上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.-- -- l スポンサー広告 l top

震災から何年か経った時


何年たっても 将君のことを思い泣いていた私


周りからは、ママが泣いていると
将君が悲しむよって よく言われたっけ


でも、大好きだから 大切だから
生きていてほしかったから


だから 悲しいの・・・・



将君のことを思って泣く涙は
将君を悲しませるのではなく

将君のもとに届くときには
ママの愛情という 温かい光になって届くはず

そう信じて泣いていました



結婚して7年目にママのもとにやってきてくれた子供たち

子育てをしている日々が 幸せだった
大変なことさえも 幸せと感じていた


子供たちの顔を見ているだけで
幸せだった

それが、たとえ寝顔であっても…



だから、将くんのことを思う時には
心を安らかでいれたらいいなって 思っていた


でも、将君を失った悲しみは
私にそうはさせてくれなかった



静かに静かに 将君と過ごした時間を思い出し
子ども達と過ごした 幸せな日々を振り返り
心が温かくなるような時間を過ごせたらいいなって思う


将君と優ちゃんをおひざに抱っこして
幸せを感じ子育てをしていたあの時のように・・・・
スポンサーサイト
2012.12.28 Fri l 将君への想い l コメント (0) トラックバック (0) l top

6434人

阪神大震災で亡くなった方の人数




いつも思う
「6434人」という ひとくくりの『死』で表現されるけれど

6434の一人一人に 心をはせてほしいと。


そして、その一人一人の死を悲しんでいるのは
その何倍 何十倍の人がいるということを・・・・


想像してほしいと思う



被害の大きさにより
それぞれの阪神大震災への思いがあると思う


初めは、子供を失った私に心を寄せてくれていた人も
時間とともに 私が元気になれずにいることに対して
いろんなことを言う人たちがいた

同じように子供を失った人を知っているけど
その人は、頑張って生きている

あなたは、頑張っていないって・・・・


ショックを受けた

そして、頑張れな自分に対して
自分自身で責めた


私は、頑張ることができない人だと・・・

ただでさえ、助けられなかったこと
生き残ったことで自己否定の塊だった私なのに

ますます、自己否定にの渦の中に
入って行った・・・・(>_<)



人と比べることしか 知らなかったあの頃
自分自身の想いが 普通なのか変なのか

そんなことさえ わからなかった


でも、その人には、その人の思いがあり
悲しみ方がある

その人の悲しみは
たとえ同じ経験をした者同士でも すべては分かり合えない

そして、自分自身で自分自身の方法で
受け止めていくしかない


悲しみ続けるという選択も
その人が 大切な人を思うための想いであれば


いろんなことをして 前を向いて歩くという選択も
その人が、大切な人を思うための想いであれば


その人にとって そうすることが
『今』を生きるための 想いであるなら

それでいいと思う


だから、私は、今の自分の想いを大切にしたいと思う
それが、私にとって一番合っている方法だと思うから



そんな風に思えるようになったのは
10年以上たってからだけど


そう思えるようになるまで
本当に しんどかったなって 思う


私の生き方 周りにいた人は
言いたいこといっぱいあっただろうなって思う

それを何も言わずにいてくれたことだけでも
感謝感謝です
2012.12.28 Fri l 感謝の想い l コメント (0) トラックバック (0) l top
今年も もうすぐ終わる



でも、1月17日が待っている・・・



1月17日を迎えて
やっと 一年が始まる そんな感じがする


1月17日というよりも
将君が死んでしまった日ね


その日に向けて
将君のためにできることをしてきた


将君を覚えていてもらうためにできること


そして、その日が終わって
次の一年が始まる



あの時から わが家では、お正月のお祝いをしませんでした

http://blog.livedoor.jp/omoi117/archives/1995-12.html


1997年1月の想い


実家の隣に住み
実家には 弟家族が帰ってきて
お正月のお祝いをしていたけれど

私たち家族は、その中に入らなかった


同じ敷地内に住みながら
お祝いする気になれないからと
両親と弟家族に伝えて

おせち料理もお雑煮も食べたくなかった


そんな私たち家族を父も母も弟家族も
何も言わなかった



年が明けて 会う人会う人
「あけましておめでとう」のあいさつをしてくれる


私は、笑顔で頭を下げるけれど
「おめでとう」という言葉が言えず

笑顔でごまかし ゴニョゴニョと口を動かしていた(笑)


だから、おめでとうを言わなくてもよくなるまで
外に出たくなかった



そんな 私が 一度だけお正月のお祝いをしなかったことを
後悔した年があった


それは、父が亡くなった年
震災から9年経っていた時


父は、2月に亡くなった
苦しいといい 救急車で運ばれて
病院について5分後に亡くなった


父は、いつまでも前を、向くことができなかった私を心配していた

元気になった姿を見せたかったと思った

死んでしまうと分かっていたら
意地をはらず、せめて、最後にお正月を一緒にお祝いしてあげればよかったと
こころから後悔した。


その年の1月17日 私は、兵庫県の慰霊祭で
遺贈代表として挨拶をした

その時思った素直な思いを言葉にした

私が、未来を生きようと思い始めたころだった



その言葉を父は ニュースで見ていてくれたと聞いた


父のお葬式の時 私の書いた本を
お棺に入れた

私の本に父への想いをつづった
そして、それを お葬式の時に特別にみんなの前で読ませてもらった


そして、その本をお棺にいれた



父の死は、将君を失った私の悲しみを
少しだけ 和らげてくれた

将君は、もう一人ぼっちじゃないという安心感と
父が、人生を通して教えてくれた想いを 大切にしたいと思えた


そして、私も、自分の人生のすべてが
優ちゃんへのメッセージになったらいいなって思った


両親への想いは、ここに書き切れないほどある


いつか 整理して 書くことができたらいいなって思う
娘のために。。。そして、自分自身のために・・・・


父への後悔の気持ちをきっかけにして
その後、少し時間はかかったけれど
いつの間にか お正月を意地をはることなく
どうにか 過ごせるようなりました


でも、今でも お正月が近づくと
あのころの お正月を受け入れられなかった自分や
父と一緒にお正月を過ごしてあげれなかった後悔の気持ちを思い出し
心が ピリッと痛みます


私のことを心配した父が
自分の死をきっかけに 私にメッセージを送ってくれたんだと
そう思っています




今、父へのメッセージを書いた本の写真を探して
読み返しました

その写真と一緒に 父の思い出の写真も出てきました
悲しくて 久しぶりに父のために涙を流しました

父を思う時
悲しまないようにと 頑張ってきた私



今日は、父のお墓参りに行ってきました


この日記を書くとき 父の事まで書くつもりはなかったけど
結果的に父への想いにつながりました


父の事を思うことができて
よかったです


パパ、将くんの事よろしくね
2012.12.28 Fri l 父母への想い l コメント (0) トラックバック (0) l top
ことしも あとわずか



笑顔でいたいと思う 子供たちのために…


それが、私が 18年かけて 泣いて苦しんで怒って
頑張ってきた中で見つけてきた 答え


これから先 また、変わるかもしれない


でも、今は、それでいようと思う


だって、将君のこと 優ちゃんのこと大切だから


だから、笑顔で生きる そう決めた



決して 乗り越えたわけじゃない
立ち直ったわけじゃない


悲しいから 生きていてほしかったから

だから、今は、笑顔で生きていたい



わかってもらえるかな?この想い・・・



この想いが
私の子供たちへの愛の証です
2012.12.25 Tue l ママの想い l コメント (0) トラックバック (0) l top
今日は、12月25日

まだ、クリスマスなんだけど 三連休が終わったせいか
もう、クリスマスが 終わった感じがする

テレビで
被災地に サンタさんがプレ是とを届けたという
ニュースをやっていた

できることの一つとして
素敵なことかもしれないけれど

でも、阪神大震災の時に
そんなニュースを聞いたら

うちの子は死んでしまった
生きてプレゼントをもらえる子はいいな

と ひねくれるだろう。。。苦笑

ひねくれるだけで終わったらいいけれど
この場に息子がいない事を悲しむきっかけになり

そこから、助けられなかった自分に対する
罪悪感や後悔が 襲ってくる


この間、友達と話していた
世間でいう「支援」って 家族を失っていな人に対してのことが多く
家族を失った人への配慮が欠けているって


私は、世間の楽しい行事
お誕生日 クリスマス お正月 ひな祭り 子どもの日
GW 夏休み 運動会などなど


将君がいれば楽しいと思う行事が
とてもつらかった


その日が来なければいい
カレンダーから 消えてしまえばいい
ずっと そう願っていた


でも、時間は止まってはくれず
その日は、やってくる

さすがに 18年もたつと
その現実に抵抗するのはあきらめて

じたばたすることもなくなって
その日がくるのを受け入れられるように?
流せるようになった。


ニュースの中で
辛かった中の一つ

それは、阪神大震災の日に生まれた子が
〇才になりました~♪ 的な ニュース


その日、死んでしまった子がいるんだよって


以前、子供たちの笑顔が元気になるというテーマで
子供たちの笑顔の写真を募集するという企画があった
エピソードとともにね。


で、私 応募しちゃった
二人の写真とエピソードを添えて・・・・

阪神大震災で亡くなった子です
あの時失った命の中にもこんな風に笑顔で
私たちのことを元気にしてくれた子供がいますってね
(多分、こんな内容だった気がする)


幼稚園やめばえ などの 子供向けの雑誌の
切手を送れば 応募者全員に 品物が届くという企画に

雑誌を2冊づつ買ってきて
将君の名前でも応募したっけ


自己満足だけど
そんなことをしながら 毎日を送っていたあの頃


個人情報、漏れ漏れの時代だったので
かかってきました 英語の教材の勧誘の電話


「将くんのおかあさんですか? ○○教材の▲です」ってね。


チョットうれしくて 悲しくて でもうれしくて

将君のママとしていろいろと話を聞きました


でも、悲しんでいるときにかかってくる電話には
阪神大震災で亡くなりました と伝えると
あわてて 電話切られたけど。。。。


また、話が、それてきた・・・・



被災した子供たちへのプレゼント

何かをと思っている 人たちにとって
今できる精一杯のことだったいるするのかもしれないね


東日本大震災のことを過去のことのことにしてしまっている人たちよりは
寄り添おうとしていると思うので いけないことだとは思わない


でも、それをニュースとして 取り上げている人たち
その陰で つらい思いをしている人たちがいることを
知ってほしいと思う 想像してほしいと思う


取材って どうしても 伝える側の想いがあって
それに沿って 取材が進められる


取材される側は、いやだな?違うのにな?と思いつつ
何も言えず 取材を受ける

インタビューも 伝いたい人の想いが
伝わるような インタビューをされたりする

誘導尋問とまで言わないけれど

たくさん話した中の 私の伝えたいことではなく
取材をする人の伝えたいことだけが 切り取られて

記事になったり 放送されたりする


その部分に至るまでの 思いは 切り取られてしまって…


切り取られた部分がないと 伝わらないでしょ?って
思うけれど、時間の都合だったりして
使われないのよね


だから、私は、取材を受けるのが好きじゃない


ただ、新聞にしてもえ テレビにしても
伝えてもらいたいことがあって
その思いをきちんと伝えてもらえるのであれば

これほど 有効なものはないと思う


阪神大震災から 18年よりも20年・・・

世間の人が 注目する「区切り」に 発信することの意味の大きさを
実感しています


ただ、私は、今伝えたいことがないんだけどね

しいて言えば、きょうだいを亡くした子供たちのケアかな?


そのことについてだったら
話したいかな?って 思う



そうだ、きょうだいを亡くした子供たちのための
絵本を作ろう!


って 思うけれど 私は、絵が描けないので
誰か 絵を描いてくれないかな?



またまた、思ったまま 書いてしまいましたm(__)m
2012.12.25 Tue l 心のケア l コメント (2) トラックバック (0) l top
今日は、クリスマス

なんだか、バタバタしていて
子ども達へのプレゼントを買わないまま
今日になりました(^_^;)

もう、大きいし いいか・・・・笑



毎年、クリスマスは、将君の最後のクリスマスに食べた
クリームスパゲティを作ります

将君と優ちゃんは、とてもおいしそうに
たくさん食べてくれました(^o^)

今年は、娘が作ってくれました

このスパゲティーを食べるのが
息子へのクリスマスプレゼントです

DSC_1984_400.jpg
2012.12.25 Tue l 将君への想い l コメント (0) トラックバック (0) l top
先日、再び 娘と子供たちのビデオを観る機会がありました

妊娠中から 震災の前日までのビデオを
1時間ほどに編集していただきました

将君と優ちゃんが 遊んでいる映像を見て
娘は、すごくかわいいと 言いました

それまで、世の中で一番かわいいのは
飼っているワンちゃんで 
自分は、子どもは好きじゃない
だから、子供はいらないって 言っていました

でも、この日 自分と将君のビデオを見て
子どもって すごくかわいい

飼っているワンちゃんよりも かわいいと
初めて思ったって言っていました

そして、子供好きかもしれないって
言っていました


なんか、うれしかったな
自分と将君の映像を見て そう感じてくれたこと



将君のことが記憶に残っていない娘

こうやって ビデオ観ることで きっといろんなことを感じると思う
今までに感じなかった つらい気持ちも感じ始めるかもしれない


今回ビデオを見たことが
娘にとって いい形で心に残ればいいなって思う

いいように受け止めてくれたらいいなって思う

941211-02.jpg


阪神大震災から もうすぐ18年
1歳半だった将君も 生きていれば来年 二十歳

二十歳の将君の顔 どんなに考えても想像ができない
それが、すごく すごく すごく 悲しい・・・・


優ちゃんは、自分の理想の男性像を将君にあてはめて
そのかっこよくて 優しい将君のことを 
いつも想像していろんなことを考えて過ごしている。


そんな風に将君のことを考えてくれるのはうれしいけれど

でも。。。
そんな将君しか 優ちゃんの中に存在しないことも
本当は、すごく悲しい・・・・



昔、よく言われた言葉
小さかったからよかったね・・・

思い出が少ない分 よかったよね・・・


私は、1歳半の子供しか失った経験がないので
それ以上大きい子を失った時の悲しみはわからない

でも、私の中では、1歳半の子供であっても
自分の命に代えても将君の命を残したいと思うぐらい辛いよ



将君のことを考えると
1年半しか生きることができなかったのよね
もっともっと 楽しいこと いっぱいあったのにね


もっと、大きかったら
いろんな人の記憶の中に 将君が生きていた時間を
覚えていてもらえたのにね

そして、優ちゃんの記憶の中にも
しっかりと覚えてもらえたのにね






ビデオを観ることで
優ちゃんの中に「生きていた将君」の存在を実感できたと思う
将君のことをお友達に話すことができたことも
優ちゃんの中でよかったのかな?って思う


将君の存在が 優ちゃんの中にしっかりと残ることで
将君は、優ちゃんによって
次の世代も生き続けることができるのかもしれないと思う


私が人生を終えてからも
将君は、将君が生きるはずだった時間の間は
生き続けることができるね


よかった・・・・


941211-02.jpg
2012.12.23 Sun l 将君への想い l コメント (0) トラックバック (0) l top

もうすぐ、クリスマスですね~

この間の日曜日 やっとクリスマスツリーを出しました(^_^;)


この季節になると思いだされるのは、1994年12月のクリスマスと
1995年12月のクリスマス


たった一年しか違わないのに
わが家は、大きな変化がありました。


クリスマスツリーが大好きだった子供たち
街でクリスマスツリーを見かけると 将君は
真っ赤なお鼻のトナカイさんの歌を歌ってくれと
せがんで 私が歌うと 喜んでリズムを取り動いていた


1995年のクリスマス


そんな子供たちのことを思うと
クリスマスが近づき 街がクリスマス色に染まるのを感じ
とても悲しかった

なんで 将君はいないの?って



外に出て いろんな家から漏れてくる明かりを見て
その家の中の幸せな家庭を想像し そうでない自分を想い
ただただ泣いていた


まるで、マッチ売りの少女になった気分だった



その頃、神戸の街ではルミナリエが行われていたらしい…

慰霊と復興・・・

神戸から遠く離れて住んでいた私は
テレビで見た時に へえぇ~ 

こんなことしても 将君は帰ってこないしと
余計に悲しくなりました


というか 私の中で
ルミナリエは、心を癒すものではなく
かといって、特に大きく傷つけるものでもなく

そんなことどうでもいいぐらい
悲しみの中で過ごしていました

ルミナリエが、一回だけだったら
きっと、私の中でルミナリエがあったことは
忘れ去られていたでしょう


それぐらい その時はどうでもよかったです




ここ1年ちょっと この18年間のことを振り返っています


悲しみの中にいた時分
そこから 歩いて来た自分

過去の想いを読み返したり
過去の写真を見返したり…


そこには、いつも将君を思って生きていた私がいました

悲しい気持ちをつづっている文章にも
頑張ろうと思ってつづっている文章にも

優ちゃんの成長を記録している写真にも
いつも将君が登場しています


将君の姿は、見えないけれど
私は、優ちゃんと一緒に将君を育てているつもりで
生きてきた気がします

ご飯も食卓に並べ
洋服もお菓子も二人分買って

写真を持ち歩き 一緒にお出かけしたり

幼稚園に行くときには
将君のことを受け入れてくれる幼稚園にして

幼稚園のお道具箱や名札なども 二人分買わせてもらって
かばんやスモックなど 手作りするものは二人つくり

優ちゃんには、将くんの写真をかばん入れて持たせて。

将君のためにできることとして
お骨カバーを手作りし 
かわいいくまちゃんを描いたフォトフレームを作ってもらったり


ランドセルも机も二人分買って
入学式の時には
将君の写真とお骨と一緒に家族写真を撮った

DSC00276.jpg


ディズニーランドに行くときにも
将君も一緒・・・・

お花見の時も将君の写真を持っていき
人目を気にしながら(一応ね)一緒に写真を撮り

生活のすべてを将君も一緒に過ごしているつもりで生きてきました




幼稚園の時も 小学校の時も
入学式の看板の前で将君と一緒に写真を撮ったりね


周りにいたみんなは、そんな 一見変な?私たちを
受け入れてくれて 何も言わなかった



将君を失った時 子どもを失った人は
どんなふうに生きれば 生きることができるだろうって
すごく知りたかったけれど

きっと、誰にでもあてはまる
「これ」って 言えるものはないのかもしれないね


その人が その人のしたいこと 思ったことを
していけばいいんだと思う

その中で 同じ経験をした人やいろんな本を読んだりしながら
自分もしたいと思うことがあれば
それをしてみてもいいんじゃないかって思う


周りから見ると ヘンかもしれないけれど
自分のことを本当に想ってくれている人は
何も言わないかもしれないけれど ちゃんとわかってくれると思う



私、わかってくれる人だけ 友達でいればいいって
思って いろんなことをやってきたなって思う


今は、いろんなこといいように受け止めることができるようになった私だけど


一時は、主人と娘だけ言れば
友達は、いらない

人とかかわって生きるのはいやだって
思っていた時期があったな

震災から 8年もたっていたんだけどね。。。苦笑


そんな風に思っていたのに
15年経ったとき なぜかみんなに連絡を取りたくなって
昔の住所録をひっぱり出してきて
みんなに年賀状送ったりしたっけ。。。

あて先不明でいっぱい帰ってきたけれど
何人かの友達からは、返事が来て。。。。


本当に想ってくれる友達は
何年も関係を断ち切っていたとしても

また、つながることができる




楽しい時 頑張ろうと思える時に
一緒にいてくれる友達はいっぱいいる


だけど、本当は、つらい時にそばにいてくれる友達の存在が
必要なんだよね



今は、つながっている友達

もしももしも 何かがあって
誰とも連絡を取りたくなくなって

つながらない時間がきたとしても

私は、ずっとあなたたちのこと 大切に思っているよ
2012.12.21 Fri l 友達への感謝 l コメント (0) トラックバック (0) l top

少し心の整理をしようと思う

自分にとって 何が大切なのか…







私の今の生活で一緒にいて一番楽しいと思えるジムの友達
つらい時悲しい時に たくさん元気をくれました

その大切な友達と 今週末 クリスマス飲み会に行ってきます
2012.12.18 Tue l 素敵な生活 l コメント (0) トラックバック (0) l top
子供たちのビデオ・・・・

今年の冬までの間に 見たのは1回だけ
震災から 1年半後。


住んでいた家から引っ越しするときに
主人が言った

この家で将君と一緒に過ごしたことを
優ちゃんに忘れないでいてほしいから
引っ越しする前にこの家で見ておこう と。


まだまだ、悲しみのまっただ中だったので
映像を見た瞬間から 涙が溢れでてきた


悲しかった
将君が 死んでしまったこと

こんなにかわいい子が なんで?
って。

二人で楽しく遊んでいる様子は
とてもとても かわいかった

悲しかったけれど・・・・


二人の様子を見て 心の中に暖かい何か
(どう表現していいかわからない)を感じた



その時から 再び 見ることができなくなった



16年間後の今年の3月
複雑性悲嘆の治療が終わった日

押入れの掃除をしていた時に
偶然 ビデオが出てきた
(どこにしまったか覚えてなかった)


ビデオを探していたわけじゃなく
なんとなく、押し入れを整理しようと思っただけだった


さっき、先生に

『ビデオは、やっぱり見れません

いつか 見れるかもしれないけれど
今は、見れません』


と言ってきたばかりだった


『ビデオを見ること』は、
今できないことを できるようにするとう
治療の中で 私自身が 決めた最終目標(一番できない事)


その時に 先生が言ってくださった

「ビデオを見ることができるといいですね
お嬢さんの結婚式の時などに 小さい時のビデオを流すことになった時に
見なくてはいけなくなるだろうから 今、練習しておくといいですね」と。


私の中で そんな発想は、なかった。
「そうか そうだよね その時には、観なくちゃいけないのよね」と
素直に思った。



『ビデオ見ること』は、それ自体に意味があるわけではなく
できない事を できるようにすることで
自分が、悲しみをどう受け止めていくか
受け止め方の練習だそうだ。


悲しみを消すわけじゃなく
自分の中で悲しみの居場所を作ってあげることなんだと
先生の説明を聞いて 思った


そんな治療を終えて帰ってきたばかりの私が
今、子供たちにビデオを手にしている

これって 将君が 僕のビデオを観てほしいなって
私にメッセージを送って売れているのかな?って感じた


でも、ずっと観れなかったビデオを
簡単に見れるわけでもなく

観たい 観なくちゃ 観れない
そんな思いが 頭の中で ぐるぐる回っていた


ふと、このビデオ(HI-8)って
何十年も先に 物理的に観ることができるのかな?

って 思った。


観たくなっても
HI-8を観る機械がなくて 観れなくなるんじゃないかな?と
不安に思った


今のうちに、将来も観れる可能性のあるDVDに
ダビングしておかなきゃって・・・


で、知り合いの方に 連絡して
安心してダビングしてくれる方を紹介していただいた。


その時に ビデオは観ることはできないと話していた



その後も ビデオの前で ぼっーっと座っていた時
娘が 学校から帰ってきた



「将君と優ちゃんのビデオ観ようか?」と聞いてみた


娘は、軽く(そう感じた)「いいよ」と言った


で、観ることになった



意を決して 観るつもりで
どのビデオを観ようか考えた

明らかに子供たちの事を書いたラベルが貼っているものは
選ぶことができなくて(往生際が悪い)
ラベルのない すぐ観れる VHSのビデオを選んだ

何が入っているかわからない
もしかしたら、違うものかもしれない

違ったらいいなって 想いながら
それを選んだ気がする
(やっぱり 観たくないんかい!! と自分で突っ込む 笑)

それでも すぐに観れなくて
観よう 観たい やっぱり やめよう・・・


そういう心の葛藤が しばらく続いた
それを見ていた 娘は、観たくないなら 観なくていいよ
私は、バイトに行くから どっちにするか 早く決めてと言われた


で、ようやく ビデオをつけることができた

確か 一本目は、子供番組を録画したものだった気がする
(すでに記憶があいまい・・・(^_^;))


次、つけたら いきなり子供たちがテレビ画面に映った
あまりにいきなりだったので ドキッとした


かわいい二人の姿に 一瞬 涙が出そうだったけれど
娘もそばにいるし なにより 二人のかわいい姿に
思わず 口元が緩んだ


娘と娘の小さいころのビデオを懐かしく見ている
そんな感じで ビデオを観ることができた


私は、ずっと子供ができなくて
病院に通って 結婚から 7年半後にやっと二人を授かった


授かったと分かったその日から
双子だと分かった日

入院退院の繰り返しの妊娠生活だったけれど
すごく幸せだった

双子の育児もめちゃくちゃ大変だったけれど
その大変ささえも 幸せだと感じる毎日だった

そんなとき 突然 阪神大震災が起こり
将君がいなくなってしまった


17年がたち(ビデオを観たとき)
私の記憶に残っている子供たちの小さいころは
将君は、いつもにこにこしていて
優ちゃんは、いつも ママに甘えていて

そして 二人は とても仲好くて…


短い時間しか見ることができなかったビデオ
その短い時間の中でも
私の思った通りの 幸せな生活が確認できた

自分の思っていた通り かわいい子供たち


それを観ることができたこと
よかったと思った


不思議と悲しいという気持ちは、あまりなく
将君の笑顔が 観れたことが うれしかった


あんなに 辛くて 絶対に観ることができないと
思っていたのに・・・・


今回、いろんな偶然が重なって
ビデオを観ることになった


一生 観ないまま 過ごすかもしれなかったビデオ


娘が、その日 主人に言った
「優ちゃんと将君のビデオ観たんだよ よかったよ パパも観る?」



主人は、言った
「いや 観れない」って



それは、それでいいと思う
観たいと思ったのは 私で 主人ではないから



主人も いつか ビデオを観ることができるようになるのかな?
それとも 観ないまま 一生を終えるのかな?


私は私
主人は主人

同じ将君の親であっても
それぞれの 想いがあるんだよね

そして、表現方法も受け止め方もそれぞれ。





その後、もう一回 ビデオを観る機会がありました




私の中で ビデオを一度観て 将君の笑顔 将くんがいた時間が
私が記憶していた 幸せな時間だったことを確認できただけで
本当は、十分です


再び観ることはできると思うけれど
また、観たいとすごく思っているわけでもなく

17年間 観れなかったという 私の中の想いが クリアになって
観るのが平気になったというわけでもありません


でも この頑張った『今』を記録しておきたいなって思っています


そんな機会を与えてくださった方々に
感謝しています
2012.12.14 Fri l 将君への想い l コメント (0) トラックバック (0) l top
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。