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この間、うちと同年代の娘を持つ友達とランチに行ったときに
娘たちのネット事情(?)について 話をしました

絶対にネット依存症になっていると思うぐらい
ずっと、携帯触っている・・・

ツイッターやラインなどなど・・・


ネットやメールって 顔を見ないで 文字だけで
想いを伝えたりするから

顔を見てると 言えないような批判や中傷なども
平気で書いちゃう・・・ 

何気ない言葉が 読む人にとって
鋭い刃となり 傷つけてしまうことも多々ある

ネット上のブログやコメントなどが原因で
学校の友達関係が おかしくなってしまうこともよくあった



『公開』が、前提のブログに自分の思いを書くこと
私自身もブログで思いを書いているので いろいろと考えてしまいました(>_<)

自分と同じ思いの人 共感してもらえる人はいいけれど
そうでない人たちのこと
傷つけてたりしてないかな?って・・・・


ネットって 便利だけど
使い方や配慮が足りないと怖いね


親の立場から見ると
読むから 悲しくなってしまうんだったら
読まなければいいのにって 思うけれど

気になっちゃうみたいで 読んでは 傷ついてしてるんだろうね
って 話してた


子供に限らず 大人の世界でも
言えることなんだけどね・・・・



って、こうやって書いている私のブログでも
知らず知らずに傷つけてしまっているのかもしれないと思うと

不特定多数の人が見ることができるブログって
怖くて気軽に書けなくなっちゃうね
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2012.11.30 Fri l 日常の想い l コメント (0) トラックバック (0) l top

今日、フィットネスに行ってきました


踊ったり トレーニングしてさえいれば
誰とも話したりしなくても いい空間なので
今の私の居場所的な存在です

でも、フィットネスでしか会わない友達と会うと
ついつい 長話してしまうんだけどね。



腰を痛めてから
ストレッチをたくさんしてくださいと言われて

ストレッチマットの上で
1時間ほど、ストレッチしたり 筋肉をほぐしたりする時間に
とても癒されています・・・(^o^)

ストレッチポールという円柱形のものに乗って
足や背中などをゴリゴリするんだけど

使いすぎた筋肉の場所は 固くなっていて
すごく 痛いの。 激痛!!って感じで。

そうかと思ったら すぐ横は、全然平気だったり。


そのゴリゴリをしているときに思いました。
体の筋肉って 使いすぎてたりして ダメージを受けると
こんな風に固くなってしまうんだ

心にもいろんな部分があって
弱い部分や傷ついた部分なんかは
ちょっとした刺激で激痛が走るんだろうなって


体は、そうやってストレッチをしたり
ほぐしたりして 整えていくけれど

心って ダメージを受けた時って
どうやって 整えていけばいいんだろうね


きっと、いろんな方法が あるんだよね


ダメージを受けているときって 
心も静か考えることができなくて

どうやって整えていくかを考える余裕も
なくなってしまうのかもしれない


一日のうちでも浮き沈みがあったり
一度 バランスを崩して倒れたら
どんどん 落ちて行って


私、地球の裏側に来ちゃった??これ以上落ちたら
ブラジルのマンホールから 顔だしちゃうかも??って
思うぐらい 落ちちゃう・・・笑



これ以上 落ちようがないというところまで落ちたら
そこで しばらく暮らすのもいいよね

真っ暗な中 自分と向き合う時間も
きっと必要だものね


そんな風に思いながら 過ごしてきたな



ねえ、私・・・。

寒くない?

ほっかほっかの豚まんと あったかい
羽毛のお布団 差し入れるから
しばらくは、そこで ゆっくりしとき・・・

苦しい思いも 悲しい思いも 
自分を責める気持ちも 否定する気持ちも
そのまま受け入れていいんだよ

だって、消そうと思っても 消える気持ちじゃないもの

って もう一人の私が いつも そう言ってくれていた



そんな自分の思いに甘えて
しばらく ゆっくりと 休んでいると
不思議なことに ふと這い上がろうって思える時が来るんだよね


そして、ふと横を見たら
将君が 一緒にいてくれているの

将君と一緒に手をつないで
一歩だけ 歩いてみる

たったの 一歩だけど 将君と一緒の一歩は 
次 同じように落ちた時の私の最高の力になってくれる



でも。。。


せっかく歩いた 一歩なんだけど
また、五歩ぐらい 戻ってしまう時もあるんだけどね。。。苦笑


そして 逆戻り。。。。(^_^;)


でも、その次の一歩を出すときには
将君と優ちゃんが そばにいてくれる


そんなことの 繰り返しだったな




今だから、思えることだけど
(振り返って思うのは)
少しずつだけど 歩くことができたのは
どん底に落ちた時に いろんなことを考えて
結果的にそこから出ることができる 何かを見つけてきたから


その『何か』って 意外と重要だったなって

どん底から 歩き出すって
本当に大変なことなんだよね

すごい パワーがいるのよね

そんな大変なことを 何度もしてきたんだよね 私。。。
(エヘン!と胸を張ってみる 笑)



あれ?
筋肉から また 話が 飛んじゃった


すみません
こんな しょうもない日記で・・・(^_^;)

文章書くの下手だから
考えすぎて 何が言いたいのか 
意味不明になっていたらごめんなさい
2012.11.23 Fri l 心のケア l コメント (0) トラックバック (1) l top
今日、ちょっとだけだけど 友達とネットで話しました

将君への思い
自分の中で 確信が持てなかったこと
友達と話して 明確になりました


二人は、来年 20歳になります
生きていれば 将君も お兄ちゃんを通り超えて
大人の仲間入り・・・


子離れの時期なんだよね・・・


子離れしても お母さんは いつまでも
子供のことを大切だし 愛してる

子供も親から離れて 大人になる

そんな 子供の成長に さみしさを感じながらも
子供の成長を受け入れていかないといけない

そして、子育て以外の自分自身の生きがいを見つけて
人生を送っていく・・・・


私の周りの友達 子供を失っていないけれど
子供の成長にさみしさを感じながら
それを成長だと受け入れて
自分の生きがいを探して人生を楽しもうとしている


将君が死んでしまった悲しみ つらさ 後悔 罪悪感
そして、会いたいという気持ちは 一生消えることはないけれど

子離れをする時期に来ているのかな?って思う時がある

この思いをどう言葉にすれば 伝わるか わからないけれど
自分のために楽しみを見つけて生きてもいいのかもしれないって。


娘が いつも 言っている
「ママ、私はもう大きいから 
これからは、ママは、自分の人生を楽しんでいいんだよ」ってね


今までも そうであったように
娘の言葉は、同じように成長している
将君の言葉でもあるんだろうな


優ちゃんがそうであるように
笑顔になれたママをみて 20歳になる 将くんも 
ちょっと安心してくれるよね


わかってくれているよね
ママの笑顔は、将くんを忘れて元気なった笑顔でないことを…。


ん~ うまく表現できてないな…

また、何度かこのことについて書いてみようと思う
2012.11.21 Wed l 将君への想い l コメント (0) トラックバック (1) l top
今日、来年の1月17日に 神戸の東遊園地というところで行われる
阪神淡路外震災の追悼の集い「1.17のつどい」で使われる
ろうそく作りのお手伝いに行ってきました

http://www.kobe-np.co.jp/rentoku/sinsai/18/201211/0005533591.shtml

自分が生き続けるために何をすれば 生きていていいのかな?って
ずっと考えて生きてきました

そして、今も確実な答えは出せていません

いくつか考えた中の一つ
『震災にかかわって生きていくということ』

何をすればいいんだろう?全く白紙の状態でした

2002年1月17日 初めて 東遊園地の「1.17のつどい」に行きました

そこで見たのは、
竹筒の中に浮かべているろうそくを取りかえているボランティアの方たち

「これなら 私にもできるかも?」
そう思って ネットで調べて 集いにかかわっている団体に連絡をしました

それが、私の震災にかかわる第一歩でした

それから いろんなことをしてきました
語り部や「1.17のつどい」会場で
ろうそくに火をつけるための ろうそく配りなどなど

そして、2年前から 竹筒に浮かべるろうそく作りのお手伝いを始めました

年に1回か2回だけしかお手伝いできないのですが…


何年か前から
竹筒に息子の名前を書かせてもらっています

担当している方が知り合いということもあって
特別に書かせてもらっています


父が亡くなった年は
父の名前も書かせてもらいました


写真は、2年前の「1.17のつどい」の時の写真です
知り合いのお子さんの名前が入っている竹筒の隣に置きました。

天国で仲良くしているといいなって思います。
IMG_1535a.jpg

竹筒に文字を書く作業は、来年に入ってから行われます
年明けには、娘と息子の名前を書きに行ってきます


みんなの思いが 天国のみんなに届きますように
2012.11.21 Wed l 震災・ボランティア l コメント (2) トラックバック (0) l top
ふと 思う・・・

私の居場所って どこなんだろう?って。

自分の思いをすべて出せる場所 出していい場所



みんな そんな場所を持っているのかな?



私が、話をしたら 聞いてくれる友達はいると思う。
でも、私が 遠慮して言えないだけかな?

昔から 自分の思いを出すのが下手だった
甘えるのができない子供だった


大変な時 誰かに寄り添いたいのに
それができない私

大丈夫 大丈夫と 言いながら
必死で自分自身を自分自身で支えていた

全部を言うことができる場所を持っている人って
意外と少ないのかもしれないね
2012.11.20 Tue l 日常の想い l コメント (2) トラックバック (0) l top
今、某テレビ局の取材を受けています

来年 20歳になる 子供たちのために
何ができるだろうと ずっと考えていた

その中の一つ


取材なので 利用されている感たっぷりなんだけど(笑)

震災のことをずっと 伝え続けたいと
震災のことは、いい加減 もういいんじゃない?と
世間が 考えている中
信念を持って 伝え続けたいと思ってくださっている方


今年は、初めて 娘が中心の取材です
今までは、娘の取材は NGだったけれど
20歳ということで 一人お大人として
認めるための 私の訓練でもあります


その中で、娘は、学校の友達に
将くんのことを話す機会を作ったようです


震災のことも将くんのことも
覚えていない 娘だけど

1歳半から 今までの間に
いろんな経験をし いろんなことを感じてきたのでしょう


二十歳に向けて
大人への 大人の階段の初めの一歩だね
2012.11.15 Thu l 優ちゃんへの想い l コメント (0) トラックバック (0) l top
20120507_010353a_600.jpg

我が家の ハッピーちゃんです

めちゃくちゃ 癒してくれます(*^_^*)
2012.11.15 Thu l 素敵な生活 l コメント (0) トラックバック (0) l top

いろんな思いが 頭の中 ぐるぐる回りすぎて
思いを言葉にできない・・・・


自分の思いを大切に
過ごしてきた 18年間の自分を信じて
頑張ろうっと



私は 私…



パソコンの調子が悪くて
10月に入ってからのメール
全部消えてしまいました

もらったメールも
送ったメールも すべて・・・・(ー_ー)!!


送ってもらった大切なメールが消えてしまったのは
ショックです


このブログ、見てくださった方
お暇なら 送っていただいた メールと
私がお送りしたメール

転送していただけたら うれしいです
2012.11.15 Thu l ママの想い l コメント (0) トラックバック (0) l top
神戸市中央区で毎年 1月17日 5時46分に合わせて
ついとうの集いが 行われる

阪神大震災で亡くなった方たちへの慰霊の行事

5時46分に合わせて
竹筒に浮かべられたろうそくに火を灯し
黙とうする


震災から 3年経った 1月17日
別の場所で始まった 追悼のつどい
翌年、その場所で行われるようになった


テレビなどでその様子を見て知っていたけれど
朝、5時46分という時間であること
娘が まだ小さかったということ
その場所に行くのが 辛いという理由から
そこに行くことをしなかった


それまでは、亡くなった実家で
朝の5時46分を両親 弟家族と過ごした

でも、毎年 みんなが集まってくれる
弟家族は、東京からわざわざその日に合わせて
帰省してくれた

いつまでも この状態を続けるわけにもいかない
子供たちも ドンドン大きくなり 学校にも行き始めるし

そう思うと、少し、申し訳ない思いも生まれてきた

みんなからは、その時間に起きて
仏壇の前で過ごすのは、やめたいとは言えないだろうと思った


自分から そこに集まることを
やめなくてはと。。。。



そして、外で5時46分を過ごすことにした

両親は、ちょっと寂しそうだったけど。。。

娘も小学生になり
一度、東遊園地に行ってみようと思い 行くことにした


でも、亡くなった時間に 将君を家で一人ぼっちにしたくない
だから、将君も一緒に連れて行った

写真を持っていたので かなり目立ったけれど
そんなことは 気にならなかった


****************************




私は、将君が亡くなって
自分が生き残り どんなふうに生きていけばいいのか
わからない時間を過ごしてきた

どう生きれば、自分が生き残ったこと
将君を助けられなかったことを
将君に許してもらえるんだろう?

自分が元気になりたいとか 罪悪感をなくしたいとか
そんなことは 思わなかった

むしろ、元気になったり 罪悪感を取り除くことに
強い嫌悪感を持っていた

それを持って生きていくことが
守ることができなかった 自分への罰であるかのように
思ったりしていた


でも、生きなければならなかった
生きてくれていた娘のために・・・

しかも 幼くて これから人間形成される時期の
娘のことを思うと ただ生きているだけではいけなかった


笑顔でなければ・・・・


息子と娘
二人とも 私の大切な子供たち

亡くなった息子だけが大切なわけではないから




どう生きれば、将君は
ママ、生きていていいよ って 言ってくれるんだろう?

何年もそう考えながら 答えは見つからずにいた

生きてていい理由 許してもらう生き方を
ずっと 今も探し続けている

一番最初に考えたのは
将君のことをみんなに忘れないでもらうためには
何ができるかということ

毎年、辛くて送れなくなった年賀状の代わりに
1月17日に届くように寒中見舞いを送ること

自分が 将君を思い続けること
忘れないでいてほしいという想いを綴った

かなり ネガティブな寒中見舞いで
もらった人も困っただろうなって
今、思い出して思う・・・・笑

でも、当時、そんなことを思う余裕は
当然なく。。。必死で将君のことを思う気持ちを伝えた


次は、自分が 社会に出て(ただの日常を送るだけだけど、、、笑)
友だちに将君の話をするということ

寒中見舞いは、そばにいない友達宛
周りにいた友達には、自分自身の言葉で

そして、山口から 神戸へ転勤になった
やっと 被災地にもどれる やっと 自分の思いを若手もらえる人と過ごせる

そう思っていた

でも、震災から4年経った 被災地は
復興 前を見て生きる そんな風に時間が流れていた

あの日から、時間が止まっていた私は
被災地の復興の時間の流れに ついていくことができず

いつまでも 将君のことを思って生きている私に
前を向かなくちゃと たくさんの人が言った

身近な人からの言葉が一番つらかった


私は、ネットのメーリングリストの世界
子供を亡くしたママたちとの世界にはまっていった

そこでは、普通に将君のママでいられる
将君のことを普通に話せる

どんな私も受け入れてくれた
そこで、いろんな人の話も聞き
その方たちへの自分の思いも書いた

思いやりの気持ちもそこで生まれたのかもしれない

自分の思いを書くことだけじゃなく
いろんな人の思いについて いろんなことを書くことは 

結局は、相手のためでなく 
自分自身に言い聞かせて書いていたのかもしれない

と 今そん時を振り返って思う

そこで、私は、いろんな人の意見や想いを聞いて
自分自身だけでは、考えルことができかなった視点で
いろんなことを見ることができた 考えることができた

ホームページを作りたいと思ったのも
ネットで知り合った友達が 亡くなったお子さんのために
ホームページを作ったと聞いたから

将君と一緒に行きたいと思っていた
ディズニーランドも 将君がいなくなって
行くことができなくなっていたけれど

その友達が、亡くなったお子さんの写真を持って
ディズニーランドに行き
ミッキーと一緒に写真を撮ってもらったと聞いたから

涙涙だったけれど
将君のために 将君のために と自分に言い聞かせて
行くことができた

私が、こうやって一歩ずつ前に歩いてこれたのは
将君を思う気持ちがあったから

その時その時は、そのことが
前を向くためだとは 考えてはいなかった

前を向くことを 
強く強く 強く強く(しつこいぐらい)否定していたから

でも、時間が経ち 自分のそれまでのことを振り返った時に
結果的に 将君のことを思ってやってきた一つ一つが
ママを前に歩かせてくれたんだと思った

将君のことをみんなに知ってほしい
忘れないでいてほしい

そして、自分が今でも悲しい気持ちでいること
みんなには、元気になってよかったねと言われて
そうじゃないんだよと思いつつ
その気持ちを 言うことができなかったこ
そんな思いをホームページに書くことで
読んでもらって知ってほしいと思ったから

今みたいに ブログやツイッター
mixiやfacebookのない時代だったから

ホームページしか 伝えることできなかった

それをしても
私は、まだ、自分が生きていていいと思うことができなった

でも、私のことを思ってくれている
大好きでいてくれる娘のために生きていかなければならない
生きていたい と思い始めていたので

生きていい理由を探し続けた

そして、いつしか
震災にかかわる何かをしたい そう思い始めていた

でも、私にどんなことができるの?
すごいことはできない 
小さい子供を抱えてできることも限られている


そんなことを考え始めた



そして、2002年1月17日
東遊園地のついとうの集いに始めた行った

そこで、竹筒の浮かべられたろうそくを
取り替えているおじちゃんが目に入ってきた

そこで、ボランティアをしているおじちゃん

それを見て思った

『これならできるかも』って


すぐに、ネットで検索して
自分の状況と想いを伝えた


毎年 前日の16日から 遺族の方の交流のテントが設置される
一晩、みんなそこで過ごして 朝の5時46分を一緒に過ごす

最初は、ただ 参加するだけだった

そこには、炬燵があり 大人も子供も
いろんな話をしながら集まっている

笑いも涙もある場所。。。。


毎年参加するうちに
自分たちにもできることをと
お手伝いをするようになった

消えてしまった ろうそくを取り替えたり
来てくださった方に ろうそくを配ったり。。。


そして、次の年には、娘と竹筒を切ったり
ろうそくを作るお手伝いに行ったり
竹筒に言葉を書いたりした

おじちゃんと仲良くなって
将君の名前も竹筒に書かせてもらった

父が亡くなってからは、父の名前も書いて
将君の名前の書いた竹筒の横にいっしょに置いた


一般でいう ボランティアだったのかもしれないけれど
私にとって、それは ボランティアではなく
将君のためにできること 自分が生きるためにできることだった


そこで いろんな人と出会った

そして、そのつながりが 自分が生きていくうえで
プラスになったと思う


震災から18年
本当にいろんな方と出会ってきた

そのすべてが 私にとって大切な人だった


竹筒に浮かべるろうそく作りが
今週から始まる

3年前から 再びお手伝いを始めた

当時から続けているその方たちも 
もう70歳を超えている

中には、80歳を超えている方たちもいる


寒い中 朝早くから 遅くまで作業をしていらっしゃる方

それぞれの震災への思いが
みんなをこれだけ長く続けてくださっているのだと思う


テレビのニュースとかで見る 竹筒にろうそくをともしている
ついとうの集い

その裏には、たくさんの方の思いがあり
竹筒ひとつひとつ 全国からのみんなの思いが
詰まっている

そして、当日 あの場所に来る方

通勤前に一人で来られるサラリーマンの方

夕方の5時46分にも点灯するので
その時には、小さい子供さんを連れてこられる方も多い

自分が子供のころに起った阪神大震災
17年が経ち 結婚し子供が生まれた

この子に 阪神大震災を伝えたいと
家族で来られたと 話してくれた人がいる

母親が、阪神大震災で亡くなったという人に出会った

彼は、ハワイから参加したとのこと

以前来たのは、10年前

10年かけてやっと 今日 ここに来ることができたと
竹筒の前で膝まづいて 祈りをささげていた


震災から18年
日々の生活の中で
世間では、もう忘れてしまったのかな?って
思うことがたくさんあるけれど

あの日あの場所に行き いろんな人を見ていると
ほっとできる

そんな風に 1月17日を過ごすことができるようになった


そう思えるようになったのは
すべて 将君への思いが大きかったから



それが、私の18年間です


色々書いてすっきりした

ジムに行って 頭 リフレッシュして 来ようっと。。。。笑
2012.11.08 Thu l 将君への想い l コメント (2) トラックバック (0) l top
1999年頃、ネットが少しずつ日常になってきたころ
子供を失った親の会のメーリングリストを見つけた

藁をもつかむ気持ちで 登録した

そこにいらしたのは、
小さな子ども 赤ちゃん、そして、死産 やおなかの中で亡くなった赤ちゃんのママたちだった

亡くなった原因は さまざま。。。

それでも、子供を失った母という共通点の元
毎日、いろんな思いを伝えあった


みんなの中で 自分たちの子供たちへの思いを
形にしたいという気持ちが芽生えてきた

冊子作成実行委員会を作り
メーリングリストで交流しながら
それぞれの思いを綴り それらをまとめ
校正担当の人がそれらをチェックし
一冊の冊子にした


名称未設定 1

「あなたを心に抱きしめて」


みんなが、それぞれ書きたいことを書いた冊子

メーリングリストだけでのやりといだったので
発行するまでに ずいぶん時間がかかった

みんなの思いが詰まった 手作り冊子


私は、この会に入って
亡くなった子供の年齢で悲しみは変わらないと改めて知った

おなかの中で亡くなった赤ちゃんのママ
辛いと感じることは 一緒だった

そして、私にはない悲しみを持って苦しんでいることも知った


あたたかい赤ちゃんを抱っこしたかった
写真があるのがうらやましい

私が、幼稚園に言っている将君を見たかったと
思っているのと同じ思い・・・


あの会で みんなで思いを伝えあったこと
こんな風に思うのは、自分だけじゃなかったと知ることができたことは

あの時の私には とても大きかった



冊子を作ることで 本の出版の話も出てきた
色々、みんなで話し合った結果

本の出版への原稿を辞退する人が何人かいた
理由は、それぞれ・・・・

それはそれで いいと思う

その会にいた人の多くは
おなかの中の赤ちゃんや生まれてすぐに亡くなった赤ちゃん

ここに私は、入らないほうがいいかな?と思った

本の出版のまとめ役だった 友達は
私の経験も大切な経験だから 原稿を書いてほしいと言ってくれた

でも、私の判断で辞退させてもらった

なんだろう?
この本は、私の居場所ではないと思ったのかな?


いろんな制限のある本の出版では
自分の思いを伝えられないと思ったのかなぁ?

いつか 一人で本を出したいと思っていたからか

とにかく その時は、原稿を書かなかった


そして、みんなの思いが詰まった本が出来上がった


「誕生死」流産死産などで 子供を亡くした親たちの想いの本

その本の出版で『誕生死』という言葉が
世間に広まった


本の出版には、いろんな制限があった
病院関係者 その他関係者の方たちへの配慮から
もともとの原稿を修正しなくてはいけなかった
みんなが一番伝えたいこと 
わかってほしいことだったりしたのに ちょっと残念だった

そして、ホームページを持っていた多くの人は
それを閉鎖しなくてはいけなかった


これに関しては、当事者ではないので
経緯は、わからない。。。。。

そんなこんなで いろんな制限の元 本は出版された


その制限がない段階の思いをつづったのが
「あなたを心に抱きしめて」という冊子



校正と言っても 誤字脱字だけ
ママたちの 想いをすべて載せている


発行部数は、限れらていて
その時のみんなでそれぞれが購入して
在庫はないと思う


貴重な 冊子



あれから 11年が経った
ちょっとだけだけど 読んでみた
あのころと違って 随分冷静に読むことができた


そのメーリングリストは
今は、もうないけれど
冊子の中のみんなの名前を見て
あの頃のいろんな思いが浮かんでくる

みんなは、どうしてるかな?
パソコンも変えて、古いメールは
新しいパソコンでは 読み込めず・・・(・・;)

連絡ができない状態

一緒に泣いて 喜んで 喧嘩して 頑張ってきたみんなに
ふと、会いたくなりました


私のホームページは、そのままのアドレス
そして、メールアドレスもそのまま

いつか、だれかが このブログのこの日記を見つけてくれて
連絡をくれたらいいなって思います


冊子を出したのは、震災から6年半・・・

あの頃は、ずいぶん元気になって これ以上元気にはなれないと思っていたけれど

今、あの頃を振り返ってみて 
まだまだ、ちょっとしたことに動揺し
必死になって腹を立てて 怒って・・・苦笑

まだまだ、悲しみの中にいたんだなって思います。


18年という時間は 本当にいろんなことの積み重ねだったってこと
ここ最近、いろんなことを振り返ることで改めて感じました

5年後 10年後の私は、この日記を読んで
どんなふうに感じるのでしょうね?

まだまだやったねって 笑って読むのかしら

それとも、もうこれが 精一杯?
今の思いのまま 一生を過ごすのでしょうか?

それとも、また どーんと落ち込んで
何年もひきこもったりする時期が来るのでしょうか?
2012.11.07 Wed l 心のケア l コメント (0) トラックバック (0) l top
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