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阪神淡路大震災から 17年8か月が過ぎました


あなたにとって 阪神淡路大震災は
『過去』ですか?

私にとって 戦争は 学校で習った
歴史の中の一コマでしかありませんでした

そう思っていることに
罪悪感を持たず 子供時代を過ごしてきました


結婚して広島に住みました
戦後40年が過ぎた頃でした


そこで感じたこと
被ばくした人
原爆で家族や友人知り合いを失った人
そして、原爆が落ちた 広島という街の人たちにとって
戦争は、過去の出来事ではないということ


阪神淡路大震災以降
いろんな事件事故災害が起こってきた

それらを伝えるメディア
そのすべてが 阪神大震災という出来事を
どんどん、上書き保存していった
そのことが とても嫌だと 強く思った時期があった

でも、ある日 阪神淡路大震災も
それまでの出来事を上書き保存してきたということに
気が付いた


今度の1月で震災から18年が経つ

阪神淡路大震災を経験してない人たちにとって
阪神淡路大震災は、過去の出来事ですか?

今更 何を?ですか?


自分自身が 過去の戦争事件事故災害に対してそうだったから
そう感じらても仕方ない それを受け入れるしかない・・・



でも、18年たっても
つらい思いは、消えていないということ

阪神大震災は『過去』ではないということ
想像する心を持ってほしいなと思う


そう 思うことも
いつまでも? 過去のこと?をと
流されてしまうことなんでしょうか?

そういう 感覚を受け入れるしかないのですか?

自分を仕方ないと納得させるしかないのですか?



こんなことを書きながら
自分でも 何書いているんだろう?って 思っちゃう

NHKの阪神大震災のためのサイトが
削除されていました

そうやって 『過去』の出来事は
どんどん上書き保存されてしまうのでしょうか・・・・



わかっているんです
そんなもんだって



ちょっと、こんな自分の想いを 記録しておきたかっただけ。
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2012.09.30 Sun l 阪神大震災への想い l コメント (9) トラックバック (0) l top

いつも一緒にのみに行っている仲間
会話の中で息子の話をしました

そのメンバーで飲んでいる時も
何度か、息子の話題になったので知っていると思ったら
知らなかった(^_^;)

一所懸命に励ましてくれた(^_^;)
その人酔っていたので
同じことたくさん言ってくれた・・・笑

内容は、お決まりの言葉


あの人、酔いがさめた時
この話をしたこと覚えているんだろうか??笑

ま、いいけどね

ちなみに私は、車で行ったので シラフでした♪
2012.09.30 Sun l 日常の想い l コメント (0) トラックバック (0) l top

理想と現実は違う 辛すぎて思った通りに 進まない・・・・(>_<)
でも、やっていかなきゃ 目標に向かって(^_^)

悲しい想いのない人生って どんなんだっけ??
もう、悲しみが 心の中心にない人生って送れないのかなぁ~?


いつかは、送れるようになるのかなぁ~
悲しみを悲しみで終わらさないために
生きているのかな?私って。。。。

将君のこと 人生の悲しみとして終わらせたくないから・・・
2012.09.29 Sat l 将君への想い l コメント (0) トラックバック (0) l top
この間 映画「ツナグ」について書きました

昨日、娘に「ツナグ」観に行く?と聞きいたら

前見た 黄泉がえりという映画の時
ママ、始まって 5分で号泣したでしょ
ビックリしたわ。。。と

あらためて言われてしまった(^_^;)


随分小さい時と思っていたけれど
2003年1月公開
娘が9歳の時だったのね

それでも、私が泣いたのは とても印象が強かったのでしょう



そうだよね
小さいときから ママが泣くことに敏感になっていたんだものね

あんなに泣いたら 印象に残るよね(^_^;)



カテゴリ 娘への想いにしたかったけれど
映画「ツナグ」の日記のカテゴリを将君への想い としたので
関連づけのため 将君への想いのカテゴリにしました
2012.09.27 Thu l 将君への想い l コメント (0) トラックバック (0) l top
◆~追記~◆

ルミナリエ
今では、いろんな想いを持ちながらも
行くことができるようになった


一番最初に行ったのは
2004年の12月 震災から10年の前

取材がらみだったので 純粋に見ることができなかった
でも、あの屋台の多さは、想像通りで
やっぱり。。。。という 想いしか残らなかった


その後も ルミナリエを受け入れることができなくて
なかなか足を運ぶことができなかった


そして、5年後の12月

ルミナリエ会場で神戸芸術工科大学の学生さんが

『阪神・淡路大震災の記憶を共有し、
命の尊さや絆の大切さを学び、
未来へつなげていく「ヒトキズナ+ぷろじぇくと」』を
開催されました

そこでは、語り部の方が お話しするコーナーがあり
私の知り合いもお話しするということで
私も参加させていただきました。

ルミナリエ会場のすぐ隣での開催
その空間は、ルミナリエ会場の華やかな雰囲気とは違う
そんな感じがしました

娘と二人で参加したのですが
その場所に行くまでの間
屋台や楽しんでいる人たちにげんなりしました

この企画が無ければ きっと足を運ばなかったでしょう


語り部の方のお話を聞いて
震災の雰囲気につかりました

帰り、ルミナリエの会場に入った途端
今までの雰囲気が、異質と感じてしまうそんな中

娘とせっかく来たのだからと
ルミナリエを楽しもう!と屋台のいろんなものを食べました

「ルミナリエ」が、掲げている『慰霊と復興』
それがあるから、このにぎやかさが腹が立つんだ

そう、これは、『12月の光のイベント 震災とは関係ない』
そう思うことにしました

そう思うまでには、15年かかりました
遺族である私が そう、思わないといけないぐらい
ルミナリエが、慰霊の雰囲気がないことは
とてもとても悲しいことだと思います

こうやって いろんな想いを切り捨てていかないと
自分がしんどい 社会の中で 浮いてしまう

そんなふうに思ったのです


子どもを失った悲しみ
息子への想いを 日常の中に入れていくことで

周りの友達の中には、私のことを
やっかいな奴と思ったりしている人もいるでしょう

そんな空気を感じるから
自分の想いをどんどん出せなくなってしまう

想いを出すのをやめようと思った時期もありました
でも、しんどい 苦しい。。。。

生きていれば 普通にできる子供の話
死んでしまったからと言って 話せないのは
母として 辛いです

あるとき、思いました
自分の想いを閉じ込めず 話していこうと

それで、私から離れてしまう人がいても
仕方ないと・・・・

きっと、私のことを思ってくれる人は
息子を失った私すべてを 受け入れてくれるはず
そんな友達が、一人でもいたら それで私はいいと。

とはいえ、楽しく暮らしいてる今、
常的にそんな会話になる雰囲気でもないので
結局は、ブログやFB mixiなどで書いているだけです


冷静に考えると、というか相手の気持ちになって考えると
実際に亡くなった子のことを聞かされると
どう 話していいのかわからないんだと思います

それは、仕方ないこと
まだまだ、『死』について 話せない社会なんだと思います


もし、周りに 大切な人を失った友達がいる方
頑張っていることも 頑張れないでいることも含めて
受け入れてあげてほしいと思います

私は、そんな友達にささえられて生きてきました
2012.09.27 Thu l 阪神大震災への想い l コメント (0) トラックバック (0) l top

1995年12月
阪神大震災の被災地 神戸では
慰霊と復興のために「ルミナリエ」が 開催されました

当時 私は、山口県に住んでいたので
その「ルミナリエ」が開催されたことをテレビで知りました

綺麗な電飾が施されたルミナリエ会場の様子

ほとんど覚えていないけれど
テレビに映りだされている『ルミナリエ』の光は
私の心に届かなかった

それどころか
私の心に深い傷をつけた

復興?
何が復興なの?

死んだ人は帰ってこないのよ
将君には、絶対復興はないんだよ

その慰霊と復興の『ルミナリエ』は
17年たった今でも 開催されている

いつしか 「慰霊と復興」というのは
名ばかり。。。

屋台が並び カップルのデートコースになり
たくさんの人が記念撮影している様子が
テレビから流れてくるようになった

あるとき、娘が言った
阪神大震災のためのルミナリエなのに
どうして、クリスマス時期にするの?
どうして、1月17日じゃないの?
と。

1回目のルミナリエの様子をテレビで見てから
私は、ルミナリエに対していい印象を持っていない

亡くなった人への慰霊を利用した「商業」だと
嫌悪感を持った時期もあった

阪神大震災で被害を受けた神戸
時間とともに 被害の違いによって想いに格差が生まれてきた

被災者の中に家族を失った人とそうでない人

時間とともに 想いの違いが大きくなる

あんなに寄り添ってくれた人たちも
いつまでも前を向けない人に対して 心無い言葉をかけるようになる

私自身も知り合いから いろんな言葉をかけられた
あふれだしそうになる涙を止めるのが精いっぱい

自分の子供が死んだらそんなふうには思えないはずと言った私に
その人は、自分は、大丈夫と言った・・・


被災地である神戸でさえ、そんな状況だから
被災していない地域では、いつまでそんなことを言っているの?
そんな声をよく聞くようになった

神戸とは 電車で30分ほどしか離れていない大阪でさえ
10年を超えたぐらいから そんな空気が流れていた


きっと、1月17日が 阪神大震災があったということを
覚えている人は 少ないと思う

その日を阪神大震災があった日として
認識して過ごしていた人も少ないと思う

たとえ、ニュースなどでそのことを見て知っていたとしても
あーそうなんだ と 聞き流して 自分の生活を送っていた人
たくさんいるんだろうな

その日をこんなふうに悲しい思いで過ごしている私たちのことなんて
想像することもしないだろうし。。。

取材だってそう
12月末から1月18日まで 震災関連の記事や番組が増えるのよね
まるで、冬の風物詩になっているみたいに

5年 10年 15年  区切りの年には
普段、あまり目を向けてくれない東京のテレビ局からも
取材依頼の連絡が入ってきたり。。。

取材が嫌いな主人は、
自分たちは、一年中つらい思いをしている

1月17日に関係ない時期に 取材の申し出があれば
うけてもいい。。。なんって 怒っていっていた時があった


でも、伝えたいこと 知ってほしいことを伝えるには
嫌な言い方だけど その区切りを利用するのも必要かと。。。笑

そこまで、割り切れたらいいんだけどね



10年でひと区切り
そこまでは、義務?だったの?と思うぐらい
10年でいろんなことが 終わった

行政の金銭的な支援もそう・・・・

私の住んでいる町では
市の慰霊碑への献花のお金も出なくなってしまった

もちろん、慰霊祭もない
その時間に 市長さんが慰霊碑に献花するだけ


それまでの慰霊祭でも
市長さんは、亡くなった人への追悼の言葉の中に
市の復興を強調していた

確かに復興は、必要かもしれない
でも、慰霊祭であそこまで 復興を強調しなくても…

『復興』という言葉を聞くといまだに 嫌な思いになる私


そんな私も 自分のこの17年半を振り返って思うのは
どん底に落ちた私をここまでにしてくれたのは
友達の存在も大きかった と。

あんなに ぐちゃぐちゃで悲しくて苦しくて
次の瞬間をどう生きていいのかもわからなった私なのに

今を生きている
未来のことを 考えられるようになった

ローマは一日にしてならず
なんだよね・・・・


この想いは、どんな言葉を使っても 
伝えることはできないと思う


そして、他の人の想いも すべては、わかってあげれない


頑張ってきた自分をほめえあげれるのは 自分自身だけ
でも、将君だけは、わかってくれているよね
見てくれているよね
2012.09.27 Thu l 阪神大震災への想い l コメント (2) トラックバック (0) l top

映画「ツナグ」 死んでしまった人に一度だけ 会うことができる…

この映画の紹介を見た娘が私に聞きました
娘:『ママは、だれに会いたい?やっぱり 将君?』
私:『そら 将君でしょ』

+++++++++++++++++++++++++

「会えるのは、月の出る夜。夜明けまでの限られた時間だけ。
その時、最後に伝えたい想いはなんですか?

会いたかった死者に会うことで、生きている人たちは救われるのか
人生は、変わるのだろうか。(公式HPより抜粋)」


+++++++++++++++++++++++++


わずかな時間でもいいから 会いたい

そして、伝えたいこと・・・

なんだろう・・・、伝えたいこと いっぱいある


『守ってあげれなくてごめんね・・・
ママの子供に生まれてくれてありがとう
会えなくても ずっとずっと 大好きだよ
・・・・
今、幸せ?友達いっぱいできた?』

もし、将くんに会えたら 私は救われるのかな?
私の人生は、変わったのかな?

直後、どうしても知りたかったこと

寂しがってないかな?泣いていないかな?
もし、将君のいる世界が素敵な所で
将君が しあわせだと思えるところにいるとわかったら
ママは、我慢できるのに・・・・ と。

それさえも わからないことが悲しい
そう思っていたこと思い出しました
(実際は、わかっても我慢できなかったけど せめて、、、という思い)



17年半たった私

将くんには 今も会えてないけれど
将君のことをいっぱい想って感じて生きてきました

そして、将くんからの いろんな想いやメッセージ
将くんが、直接 言ってくれた言葉じゃないけれど
たくさん感じることができて その想いのおかげで 
前を向いて歩こうと思えるようになりました


将くんにもう一度会っていたら
違う人生になっていたのかな?

将くんは、私に会った時 どんなこと言ってくれるんだろう?
1歳半だったけど ちゃんとお話しして 分かるように伝えてくれるのかな?

何も話せなくても 話してくれなくても 
いっぱいいっぱい 抱きしめたい

映画、観てみたいけれど 
現実は、絶対会えないから 余計に辛くなっちゃうね

実際に大切な人が この映画を観て
そういう思いになっちゃうことまで
作った人は、想像できているのかな?って思ってしまった


ずっと昔、
「黄泉がえり」という映画があった
同じように 亡くなった人が何日かだけ帰って来てくれるという映画

家族で観に行った

幼い子供失ったお母さんの所に
子供が帰ってきた

何十年という時間が経っていたので
若かったお母さんは、おばあちゃんに・・・

お母さんは、子供がすぐに分かったのに
その子供は、お母さんのことがわからなかった

そんな場面から始まった映画
私がおばあちゃんになったら 将くんは
私のこと分かってくれないのかなぁ~って思ったら
悲しくて涙が溢れてきた

私は、再び別れないといけないという悲しみが
あったとしても 将くんに会いたいと思っている

でも、その時の主人は、また、いなくなる悲しみを
経験しないといけないなら 会いたいと言えないと言った

今は、どう思っているか知らないけれど・・・

17年前の私だったら この映画を観た後
寝込んでしまいそう・・・・(-_-;)

私が生きている間に
将くんには、会えないとわかっている

でも、私が死んでしまった時には
会えると信じてる。。。(死後の世界はわからないけど)

そう信じることで 頑張って生きていける

あ 本当は、将君は、いつも私の中に存在していて
一緒に日々を過ごしていると思って頑張ってます

なんだろうね
私自身の中に 将くんが存在している

周りから見たら すっかり元気になって
前を向いて歩けるようになったように見えるだろうけれど
色んな思考 行動の原点は、将くんへの想いってこと
分かってもらいたいなって思う
2012.09.26 Wed l 将君への想い l コメント (0) トラックバック (0) l top

当時の私を振り返って

私は、私の経験しかわからないので それしかお伝えできないけれど。。。

今、東日本大震災が起こって
震災で子供失った人のことを気にかけてくださった方が
たくさんいらっしゃるように 阪神大震災の時にも 
支援や何かしたいと思ってくださった方が
たくさんいらしたんでしょうね。



私が、神戸から離れて住んでいたこと 
今のようなネット社会で無かったあったことも
情報が私に入ってこなかったのかもしれません

でも、たとえ 目にしていても心に入ってこなかったのでしょう。
あの頃の私は、そんなことを気づかないぐらい心を閉ざしていました。

だから、覚えていない。。。。

あの頃は、何かをしてくれようとしている方のニュースよりも
同じように 子どもを亡くし人の記事ばかりを読んでいました

自分は、生きる気力も失い 日々の生活を送ることさえもできないでいる
同じ経験をした人たちが、どうやって生きているのか
どうすれば この想いを理解してくれる人と出会えるのか
そんなことばかりを考えていました


子供を助けられれなかったのに 元気になってはいけない
苦しまなくてはいけない そんなふうに自分を追いつめている私にとって
カウンセリングも苦しみを楽にしてもらうということも
すべてが 必要ではないと 拒否していた気がします

自分の生活圏でおこるいろんなことに対応することで精いっぱいでした。

いろんな人が、いろんなことを言ってくれました
励ましや 慰めや 寄り添い 心配 などなど

でも、私のすべての想いに対して
「ほっといて!」それしか思いませんでした

私の周りにいて心から私のことを思ってくれた人に対して
そう思っていたのだから
私のことを将君のことをまったく知らない人から言葉が
心に入ってくるはずがありません

ただ、同じように震災でお子さんを亡くされた方の言葉だけは
素直に受け止めることができました

自分の想いと違う言葉に対しては きっと、スーッと流れて行って
自分の想いと同じような思いだけが 私の心に入ってきたのでしょう

子どもを亡くしていても
そこからの時間が違っていれば 感じ方受け止め方が違う

私自身のことを考えると それがよくわかるので
一番つらい直後は、同じ時期に大切な人を失った人たちで
話をするのがいい気がします

そして、それをサポートしてくださる方や団体があればいいなと

悲しみから歩き出す方法は たくさんあって
それぞれにあった方法があると思います

自分に合った方法を見つけることができたら
少し楽になれる気がします

ただ、最初は、そんな方法を探そうとも思わない
ただただ 悲しむだけの毎日です


私の生き方(悲しみ方)に対して 否定的な意見を
言った人たちもたくさんいました

最初は、悲しくて辛くて 傷付いて・・・
そのたびごとに 寝込んでいましたが

だんだん、強くなったのか
その人が、私の一生を支えてくれるわけじゃないのに
その人の言葉を真に受けて 一喜一憂するのはやめよう
と 切り捨てることができるようになりました

随分 苦しんだ末に出した結論ですが。。。苦笑



東日本大震災が起こって
同じ思いをした人がいることを知り
とても辛かったです

それは、テレビで流れてくる映像に
自分自身のことを重ねあわせたから

あの時、震災から16年たっていました
日常生活は 普通にできるようになっていたけれど
心の中の悲しみは、消えていたわけではなく

あの時の自分の心の乱れ方を思うと 
苦しみ悲しみ自責後悔 すべての想いを
真綿にくるんでそっとそっと大切にしまっておいただけだということを知りました

いまだにつらい思いの中で生活している方たちにとって
「阪神大震災を経験した」という旗を降って
寄り添おうとすることに対して いいことだとは思えなくて・・・

でも、私の想いや経験してきたことが
私が泣いている時に出会い 生きるヒントになった先を歩く人の経験と同じように
少しでも何かにつながるのであればと思ったり。。。

でも、そんな上から目線でいることも嫌で
どしていいのか わからなくなってしまいます


でも、私自身が まだきっと 心がぐちゃぐちゃのまま
整理できないでいると思うので

ちょっとづつ 整理していきたいと思っています

誰かたのためではなく 自分自身のために
2012.09.24 Mon l 将君への想い l コメント (0) トラックバック (0) l top

17年と8か月…

冷静に考えたら すごい年月だね

将君のいない時間をそれだけも過ごしてきたんだね


17年8か月前
私にとっては、ついこの間


私にしか わからない時間がある
私にしか わからない想いがある

17年8か月の間に
いろんな想いを感じてきた いろんな経験をしてきた
悲しすぎておかしくなるようなこと 嬉しくて頑張ろうと思えたこと


そんなことの積み重ねが 今の私を作っている

人には、理解してもらえない想いもあると思う
人に、非難されてしまうような行動や活動もあると思う



理解してもらえないかもしれないけれど
非難されてしまうかもしれないけれど


将君の死と向き合って生きてきた私の想い


人の意見や言葉を気にして
自分のしたいことができないのって 悲しいもんね
2012.09.20 Thu l 将君への想い l コメント (0) トラックバック (0) l top

子どもを亡くす

いろんな形で 大切な子どもを失った人がいる

その人たちの想いは さまざま
それらを100%理解することも 
自分の想いを100%理解してもらうこともできない

たとえ、同じように子供を亡くした者同士であっても…


でも、似たような思いの人たちが集まって
話すことで 元気をもらうことができる


でも・・・

そんな機会を持つことができる人は わずか
そんな機会が、あっても 拒否している人たちがたくさんいる


主人がそうだった

悲しみの受け止め方も
悲しみの表現の仕方も
歩きはじめるきっかけも方法も
さまざま・・・


その人それぞれに合った方法がある
それが、自分の感覚と違っても
否定することはできない


なんかなぁ~
2012.09.01 Sat l 心のケア l コメント (2) トラックバック (0) l top
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