちゃ頑張っている
これ以上 もう、頑張ることができないと思うぐらい
当時の私にとって とってもとっても頑張っている時期でした

(いつも、これ以上頑張れないと思うぐらい頑張って生きてきたけど)

その時期に書いた 娘への手紙です
同じようなことを どこかに載せたかもしれないけれど
再度 載せておくことにします


*********************************
【2000年5月4日  ゆうちゃんへ】
ゆうちゃんへ

 ゆうちゃんも震災で生き埋めになり、一歩違えば、将くんと同じくママのもとから旅立っていたかもしれなかったという事『ゆうちゃんは生きているのではなく、あの時、生き残ってくれたんだ』 そう気がつくのに、2年以上の時間がかかりました。


当時ママは、突然起こった地震と将くんが天国に行ってしまったショックの為、生きていく気力を失っていました。そして将くんを失った悲しみのため、しばらくママの頭の中からゆうちゃんの存在が消えていました。当時、わずか1歳半だったゆうちゃん、食べる事、オムツ交換など生活に必要な最低限の事をする事が精一杯でした。その間の事、本当に申し訳なく思っています。


 その時は、ゆうちゃんが生き残ってくれていることを感謝する事にも気づかなかった。そんなママだったのにゆうちゃんはママの事が大好きで、いつも側にいてくれたの。そして、将くんの事で泣いているママを励ましてくれた。


 ママは、ゆうちゃんを残して将君のところに行こうと何度も思いました。でも、今のママがあるのは、ゆうちゃんがいてくれたからです。ゆうちゃんが成長する間にたくさんの励ましをゆうちゃんからもらいました。また、ゆうちゃんの言葉一つ一つが、将君の言葉のように思えました。泣いているママを見て、悲しくなって一緒に泣いてしまったゆうちゃん、あるときは、『ママ、大丈夫だよ、将君はここにいるから…』片言しか話せない、時期にゆうちゃんの精一杯の言葉で話してくれました。


 そんな、ゆうちゃんを見て、ああ、将くんもママの悲しい姿を見て、泣いているかも、励ましてくれるかもなんて思えるようになりました。ゆうちゃんは、笑っているママが大好きです。きっと、将くんもそうだと思います。


ゆうちゃんが色んな事をわかる年齢になったときに『ママ、ありがとう』って言ってもらえる様に頑張るからね。
 ママは、ママが元気になったら、将くんが『僕が死んでしまったのにママは笑ってる…』って悲しむんじゃないかと思って、笑う事、元気になることをずっと拒んできました。将くんが天国にいってから、ママはもう笑う事も遊びに行く事も出来ないと思っていたの。

でも、今、笑ったり出かけたりできる様になった。これはゆうちゃんがいてくれたおかげだと思っています。ゆうちゃんはあの地震で生き埋めになりながらも生きてくれていたんだよね。

その事に気が付いた時、今までの自分がとっても情けなかった。そして、これからの人生をゆうちゃんと一緒に遊んだり、笑ったりしながら生きていこうと決めました。ゆうちゃんが生きていた事、その事を感謝しながらこれからは生きていこうと思います。


 もう、自分から天国に行こうと思うのはやめました。いつか必ず天国で将くんに会えるのだから、生きている間、ゆうちゃんと一緒にたくさん楽しみたいと思っています。きっと、将くんも側にいて一緒に楽しんでくれていると思うから。だって、将くんとゆうちゃんは仲良しの双子なんだから。


2000年5月4日
ママより
2012.07.21 Sat l 優ちゃんへ l コメント (0) トラックバック (0) l top
今日、以前 写真屋さんにお願いしていた
子供たちが写っているネガと デジカメを買うまでのネガを
データ化してもらった ものを取りに行ってきた

1995年の写真
そこに映っている ゆうちゃんのこと
あまり覚えていない

たくさん可愛い表情でいるのに
覚えてない・・・



「悲しみ」だけの感情しか 無かったんだろうな


2歳のお誕生日のケーキの写真もあった
FH010020_400.jpg


将君が写っている写真をみるのとは
違う思いで見た


FH020029_400.jpg


あの頃の悲しみが、昨日のことのように
思い出されて 辛い・・・・
2012.07.18 Wed l 子供たちのこと l コメント (0) トラックバック (0) l top
ふと 将君を失って初めての誕生日の日のことを思い出しました

震災後の4月に出会った
同じように幼い子供失った人たち

4人中3人の子供が 7月生まれだった

ネットやメールがなかった時代
電話でしか想いを共有できなかった

その電話で誕生日をどう迎えるか
それぞれが苦しんでした


確かに生まれたわが子の誕生日
何もしないのも辛く悲しい

そのわが子がいないお誕生日
お祝いをするの辛く悲しい


いろんな苦しみに加えて
誕生日について考えることはしんどかった


みんなで話し合った結果
誰も、お祝いをしてくれなくなった息子たちのお祝いをしてあげれるのは
私たち母しかいない


お祝いをしてあげよう


そう話し合った


私は、ケーキを2個焼いた

作りながら 涙がいっぱい流れた
苦しくなって 手が何度も止まった


笑顔のない「ハッピーバスディ」

ケーキにろうそくを立てて歌った

♪ HAPPY bIRTHDAY TO YOU
HAPPY bIRTHDAY TO YOU
HAPPY bIRTHDAY DEAR しょうくん ゆうちゃん
HAPPY bIRTHDAY TO YOU ♪

ゆうちゃんが 自分のケーキのろうそくを消した
そして、しょうくんのろうそくもゆうちゃんが消した

涙が あふれ出て止まらなかった

なんで、しょうくんがいないの?


何年も何年も 笑えなかった
笑ったら 将君が悲しむと思って

ママ、なんで僕が死んだのに笑っているの?って



人前で 笑顔で話せるようになったら
みんな 言ってくれた


「思ったより元気でよかった」
「元気になってよかった」
「将君も喜んでいるよ」


って・・・


でも、一人になったとたん
涙が あふれ出てきた


友達は、そんな私の涙を知らない


「元気そうでよかった」
そんなふうに言われると

『違うよ 全然元気じゃないよ』
って


時間とともにその言葉を聞くと心が痛んだ

『私、元気になって来てるの?』
『嫌だ、元気になんてなりたくない』って


子どもが死んだのに
元気になってしまっている自分が許せなかった


どう表現していいのかわからないほどの
苦しい想い


笑顔の向こう側にある 悲しみ
知ってほしい わかってほしい

ずっとずっと そう思っていた


「元気そうでよかった」という言葉にさえ傷付いていた私


でも、そう言うしかなかったんだろうな


みんな、寄り添おうとしてくれていた
でも、どう寄り添ったらいいのかわからなったんだろうな

自分の言葉で 傷付けてしまったらどうしよう
そんな不安を抱えて 私と接してくれていたんだろうな

それでも、傷付けるかもしれないという不安の中
私に会いにに来てくれた友達

やつれている私の顔を見て
お花だけ私に渡して帰っていった友達

あとで聞いた
本当は、お参りをさせてもらおうと言ったけれど

あなたの辛そうな顔を見たら
何も言えなくなってしまったと・・・


そんな友達の想いを感じる余裕もなかった
あの頃・・・・


こうやって 書いていると
あの頃のみんなのことを思い出す


友達でこのブログ読んでくれている人いるのかな?

いろんな想いを抱えて生きてきたけれど
今は、みんなには「感謝」という言葉しか 出てこない


それが、将君のいない つらく苦しい17年半を生きてきた
私の『今』・・・・






今日、2歳の誕生日を迎える 雅人君
お誕生日 おめでとう

遠い神戸の街から あなたの幸せ祈っています
2012.07.17 Tue l 友達への感謝 l コメント (0) トラックバック (0) l top
17年前と変わったこと いっぱいあるけれど
変わっていないことも いっぱいある

その中の一つ

それは、

・双子(特に男女の双子はダメ)
・「双子」という言葉
・3歳までの男の子 女の子(女の子の方が、ちょっとまし)
・妊婦さん

が、ダメだということ


街で、見かけると 目をそらしてしまう

しまった~ 見ちゃった・・・・って


双子用のベビーカー
結構 見かけるのよね

辛いくせい 確かめちゃう
男の子と女の子の双子??

って


震災後 親戚に赤ちゃんが何人か生まれた

だから、親戚の赤ちゃんは、どうにか見ることができたけれど

友達の子や知り合いの子は
やっぱり、無理かな? 抱っこできない


私の年になると
友達は、みんな 小さい子を見ると
懐かしい こんな時もあったのねと

抱っこしたがるけれど

私は、固まっちゃう・・・・(^_^;)



知り合いで 成人した息子さんを亡くされた方がいる
その後、お嬢さんに赤ちゃんが生まれた

誰にも言えないんだけどねって
そっと、話してくれた

「亡くなった息子の小さいころと重ねてしまう 可愛いんだけどね」って。

娘に子供が生まれたら どんな感じなんだろう?

随分前、娘が 幼稚園か小学生の低学年の頃
娘が言った

私が子供を産んだら 将君が生まれてくるかもね


って


そんなふうに娘の思わせてしまうような
生活をしていたんだろうな


17年間半のいろんなこと

頑張ったこと 頑張れなかったこと
人を傷つけたこと 人に傷つけられたこと
新しく出会った人 関係を切ってしまった人

たくさんたくさん いろんなことがあった
そのたびに頑張って喜んで
また、落ち込んで 閉じこもって 泣いて 苦しんで

そして、今を生きている


よく、悲しみは時間が癒してくれるというけれど

そう感じている人もいると思うけれど
私の場合は、時間が癒してくれたわけじゃなかった


いろんな経験 出会いによって
いろんなことを考えて 行ったり来たりしながら
前に歩いてきたと思う

私の経験は、私の経験でしかなく
私が、こうだったから あなたもこうよ って言えるわけではない


誰かが、こうだから あなたもこうよ って言われても
納得できないこともいっぱいある

結局は、自分と向き合うしかない

子どもを亡くした 私のおばあちゃんが
私に行ってくれたように・・・・


17年間 私を元気にしてくれたいろんなこと
書き出してみようかな?

それを思い出す時 辛かったことも思い出しちゃうと思うけれど
それも一緒に書き残して行きたいな


将君が生きた証を残すこと
それが、私が生きていくための意味なのかもね



17年前の私が
このブログを読んだら
今の私を軽蔑するだろうな・・・

ショックを受けるだろうな 苦笑


でも、これが今の私


17年前の私に言ってあげたい


たくさん笑うようになるし 前を向いて歩けるようになるけれど
将君のことだけは、忘れてないし
将君のことを思うから 笑っていようと思えるようになったんだよ

この笑顔のもとは、「将君への想い」だから
安心してねって。
2012.07.12 Thu l 将君への想い l コメント (0) トラックバック (0) l top
今日は、いろんなこと思い出して
辛いです

元気になってしまった私

元気になりたくない ずっと、そう思ってた
時間とともに 元気になれる人が信じられない

私は、一生暗い人生を送る
絶対に笑えない

そう思ってました

でも、いっぱい楽しいことしてる
いっぱい 笑ってる

将君のことを忘れたわけじゃないし
元気なのは 将君を思うから

なんて 思っているけれど
あの頃の自分とは 違う


その現実が 辛い

でも、きっと私は、笑って生きいていくと思う

そう生きることが
17年半かけて 私が将君のために もちろん優ちゃんのためにも
選んだ生き方


それは、変わることのない思いだけど
心が苦しくて 頭が パニックになりそうなのはなぜ?


深呼吸・・・
2012.07.12 Thu l 将君への想い l コメント (0) トラックバック (0) l top
昨日、山口でご近所さんだった友達から
久しぶりに電話があった 1年ぶり?


社宅を出て新しい場所で知り合った友達

あいさつ回りの時 お子さんは一人?と
普通に聞かれることがわかっていたので
みんなには、私の方からあいさつしました

「震災で子どもを亡くしました」と

相手の人は、困ってたけれど
いつかは、わかること

何より 将君をいなかったことにしたくなかったから
将君の存在を伝えたかったから


同じ年頃のお子さんをもつお母さんとお友達なった
そして、昨日電話をくれた子は、出産後すぐにお子さんを亡くしている

将君のことを話すことで 繋がった友達

その子は、それまでの何年かんか
亡くなったお子さんのことを自分の中に閉じ込めて生きてこられた

そういう時代だったし そういう土地柄であったと・・・

亡くなった子のことを忘れて前を向いて生きていくことが
いいことだと 言われていた時代

きっと、今でもそう思っている人たちは多いと思う

でも、無理やんね。。。

表面上は、そう生きていても
忘れることなんで 絶対い出来ない


遠い親戚が亡くなったとき
(私より3世代ぐらい上)
荷物の整理をしていたら タンスの奥から お骨が出てきたって
(このあたりは、分骨をして その小さいお骨をお寺に収める風習がある)

そのお骨は、そのおばあちゃんの亡くなったお子さんのもの
その時代は、悲しみを出すこともできない時代だったのだろう

でも、忘れることはできなくて
誰にも言わず、子どものお骨をタンスの中に隠していたって


そんなもんなんだよね


亡くなった子供への想いを言えないって
本当に辛かっただろうな



電話をしてきてくれた友達は、亡くなったお子さんのことを
私と話すことで 数年たって初めて 悲しみや苦しみを外に出すことができたって

普通に生活してきたけれど
一瞬にして あの時に戻ってあらためて 子どもを失った悲しみと向き合っていた

申し訳なかったかな?って思ったりしたけれど
その子は、ありがとうと言ってくれた

子どもを失ったのに 普通に生きている自分が
冷たいんじゃないかと悩んだこともあったって

でも、子どものことを思って涙が出てきたことが嬉しかったって


その友達をはじめ その時一緒に過ごした友達は
社宅で一緒だった人もいたおかげで

将君のことを 普通に話すことができた
お誕生日になると
息子の分も プレゼントを持ってきてくれた

申し訳ないなって思いながらも
息子の存在を受けれてくれたって とっても嬉しかった




幼稚園は、社宅で一緒だった別の友達の子供と
同じ幼稚園にした

もちろん将君のことも ちゃんと話して
理解してくださったから その幼稚園に決めた




幼稚園に入って初めてのお誕生

娘は、2枚のお誕生日カードを持って帰ってきた

先生からの将君へのお誕生日カードだった


その時には、気が付かなかったけれど
そんなみんなの思いがあったから

私は、前を向いて歩くことができるようになったのかもしれない


ちっちゃなことだけど
きっと、してくれた友達や先生は そんなに深い思いはなかったかもしれないけれど

私にとっては、大きなできごとだったんだなって思った



昨日、友達とその時のことを話した
15年ほどまえのことだけど 昨日のことのようにいろんなこと思い出した


17年半のいろんなこと
ちょっとずつ 書き残していかなきゃ
2012.07.12 Thu l 友達への感謝 l コメント (0) トラックバック (0) l top
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