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将君を失った

守ってあげれなかった
自分が生き残った

将君がいない悲しみと
罪悪感 自責の念

そんなことに押しつぶされていた日々

泣いている将君のところに行って
ママは、ここにいるよって 抱きしめてあげたい

自分が 辛くて死にたいからではなく
泣いている将君のために 将君に会いに行きたいと思っていた

死んだら この悲しみ苦しみから逃れる
でも、逃れたいとは思わなかった

逃れることを考えちゃいけないと思った

あんなに小さい将君が
死んでしまったのに
この苦しみから 逃れちゃいけないと思った


その将君への思いが
私が、生きた原点・・・


じゃあ、私は、どうすればいいの
どうやって生きればいいの?

そんなことを考え始めたのは
将君が死んでしまってから 2年ぐらいたったころかな?


もちろん、将君に会いたい
将君に会って ママは、ここだよ
会いに来たよって 言いたい気持ちは変わらない


でも、私には、娘がいた
この子が 大人になって子供を産むまでは
生きていよう

そして、その後は、私の自由にする


そう自分に言い聞かせて
将君に会いに行きたいという気持ちを
自分自身に納得させてきた

もちろん、簡単にそんな風に割り切れるわけでもなく
そう思い始めただけで
将君に会いたいという気持ちは
それまでと同じようにあった


それから いろんな思いの中 何年もの時間を過ごしてきた

実際の時間は 18年近く。。。

でも、私にとっては そんな長い時間を過ごしてきた感覚がない

でも、その間に起ったいろんな出来事
自分の中での気持ちの変化などなどを思い返すと

阪神大震災が 昨日今日起こった感じではなく
長い時間 将君がいない時間を過ごしてきたんだなって思う


私は、将君を失った年の1995年4月
あまりにも苦しくて 住んでいる街(山口県)の
心療内科問うところに行った

子供さんの病気で苦しんでいる友達が
そこに行って 話を聞いてもらって
随分楽になったと 話すだけでも違うよって
アドバイスしてくれたのが きっかけでした


でも、実際には、話しても悲しみはなくなることはなかった

診療というわずかな時間で すべての思いを話せるわけでもなく
また、現在のような 心のケアという知識もない時代
被災地ではない 山口県の小さな町の お医者様では
私のこの苦しみを理解してもらえなかったのかもしれない

亡くなった人のことを忘れて 前を向いて生きていくべき

そんな考え方だったのかもしれない


結局 精神安定剤を処方され
これを半年ぐらい飲めば、少しは落ち着くでしょうと
言われて 病院を後にした


その後、心療内科とか カウンセリング(私の住んでいる街では 大きな病院の精神科でしか行っていなかった)
に対して 敵意を持つようになった

「あんなところに行っても 将君を失ったこの悲しみは 消えない」って。


それでも、時間とともに 将君を失った悲しみだけじゃない
怒りというものが 出てきて

家族間の関係も最悪状態に。。。。(-_-;)

将君が触った髪の毛だからと 
切ることができずにいた自分の髪の毛を

主人との大ゲンカの最中に パニックになって
大泣きしながら はさみで ジョキジョキと切ってしまった


さすがに今の精神状態では ダメだと思い
近くにあった 国立の病院の精神科に駆け込んで
カウンセリング(名前だけ?)を受けた


そこで、私の話を聞いた先生が言った
「あなたの気持ちは、わかる でも、ご主人だって悲しいんだよ 悲しみは 人それぞれ そして、それをどう表現するかも人それぞれ それを理解してあげないといけない それができない あなたが 悪い(実際にどんなふうに言われたかは はっきり覚えてないけれど 私は、こういうニュアンスだと受け取った)」と。

その言葉を聞いて 悲しくて悲しくて
「私が悪いの 主人の気持ちをわかってあげれない私が悪いの?」

そのことで悩んで 相談に行ったのに
自分を否定されてしまい 涙が止まらなかった


泣いている私に対して 先生はどう思ったんだろう?
少なくても 先生の言葉で泣いているとは
気が付かなかったんじゃないかな?


結局 心お問題は、解決するどころか
ひどくなってしまった

そして、また お決まりの お薬を出してもらった


その処方箋をもらって 薬局に行くと
薬剤師さんが やつれた状態で 幼い娘を連れていた私を見て

この年齢の子供の子育ては大変よねと
育児ノイローゼで このお薬をもらったと勘違いして
そう声かけてきた

私が、子供が死んでしまったことを 伝えたら
ごめんなさいと 謝ってくれた


当然、一回きりで その後 その病院にかかることはなかった


そんな 二つの経験から
私は、ますます カウンセリングや心のケア 否定者になった


カウンセリングを受けても 悲しみは消えない
同じ経験をした人と ちょっと電話で話すほうが 心が安らぐ 


「自分だけじゃない」

そう思えることが とてもとても 心を軽くした



この先生が悪いのではなく
悲嘆や心のケアという知識が
世間の人に浸透していない時代だったのだから

亡くなった子供のことを思い続けることが
いけないこと

早く忘れて 生き残った娘のために
元気にならなきゃねって どれだけの人に言われたことか


カウンセリングという言葉も まだ一般的でなく
カウンセリングに行っている=精神的におかしい人

という 時代でもあったのです

そう思うと 今これだけ 心のケアや悲嘆という言葉が
世間に浸透してきて(良し悪しは別として)


家族を失った人に対して 周りにいる人が
その思いを受け入れよう 理解してあげようという
という気持ちが あの頃よりも あると感じる




『悲しみをどうにかしたい』
カウンセリングを受けると 心のケアの治療を受けると
この苦しみが 楽になるかな?と思っていた私


でも、あれから 15年が経って

どんなことをしても  自分の中でいろんな思いを整理してきても
決して悲しみは、なくなることはないことを知った。


心のケアや悲嘆の治療は
悲しみを なくしてくれる場所ではないということ

消えることのない 悲しみや苦しみを自分の中に
存在させておくための 方法や考え方のヒントを
教えてくれるところかなって 私は思っている




悲嘆や心のケアの必要性が 一般的でなかった
阪神大震災当時

たくさんの人が 苦しみ悲しんでいる人たちのためにと
いろんなことを考えて やってきてくださった

ある意味 白紙に近い状態から
試行錯誤しながら 理解しようとしてくださった方たちがいる

もちろん、その方法が、大切な人失った人たちの思いに
あっているかといえば 必ずしもそうでないことが多い

心のケアなどのアンケートを受けるたびに
なんか、このアンケートどうにか ならないのかな?って
思ってしまう。。。。苦笑



大切な人を失った人のためにと寄り添おうとしてくださっていることは
私の周りにいる 心のケアやカウンセリングなどに携わっている人たちの
活動をみていると 強く感じることができる


でも、まだまだだね


私は、東日本大震災が起こり
将君を失った当時のことを思い出し 体調を壊した


それで、以前から通っていた(3年ぐらいお休みしていたけれど)
カウンセリングを再開した


アンケートでは 悲嘆度合いが強く
『複雑性悲嘆』と診断された・・・・

アンケート自体が どれだけ 有効的なのかは 疑問を持っているけれど
自分自身の中で 17年経っても消えない想いというものがって
それに押しつぶされそうになっていたことが その時とても怖かった


それを取り除くことができるならと思って
複雑性悲嘆の治療をすることにした

もちろん、その治療を受けただけで
自分の中に持っている 消えない思いが消えるとは思っていない

でも、考え方を変えたり 何かをすることで
それをより自分のものとして 自分の中で
居心地のいい 安定いた場所においておけたらと思った



とてもとても苦しい治療なので きっと賛否両論があると思う
治療の効果は、さまざま

17年経った私は、きっと 大きな変化はないと思っていた
日頃から いろんな思いを出していたから


結果は、やってよかったと思う
一番の成果は、一生 見ることができないと思っていた
将君が映っている ビデオを見ることができたから

治療の期間内では、辛すぎて 絶対に無理!と
先生にも公言していたけれど

治療が終わった 直後
たまたま、押入れの整理をしているときに
しまいこんでいた将君のビデオが出てきた

そこにしまっていることも忘れいてたビデオ

治療の最終目的の「将君のビデオを見る」という言葉が浮かんできた

自分の意志とは 関係ないところで
将君が映っているビデオが出てきたこと

ふと 将君が 『ママ、僕のビデオ観てよ 僕のこと思い出してよ』
って 言っている気がした


どうしよう。。。って 思っているときに
娘が帰ってきた

「将君のビデオ観ようか・・・・」って
言ってみた


帰ってきた返事は
「観ようか?」だった。


その言葉を聞いて 自分の中の
もやもやしている何かが消えた

私は、「観よう!」と 答えた。


でも、実際には なかなか観ることができなかった
往生際が悪いというか。。。

観ようと思っても そう簡単には 観ることができない(>_<)


観たい やっぱり やめよう・・・
そんなことを一人で 部屋の中をうろうろしながら
騒いでいたら 娘が言った


「私、もうすぐバイトに行くんだけど。。。 観るならみる 観ないなら観ない どっちかにして。。。。」って(笑)


その言葉で 気持ちを決めて ビデオをつけた


画面に 「動いている」将君が映ってる。

もちろん娘もいる

一瞬でいろんな思いが 頭の中に広がった

涙が出そうになったけれど 娘の前で 大泣きはできないので
我慢した

かわいい二人の姿がある
動いている 声を出している


娘が言った
「将君って 写真だけの中の人だと思っていて 本当にいたのかな?って思っていたけれど 本当にいたんだね」って。


私が、思っていた通り 笑顔のかわいい子だった
いっぱい、笑っていた

いない悲しみも あったけれど
その可愛さに 癒された。。。


涙が出てきた。。。。
悲しい涙と かわいい将君を再確認できたあたたかい涙・・・

娘がいなかったら観ることはできなかったかもしれない

それよりも 複雑性悲嘆の治療を受けなければ
一生観ることはできなかったかもしれない


複雑性悲嘆って なんじゃい?と思いつつ
カウンセリングとか 心のケアとか そんなことに対して
否定的でいた私だけど

必要な人がいると思う
その時は、必要でなくても いつか必要になる時があると思う


その治療を受けたからといって 悲しみはなくならない
それは、治療を受ける時に先生から 説明を受けた

直後だったら 受けていないだろう治療

17年が経ち 自ら この苦しみを自分の中で
どう受け止めたらいいのかが知りたくて受けた治療


心理学会とか 心のケアとか 悲嘆とか グリーフケアとか
どれだけ 役に立つか わからないけれど

その存在を必要として それらによって
心が落ち着くことができた人がいると思う


同じ思いをした人たちとの出会いも
寄り添おうと思って 頑張ってくれた友達や親戚

また、震災とは全く関係のない 友達

そして カウンセリング・・・・

そのすべてが 今の私を作ってくれたと思っています

だから、私は、私がかかわってきたすべてのことに
意味があったと思うし 感謝しています



なんか 話が あっち行ったりこっち行ったりで
ぐちゃぐちゃだけど。。。。

ま、いいか・・・・笑



数年前に 高校の同窓会をしたときに
担任でもあり 現代国語の先生が言った

「お前は、文章を書くのが下手だった」って(笑)


以前、出した本「ゆうへ」の出版社の社長さんも
私のホームページを見て
「素人らしいところがいい」って 言ってた(苦笑)


いいのいいの
別に 大学受験のための 小論文を書いているわけでもないからね


2012年10月31日の 思いの記録でした~(*^^)v
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2012.10.31 Wed l 心のケア l コメント (2) トラックバック (0) l top

今日、母と将君のことについて話した

改まってというよりも 日常会話の中での一コマ


母「将君って 大きくなっているのかな?あの時のままだったら 二人のおじいちゃんにかわいがってもらっているだろうし 19歳になっていたら二人のおじいちゃんの介護をしているのかな?介護してるんだったらかわいそうだね(笑)」

私「どっちだろうね あの時のままでいる気がするけれど お供えするものは 小さいとき好きだったお菓子って もう卒業かなって お供えしなくなったことを考えると 自分の中で 大きくなったのかなって思う。でも、介護しているなら 小さいときのままのほうがいいな」



どっちなんだろうね?
私は、娘の成長と将君の成長を重ねて生きてきたので
成長している感じがするけれど

成長した将君って 想像できないし
小さいままのほうがいい気がするし


でも、来年の20歳のお誕生日には
ビールや日本酒なんかをお供えするのかな?


突然の死
亡くなった人の意志が分からないと
残された人は、どう生きていけばいいのか
どうしてあげるのがいいのか わからない

将君は、小さかったので
どんな子になっているのか 想像でしかわからず
どんなふうに物事を感じて 受け止めるかもわからなくて


ただ、わかることは
ママやパパ 優ちゃんのことが大好きだったってこと
2012.10.30 Tue l 将君への想い l コメント (0) トラックバック (0) l top
あんなに 元気にならないって
なっちゃいけないって思っていたのに


いつの間にかに 元気になっている

でも、将君の死を乗り越えたわけでもなく
受け入れたわけでもなく


7年間 お化粧もおしゃれもしないでいた
しちゃいけないって思っていた

そのころの自分の写真を見た

今よりも 18歳若いのに
今よりもおばさんに見える


でも、いつの日にか お化粧をするようになり
笑うようになり 前を見ることができるようになった


あのころの私が 一番なりたくなかった
一番なっちゃいけないと思っていた自分になってしまった


あの頃思ってた
子供を亡くしたのに 元気になる人は
子供のことを思っていない人だって

冷たい親なんだって・・・


私は、違う 将君のことを思っているから
絶対に元気になれない なれない 一生悲しんで生きていく
そう生きることが
将君への愛情のあらわれだと・・・・


なのに・・・・私・・・。


私は、冷たい親なんだろうか?

悲しんでいたころの自分の写真を見て
ふと、そんなことを思いました



ねえ、将君
将君は、どう思う?


今のママをどんなふうに見てる?
どんな ママでいてほしい?

笑っているママを見て
安心してくれている?

僕が死んだのに何で笑っているの?って
悲しがっている?

まだ、ママを探して泣いている?

それとも もうそちらの生活に慣れて
お友達もたくさんできて

みんなで ママたちのことを心配してるの?



元気になって 生活しているママを
よかったって 安心して見ててくれている?


随分前に 思ったんだ
将君ができなかった 楽しいことをママがいっぱいして
将君に会ったときに そのお話をしてあげようって

だから、楽しいこともやろうってね


ママは、あの時よりも 18歳 年を取りました

あの時 何年将君のいない時間を過ごさないといけないんだろう?
平均寿命を考えて その長さに気が遠くなりそうになった

そんなに長い時間 将君のいない時間を過ごさなきゃいけないの?って。



でも 気が付いたら 18年近く経っていた


それだけ 将君に近くなったんだよね
(*^^)v
2012.10.29 Mon l 将君への想い l コメント (0) トラックバック (0) l top
将君のホームページを作ってネットで自分のことを書きだしたとき

「掲示板」やメールで いろんな人からメッセージをいただいた。

自分と同じような経験をした人だけでなく 
励ましのメッセージなどもいっぱいいただいて・・・。


その方たちと交流が始まった。
メッセージや掲示板への書き込みなど きちんとお返事を書かなきゃって
思っていて 交流が増えれば増えるほど
それと比例して お返事を書くために 睡眠時間も減っていった

でも、きちんとお返事を書きたかったから
そのことに一生懸命になっていた時期があった

日常の生活の中で 将君とかかわれる時間であったから
将君のことを話したり 考えたりできる時間であったから

苦では、なかったけれど
日常のいろんなんことや 自分が精神的にしんどくて
お返事を書くことができない日々が続くと
書かなきゃって 思えば 思うほど
書けずにいることに ストレスがたまっていった

お返事書けなくてごめんなさいという気持ち

その気持ちが、自分のなかでしんどくなってしまって

結局 掲示板をパスワード制にして
パスワードを知っていないと書き込めないようにしてみたり

将君のホームページを公開するのをやめた時期もあった

そうすると みんなから どうしたの?って
メールが来たりして その返事をするのも しんどくなった時期もあった


再び 将君のホームページを公開したときに
自分自身の心を守るために 掲示板のお返事は、書くのはやめようと決めた


ただ、お子さんを亡くされた方で
直接 メールをいただいた方には お返事を書いていた

子供を失った人たちの メーリングリストで
お互いの思いを書き それについて 自分の思いも書き
こんなことで悩んでいるけれど どうだろう?
なんていうことを 話していた

今思うのは、他の方へのアドバイスなどを書くことは
結局は、自分の思いを整理するという作業だったんだなって。

誰かのために書いている お返事やメッセージなどは
結局 自分自身への メッセージだっただと思う
自分自身のために役に立っていたんだと思う


ただ、ネットの中で 文字だけで思いを伝えるのは
とても難しく 自分の想いと違う形で 相手に伝わってしまったりする

また、自分にとっては、元気になるできごとであっても
ある人にとっては、聞きたくないというできごとだったりする

メーリングリストという たくさんの人がいる場所では
そんなちょっとしたずれが 相手を傷つけてしまう

傷ついた人は、そんなに深い意味もなく
「ちょっと 辛かったな・・・」と発言したことで

言ってしまった人は、自分が人を傷つけたと思って
ショックを受け落ち込む・・・・

ちょっとしたことで 最初の歯車がずれてしまうと
どんどん それがずれてしまい お互いの思いが
きちんと伝わることなく お互いが  辛い思いをしたりする

みんな
そんな風になりたくないのに もっと、お互いに寄り添いたいと思うのに
子供を失ったママたちには そこまで思えるほど余裕もなく
ちょっとしたことに傷ついてしまう

あの時、改めて 文字で気持ちを伝えることのむずかしさを痛感した

でも
あの時 いろんな人の思いを知り
そして、その思いに対してそれぞれの思いを伝えることができたことは

自分の心の整理をするためには
大きく役立ったと思う

ただ、自分勝手な思いを書くことができないけれど
また、それはそれで 相手のことを思いやるための 訓練になると思うし(笑)

今は、ブログというものがあって
簡単に思いを書き それを誰かが読んでくれている

コメントがなくても
自分自身の思いを書くことで いろんな思いを整理していると思う

そして、これをいつの日にか 今よりも前を歩く 自分が読み返して
あ~ こんな風に思っていた時期が あったなって
振り返ることで その時まで頑張って聞きてきた自分を
褒めてあげれるための 「頑張りの結果」だと思えると思う。


こうやって 過去の自分を振り返ると
いつも最後に書いているけれど

ほんと、いろいろなことをしてきて
いろんなことを感じてきて 今の私がいるんだなって思う

18年…
そんな長い時間って感じがなく 「ついこの間」と感じているけれど

やっぱり 18年なんだね。。。笑
2012.10.26 Fri l 心のケア l コメント (2) トラックバック (0) l top
9年前に私が書いた本「ゆうへ」を読み返した

もう、すでに絶版になっていて 古本としてしか購入できなくなってしまっている

ちょっと 寂しいけれど 仕方ないね(>_<)

私が、将君のホームページを作ったもともとに理由は
震災から 4年が経ち 自分の中からも 友達の中からも
将君のことが 薄れてしまうんではないかという不安が強くなったから

そして、一緒に遊んだ将君のことを
優ちゃんに 伝え残しておきたかったから


そしてそして、4年が経ち 少しずつ外に出れるようになり
みんなと笑えるようになって
みんなに 元気になってよかった。。。なんていわれたときに

本当は、そうでない自分の心の中の 苦しみ悲しみなどを
みんなに知ってほしかったから

だって、めんとう向かって そんな風に言えなかったから

元気そうでよかったといわれて
「そんなことないんだよ まだつらいよ」って言うのが
精一杯だったからね

今、どんなふうに思い苦しんでいるかを 知ってほしかった
だから、ホームページを作った年

まだ、「あけましておめでとう」が言えなくて
言いたくなくて 送ることができなかった年賀状の代わりに
1月17日に届くように 将君への思い綴って送っていた
寒中見舞いに お知らせとして アドレスを載せた



何人かからは、すぐに連絡がきた

でも、そうでない人もたくさんいた

だれも 関心を持ってくれていないのかな?
なんて 一人落ち込んでいたりしていた(笑)



でも、後で知ったことだけど
主人の妹は、私の気持ちを知りたいと思って
いろんなことしてくれていたみたい

今ほど、心のケアとか 悲嘆とか そのプロセスとか
そんなことが 一般的じゃなく
簡単にネットで調べることもできない時代だったけど
行政に連絡をして できる範囲で 家族を失った人の思いを
知るための勉強をしてくれていた

年賀状ひとつ送るにも
色々悩んだ末 送ってくれた友達もいた


震災から10年経ったときに
同窓会をした

そして、たくさんの友達に再会した

私のことを知らなかったと泣いて謝ってくれた友達


知っていたけれど、何もできなかった
高校時代 あんなに仲良かったのに
何もできずに 10年間を過ごしてきたことを
ごめんなさいと 泣きながら過っくれた友達


そうだったんだよね
私に直接連絡をくれた友達だけが
私のことを心配してくれていたわけじゃなかったんだよね


何をしていいのか どう声をかけていいのかわからなくて
そのことを苦しんでいる友達もいるんだよね


同窓会をして 初めて そんな友達がいたことを知りました


そんななか  頑張って連絡をくれた友達に
感謝しなきゃって 改めて思いました

みんなの言葉を受け入れることができるだけ
私自身の心に余裕がなくて 否定的になったり
否定的にしか受け止められない時期もあったけれど

私は、あの時そばにいてくれた友達
そして 寄り添おうと 私のわからないところで
色々としてくれた みんなの想いの積み重ねが
今の私の「元気」につながったと思っています

これは、時間が経って初めて感じることだと思います

9年前 この本を書いたころ
始めて そんなことを感じることができるようになった時期です

将君を失って何年も そんな風に思うことができなかったけどね



ふと 自分の書いた本を読んで
あ~ あの頃は、今以上に 頑張って生きようとしていたなって
思いました

前に向いて歩かなきゃ そうしなきゃ そう生きていかなきゃと
自分自身に言いきかせていた気がします


今も、まだまだ、そう思っているけれど
あの頃よりは、肩の力が いい感じに抜けて
たくさん 優しさを感じることができるようになった気がします


その優しさを思い出させてくれたのは
将君 あなたです

将君を思う気持ちが ママに再び人としてのやさしさを
思い出させてくれました


元気になる=忘れることではない

元気になる=将君への思いがママの心に奥深くまでしみこんでくる


今、そんな風に感じています
2012.10.26 Fri l 友達への感謝 l コメント (2) トラックバック (0) l top

今日、友達と京都に行ってきました。

天国の将君のお友達のお母さんです。
そして、娘と同じ年のお子さんも持っていて

時々、ランチに行ったり お買い物に行ったりしながら
いろんなことを話します


今日は、京都へ小旅行(日帰り)。

おいしお店でゆっくりと食事をし
家族と出かけるとゆっくりと見れないお店を
ゆっくりゆっくりと、周りました

行先は、祇園 建仁寺 清水寺
三年坂 二年坂 ねねの道・・・

この辺りは、京都らしい建物が多くて
改めて 京都って素敵だなって思いました

たまたま入った ガラス細工のお店
そこで、二人は 天国の子供たちへのお土産を買いました

友達は、女の子だったので ひまわりの花束のガラス細工
私は、あくまちゃんと 天使ちゃんのガラス細工

あくまちゃんは、ひとめぼれで 決めました

20121025_200954t.jpg


夕暮れになって お店の中に灯りがつき
その あたたかい感じの灯りが 私たちの心を癒してくれました


二人でよく話します
17年前のあの日 再び、こんな風な時間を
過ごすことができるようになるって思えなかったよねと。

周りから見ると きっと元気になった私たち
自分たちも あの日に比べて 本当に元気になったと思う。

でも、将君のことは
私の心の中であたたかいぬくもりとして
いつまでもいつまでも 存在しています

そんな風に感じることができる
素敵な旅になりました
2012.10.25 Thu l 将君への想い l コメント (0) トラックバック (0) l top
前も同じような日記書いた気がするけど再び


想いを綴る・・・


日記 ブログ


この13年間ほどで ネットで思いを綴る方法が
色々変わってきた

私が、初めてパソコンを買ったのは
1995年

当時、ホームページといえば
企業や行政のものがほとんどだった

子供の死 と検索しても
何も出てこなかった時代

HP作成ソフトの普及で
徐々に 個人でホームページを作る人が増えてきた


そこでの交流の場は、
掲示板というもの。。。。


ホームページを読んだ感想や
交流などは、その人のホームページの掲示板に書く


個人情報も今ほど 厳しくなかったし
みんな 個人情報保護などに対しても 今ほど気にしていなかった


だから、メールアドレスも普通に公開していた


私は、日記を自分が作ったページで書いていた
更新するには、ホームページ作成ソフトを起動して
書いたものを サーバーにアップする

それがめんどくさい人や
ホームページほどじゃないけれど
想いを書きたい人は、

「レンタル日記」というものを借りて
自分の思いを書いていた


ブログができたとき
ブログってなになに?っていう感じでした

今は、たくさんの人がブログを使って
自分の思いを気軽に書くことができる


でも、時々思うの
ブログに思いの書くことってなんだろう?って

どんな人が見ているかわからない
もしも、もしも 自分が書いたブログを読んで
傷つく人がいたらどうしよう・・・

傷つけちゃったらどうしよう?って


そんな風に思うのは、私が目にするネットの情報の中で
その方は、自分の思いを書いているだけなんだけど
その内容が 私にとってはとてもつらいものだったりすると
読んでいて悲しくなってしまう

その人は、その人の感覚でその人の思いを書いているだけ。
読んでいる私が 勝手に傷ついて落ち込んでしまっているだけ。

そんな経験をすると
自分が自分の感覚で書いたブログによって
人を傷つけていたらどうしようって思ってしまう


悪気はなんだよ
でも、読む人にとって 辛いことを書いているかもしれないって思うと
書くことを躊躇してしまう


実際に書くことができない思いもいっぱいあって
それはそれで ここで書く必要はないんだけど


そんなことをふと考えると
このブログの意味って??って 思ってしまう


自分の気持ちを整理するため 想いを記録するためにという理由もあるけど
それなら 公開しなくてもいいことだものね


以前は、自分の思いを誰かに聞いてほしくて
それに対して 誰かがレス(もしかして 死語??)してくれて
それに、また レスして。。。。
そのことに いやされて という感じだったけど

今は完全に 書くことで すっきりさせて自分で満足している


レスしてほしい内容のものは
facebook で こと足りしてるし。。。


ははは
よくわからなくなってきたわ・・・・笑
2012.10.22 Mon l 日常の想い l コメント (2) トラックバック (0) l top

ネット時代

色々と便利だけど
自分の思いを書くこともできるけれど


余計な情報も入ってくるので
時々、すべてのつながりを切りたくなっちゃう


SNSやfacebook ツイッターなどなど
上手に使えばいいんだけど

気持ち的にしんどい時は
疲れちゃう・・・


最近、気分がよくないのは
忙しくて 自分のしたいことができてないから?

今週は、友達と 京都に行ってきます
いろんなことを話せる 友達・・・
そして、将君のお友達のママでもあります。

京都まで行く時間がなかったら
神戸あたりで おいしいもの食べてきます

いろんな話 聞いてもらおうっと。

ひきこもっている時でも
会える友達の存在って大きい
2012.10.22 Mon l 日常の想い l コメント (0) トラックバック (0) l top
地震から 9年ほど経ち
1歳半だった娘が 10歳になったころ

人と防災未来センターという 地震を伝えるための
施設に 小学校の校外学習で行った

将君のことは、先生に話していたので
先生から 人と防災未来センターに行きますが
優ちゃんは、大丈夫でしょうか?と
相談があった。

どんなふうになるか 想像がつかないので
他のお子さんと同じようにしていただいて大丈夫ですと伝えた


校外学習から帰ってきた娘が言った

あんな大きな地震で将君が死んだの初めてわかった
将君が死んだこと 初めて悲しくなったと。


その3日後 隣に住んでいた私の父が突然亡くなった。


娘は、おやすみなさいをする前まで
おじいちゃんと一緒に過ごしていたので
大きなショックを受けた。

ちょっと前に行った 校外学習での恐怖と
おじいちゃんの死が、重なってしまったからかもしれない



少しずつ大人になる中で
『死』や『子供を失う悲しみ』を少しずつ理解できる
年齢になっていたのかもしれない


父が亡くなる前のある日、テレビで
「阪神大震災」の予兆があったという番組が放送それていた

娘は、テレビの画面をドンドンとたたきながら言った

「わかっていたなら もっと前に言ってよ
そしたら、将君は死なずに済んだのに」と。


地震のことも将君のことも
覚えていない娘だけど
19歳になった今、とても将君に会いたがっている


生きていたらどんなんだったのかな?
戻ってきてほしいなって。


きょうだいを亡くした子供たちの想い
子供を亡くした私には、理解してあげれない


でも、ひとつだけわかるのは
ママが、泣いている姿を見るのがつらいということ
亡くなった将君よりも
自分のことをもっと見つめてと思っていること


そんな娘の思いが 気が付いていても
どうすることもできなかったあの頃


何度も伝えてきたので
わかっていると思うけど

あなたがいてくれたから
ママは、生きることができた

ありがとう
2012.10.21 Sun l 優ちゃんの想い l コメント (2) トラックバック (0) l top
今、ずっとずっと前
この本が出た時に買った
「悲しみが、やさしくなるとき~子供を亡くしたあなたへ」
という本を、読み返している

それを読んでいると
自分が言われて辛かった言葉などが思い出された


悲しみの中にいるときには
つらいと思ったけれど それに対して怒りを感じる心の余裕もなく

ただ泣くだけだった・・・・。


たくさん言われた中の一つを
書き残しておこうと思う


これは、同じようなことを何人かの人に言われた
双子でよかったね

もう一人いるから・・・


って。


もう一人いるから いいってもんじゃない。
将君がいないから悲しいのって 思った。

もっと、ひどい人は、
神様は、こうなることが分かっていたから
あなたに双子を授けたのよ

だから、もう一人のこのために頑張って生きなきゃね


って。


この人は、気づいていないよね
励ましているつもりだけど 
とても残酷なことを言っているってこと。



ま、いろいろありました(・・;)


そんな中でも生きなきゃいけない
そりゃ 強くなるわ。。。。苦笑



ひきこもる生活の中で
頑張って外に出てみたら そんなこと言われて
また引きこもって・・・・(-_-;)


外に出るのが怖くなった時期も
何度もありました
2012.10.21 Sun l 辛かった言葉 l コメント (3) トラックバック (0) l top
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