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今、テレビで不妊治療 高齢出産をした女性を紹介している。

不妊治療の大変さ 妊娠することの大変さ
妊娠してからも 流産 早産の危険

最後の最後まで 不安材料が消えることなく
無事に生まれるかもわからない状況

結果無事に子どもは生まれた。

それを見ていて 自分の7年間の不妊治療のこと
妊娠できた時の想い 双子だとわかった時の喜び

その後、切迫流産のため 入院。
双子の妊娠 出産は、リスクが高く
無事に生まれるかどうかもわからない

切迫早産のため 1ヶ月半の入院。
ベットから降りれない生活。

突然の破水 緊急 帝王切開。

そして、娘はすぐに 泣き声が聞こえたけれど
息子は、羊水を飲んでしまって 泣くことができないでいた。


やっと、会えた
そう思うと、涙が止まらなかった。


そんな思いの中 生まれてきた子どもたち。

テレビで、無事に産まれて 泣いているお母さんを見て
あの日の自分と重ねた。


そして、私は、その息子をうしなった。


あんな思いをして やっと授かった子ども。
その子どもとの 楽しい毎日を過ごしていたのに。

幸せだったのに
あの瞬間に そん幸せは、消えた。


今、幸せだよ
楽しいこともいっぱいできるようになったし
将君のことを理解してくれる友達もいっぱいできたし。

でもね、あの時と同じ幸せじゃない。
あの時の幸せは、絶対に戻ってこない。

なんで?って 思う
なんで 将君だったの?って。


あんな あんな思いをして やっとやっと 会えたのに。
なんで 死んじゃったの?

なんで あの日あの時間に地震が起こったの?

なんで なんで????



今日のテレビを見て
幸せだったあの日を思い出しました。

幸せな毎日だったから
だから、将君がいない時間が 悲しいの。


そう感じることは、悪いことですか?
いつまでも 将君のことを思って生きることは、悪いことですか?

この世にいないけれど
どこにいても 将君は、私の大切な子ども。

生きていても 死んでしまっていても
ママが子どもを想う気持ちは変わらない

会えないんだよ 絶対に会えないんだよ
悲しくないわけがないよね。



あ~ いっぱい書いてすっきりした。
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2013.04.29 Mon l 将君への想い l コメント (2) トラックバック (0) l top
昨日は、JR福知山線事故が起こった日でした。
あの日から、8年。

あの時の状況をテレビで見て
ただただ、震えていたのを思い出します。

家族を失った方がテレビでインタビューを受けているのを聞いて
将君を失ったころの自分の想いがよみがえり

また、私と同年代の女性が、犠牲になったのを知り
その方の家族のこと 子どもさんのことを想い
自分と重ねて ますます苦しくなりました。

私自身も子どもを送りだして その後事故にあうかもしれない
行ってらっしゃい 遠く出されたママが
次会う時には、亡くなってしまっている・・・・。

そんな状況に置かれてしまう娘のことを考えると
今までは、子どもが死んでしまったらどうしようという思考だけで
日々を生きていましたが

あの事故以来、自分が死んでしまったときに
残すことになる 娘のことを想い 自分の生き方を考えるきっかけになりました。



その頃は、震災を伝えるためにできた施設でで語り部をしていたり
新潟の地震があったりして 心が弱っていた時期でもありました。


日に日に強くなっていく
どうしようもない苦しみをどうにかしたくて
その年の4月1日に開設された
PTSDの治療をするという施設に相談に行きました。

そこから、カウンセリングを受けることになりました。

この苦しい思いをどう自分で処理したらいいのか
言葉にしたくても できない状態。

知り合いにも話せず 日記にも書くことができないほど
心の中が ぐちゃぐちゃでした。

言葉に表現できないほどの混乱した状態でした。

カウンセリングでは、泣きながら色んな事を話しました。
息子を失った悲しみ自体は、消えるわけではないけれど
でも、言葉にできるまでの心の整理は できた気がします。

私にとって、そういう施設で治療を受けることは
誰にも言えない思いを言ってもいい場所 なんでも聞いてもらえる場所

悲しみや苦しみが 消えるわけじゃないけれど
でも、その時だけは、心が軽くなります

心が軽くなると マイナスな思考が 減ります。

一回 治療を受けたからと言って
急激によくなるわけじゃないけれど

でも、苦しくなったらそこに行けばいいという
私にとっては、「お守り」みたいな場所になりました。


この悲しみ苦しみは、将君を助けられなかった自分への罰
それを消したり 逃げたりすることをしてはいけないと思っていた時には

治療を受けることを拒否していました。
「心のケア」という言葉に対しても 親の仇という感じで
強い拒否感を持っていました。

でも、息子のために 娘のために
生きなきゃ 生きていかなきゃと 思えるようになってからは
ときどき襲ってくる自分を消してしまいたいという想いを
本当に、自分を消してしまいそうになる考え方を変えなきゃ
私は、突発的に死を選んでしまうという想いに恐怖を感じるようになりました。

それをどうにかしたいという想いも 心のどこかにありました。
でも、この思いに気が付き それをどうにかしたいと考え始めたのは
そこに通い カウンセリングを受け始めてからです。

そこで初めて、カウンセリングを受けてから
8年。。。。

私は、カウンセリングを受けることを自ら選びました。

通ったり お休みしたり しながら 今があります。
今の私を想うと 私にとって、カウンセリング 複雑性悲嘆の治療を受けたことは
良かったことだと思っています。


18年前 PTSDという言葉もほとんどの人が知らない時代。
亡くなった人を想い続けるということは、いけない
早く忘れて元気になってねと どれだけ言われてきたことでしょう。

でも、そうじゃないんだよと
言ってくれる人たちが増えてきた気がします。


話す人がいる人は、その人に話すことができて幸せです。
でも、誰かに話したいのに 話せる人がいない人は、
誰かに話せたらいいなって思います。

その誰かが、カウンセラーだったり 新聞記者さんだったり
ブログだったり。。。。。

なんだろうなって 思っています。


私は、話す内容によって相手を分けています。

話すことで自分を否定されたくないので
一番、安全な相手を選んでいるのかもしれません


そういう意味では、こうやってブログを書くことは
読んでくださる方が見えない分
ちょっと 危険かな??? 笑


でも、将来の自分のために 書き残そうと思っています。
2013.04.26 Fri l 心のケア l コメント (2) トラックバック (0) l top
その昔。。。
娘が、幼稚園に入って初めての個人懇談の時
先生に聞きました。

「娘は、普通に幼稚園生活を送れているでしょうか?」と。

その時、先生が、おっしゃいました。

「普通って、何が普通ですか?子どもたちは、初めての集団生活。一人ひとりが、頑張っていますよ。ゆうちゃんも 頑張って毎日幼稚園で過ごしていますよ」と。


『普通』でいないと 安心できないという感覚。
人と違うと『普通でないと』言われて 時として 批判されたり。

批判する人は、その人の物差しでいう『普通』と違うから?

でもね、私にとっては、これが『普通』なの。
人から見たら 変かもしれないけれどね。


人の感覚は、それぞれで 想いもそれぞれで
自分の考え方と違うからと言って 相手を批判するのって
どうかなって 思う


私視点で見ると あなたがへんだよ。。。って 思ってしまう(笑)


でも、違って普通なんだよね
みんな 同じ考え方で同じ感覚ではなくて。。。

ある人には、『それ』がとても許せない行動であっても
ある人には、『それ』が心地よい行動だったりする。


その人が、『それ』で 幸せだったり 楽になったりするなら
その人にとって 『それ』は、大切なことなんだよね。

自分と違う感覚だったとしても
あ~ あの人は、私とは違う感覚を持っているんだなって
思って いい意味で流すことができたら
色んな事が楽だろうなって思う


その人にとって『普通』出なくても
私いとって それが、『普通』であるなら
周りの色んな事を気にせずに
自分の生き方に自信を持って生きていたいなって思う
2013.04.25 Thu l ママの想い l コメント (0) トラックバック (0) l top
将君のホームページを開設したころ
日常では、話すことができなくなった将君への想いを
ネットで知り合った子どもを亡くしたママたちと
毎日のように話していた。


将君のママとして存在できる場所が 居心地が良くて
ネットの友達との時間が増えてきた


お互いにお互いを想いあって
自分にはわからない想いを持っているだろう友達には
自分ができる範囲で寄り添おうと みんな思っていた


でも、みんな 大切な子どもを亡くした人たち
気持ちが、前向きの時もあれば そうでないときもある

そうでないときには、あんなに自分を思ってくれている人の言葉にさえ
違和感を感じて つながっているのがしんどくなってしまっていた

そんなこと いっぱい集まると とてもしんどくなって
よく、掲示板(ブログは なったから。。。)をお休みしたり
ホームページの公開をやめたりしたっけな。

そのたびにみんなが心配してくれて メールをくれる。

そのメールで励まされて また頑張ろうって思えた。
でも、本当しんどくなっているときには、そのメールさえも うっとうしく感じたりしていた。


私のことをすごく思って心配してくれているのにね。。。


でも、それだけ 精神的にダウンして、誰とも関わりたくなかったのよね


あるとき、ホームページをいつも読んでくれている人から
何度も心配の書きこみやメールが届いた。


そっとしてほしいって 言えなくて 日記に書いた。

相田みつをさんの「そっとしておいて」という詩を。
出典「にんげんだもの」(文化出版局)出版


あんなに気にかけてくれていた人だけど
でも、私は、その人を知らない 会ったこともない。

そんな人から たびたびメールが来るのがしんどかった。


今、あの時のことを思うと あんなに 気にかけてくれていたのに
失礼なことをしてしまったかな?って思う。


でも、本当にしんどかったのよね。


だから、私は、それから出会ったつらい経験をした人に
自分からは、あまり声をかけれなくなった。

自分が、良かれと思ってかけた言葉であっても、
相手は、そっとしてほしいと思っているんじゃないかと思って。



寄り添うって難しいよね。

寄り添っているつもりでも それが、実際に相手にとっての支えだったり
元気の源になっていたとしても 感謝の気持ちをいっぱい感じてくれていたとしても、
自分の想いを押し付けてしまっている場合だってあるから…。



その人が、そばにいてほしい 何か声をかけてほしいと思っているときには
そばにいてあげて 言葉をかけてあげれて

そっとしてほしいと思う時には、
言葉をかけず、それでも そっと遠くから見守っていられたらいいなって思う。



色んなつながりができると
そのつながった人に気を使って しんどくても しんどいと言えず

いつも支えてもらっているから 私も支えてあげなきゃって思うと
どんどん、しんどくなっちゃうのよね。

お互いが、それをわかりあって
ある時、突然 そっとしておいてと 連絡を断ったとしても

今は、しんどい時期なんだなって わかって上げれたらいいなって
思いながら、いろんな人と付き合っていた気がする。

自分が、突然、連絡を絶ったとしても
そう思ってくれたらいいなって思っていたから。

自己中心的な考え方で わがままかもしれないけれど
そうだと自分でわかっていても そんな風に思っていた時期があったな。


いつかの日記にも書いたけれど
そうやって、連絡を絶ってしまった人に
10年以上経って 突然連絡をとりたくなって
みんなにはがきを送った。

連絡がついた人は、私からの連絡を喜んでくれた。
あんなに不義理なことをしてしまっていたのにね。


ありがとうね みんな。
2013.04.23 Tue l 友達への感謝 l コメント (0) トラックバック (0) l top
どう言葉で表現すれば 今の気持ちをきちんと
書き残すことができるか わからないけれど


とりあえず、残しておこうと思う。



うちの娘、1歳半で阪神大震災を経験し
おなかの中から ずっと一緒だったきょうだいを亡くしました。


1歳半という年齢だったので
この揺れが、「地震」だということも 理解できず
いつも、一緒にいたきょうだいが、突然動かなくなったことが
「死」であることも理解できず

あんなに、いつも優しい目で自分を見てくれていたママが
いつもいつも 泣いていて 自分を見てくれなくなったことが
「大切な子どもを失った悲しみ」からだったということも理解できず

周りにいたたくさんの人が、
なぜ集まって悲しい顔をしているのかもわからず

ある日朝起きたら 今までとは違う 空気が
自分を取り囲んでいた

なぜなのか それもわからず

でも、まだ、小さいから そういう経験をしなくても
日々の生活は、自分の知らない新しい出来事で作られていて
その状況もその中の一つとして
大人が考えるほど大変なことだと気づかないで成長してきたんだろうなって思う


でも、笑っているママと泣いているママの違いは
理解できる年齢で

ママの姿やきょうだいの姿が見えなくなると
さみしくなって 泣いて探すことをする年齢だった


なので、この状況が理解できていなくても
きょうだいが、突然いなくなってしまった悲しみは感じていた

姿を見つけたら うれしいとい感情も持っていた

私が何も言わなくても きょうだいの写真が
自分の手の届くところにおかれた瞬間

遠くから走ってきて その写真を抱きしめて話さなかった


そんな娘だけど、成長する中で
きょうだいと遊んだという記憶は消えてしまった。

生活の中で 写真が飾ってあり
ママやパパ 色んな人がきょうだいの話をしてきたから
娘は、自分には、きょうだいがいて 『地震』という出来事で
死んでしまったということを知っていった。

もしももしも、あの時から きょうだいの写真もなく
パパとママが、きょうだいの話をしてこなければ
娘の中できょうだいがいたことは、忘れてしまったのだろうかと
思ったりする。

でも、きっと 潜在的な意識の中では、覚えていているんだろうなって思ったりもする。

阪神大震災のことも きょうだいと遊んだ事も
自分の記憶の中にはない娘だけど

この18年の生活の中で きょうだいの存在は
普通に感じて成長してきた。

それは、私の言葉や私がやってきた震災関連の活動が
大きく影響してきたと思う。

それが、よかったのか悪かったのか
もし、悪い影響を与えていたとしたら
私は、どんなことをすれば 良かったのか
そんなことをして 生きてきたら 娘に悪影響を与えずにすんだのか
それが、わからない。

大切に育ててきた息子を突然失った母が
たとえ、こうやって育てたらいいよと
遺されたきょうだいを育てるマニュアルたあったとしても

その通りにできるだけの余裕は、なかったから。
あの時の私が、娘にして上げれた 最高のことは
息子のところに行く道を選ばず、『生きている』ことだと思っていたから。

泣いていても 一緒に遊んであげるだけの余裕がなくても
ただ、『生きている』それだけが 娘を思ってできる最高の事だった。

1歳半だった娘も成長していく中で
学校やテレビなどで 阪神大震災について知ることが多くなり
自分の今までの色んな記憶とそれらがつながり始めた

小学校4年生の時に 新潟で大きな地震が起こった。
色んな事が理解できる年齢だった。

その後、学校から 阪神大震災を後世に伝えるという施設の見学に行った。
そこで、娘は初めて、きょうだいの命を奪った阪神大震災のことを勉強した。

こんなに大きな被害があった地震。
そこで、自分のきょうだいが死んでしまった。

地震のことも 人の死も 理解できる年齢。

そこに言った直後に 一緒に住んでいたおじいちゃんが
突然亡くなってしまった。

さっきまで一緒にいたおじいちゃんの死。

おじいちゃんの死が、「死」の悲しみが理解できる年齢になってからの
初めての別れだった。

その辺りから、ママが、子どもを失った悲しみを考えるようになったのかもしれない


そして、ちょうどその辺りから
私が、阪神大震災出家族を失った人たちとの交流が始まり
娘も一緒にみんなと過ごす時間が増えていった。

ママの悲しみだけでしか見てこなかった娘は
他の人の子ども失う悲しみにも触れる機会ができた。

人から見ると 話すのに気を使うような『遺族』の人たちと
気を使うことなく 普通に出会い普通に話をしてきた。

そして、誰もが気を使うことなく きょうだいの話をしてきてくれる

パパやママでない 大人ときょうだいの話をすることができる
安心できる場所だった。

阪神大震災は、記憶にないけれど
娘の成長する中で 阪神大震災は、いつも隣にあった。

きょうだいのことは、覚えていないけれど
きょうだいは、いつもそばにいて、自分と同じように成長していた。
(娘の意思ではなく 私の意志だけど)

そんな風にして育ってきた娘。

高校生の時 震災15年の時に 娘と一緒に
阪神大震災を震災を知らない世代にどう伝えるかを考えた。


まずは、自分の友達に一緒に何かしないかと話してみた。
でも、自分の友達は、阪神大震災がいつ起こったかしらない
阪神大震災に興味がない

その現実を知り、ショックを受けていた。

自分にとっては、切っても切り離せない出来事なのに
友達は、まったく興味のない出来事だったから。

そして、その1年後、東日本大震災が起こった。
たくさんの人が、自分に何ができるのか自分にできることをと
神戸でもたくさんの人が ボランティアをしていた。

今まで、阪神大震災に興味のない人たちも
改めて 阪神大震災のことを考えなければと思ったと思う。

そんな人たちをみて 娘は色んな事を感じたようだ。


娘にとって、阪神大震災は 記憶にないもの

(地震が、起こると すごくおびえる
それは、私が娘が小さいときに 地震が起こった時に
パニックになって 泣いていたから

地震でパニックになる私を見て育った娘は
私の様子から 地震は、怖いという イメージが植え付けられたと思っている。)


でも、東日本大震災が起こり
阪神大震災のことをより深く想像するようになった気がする。


大学に入り、メディア専攻に入り
自分たちで 何かをドキュメンタリーを作るとい授業がある。

何を撮りたいかを 考えなければいけないみたいで
それは、なんでもいいんだけど

娘が浮かぶのは、震災のことばかりだそう。

そこから、離れて考えて 違うものを撮りたいらしいけれど
浮かぶのは、やっぱり、震災のことばかり。


去年までの先輩の何人かは、東日本大震災のことを取材して
ドキュメンタリーを作っていた。


娘は、今は、震災=東日本大震災 というイメージがあって
みんなそれを取り上げるけれど

東日本大震災について 取り上げるのは難しい
その人たちの想いを自分がきちんと受け止めて
それを表現するのは 自分には無理だと言った。

表面的な思いを表現するのは簡単だけど
そういうものじゃないからって。

だって、東日本大震災を経験してないから
津波で家族を失った人の想いをわかってあげれないからと。





阪神大震災を覚えていない娘
きょうだいのことを覚えていない娘

でも、18年 生きていく中で 周り(ママ)の影響は大きくて
息子が生きていれば こんなに悩んだり考えたりしなくてもいいんだろうなって思う


娘が 昨日言った。
将君が死んでなかったら こんな風に思わなくて済んだのにと。
なんで将君は死んでしまったんだろう?って



震災当時、1歳半だった小さな子ども。
小さいから 覚えていないから 大丈夫だよね・・・

ではなく、娘は、ママというフィルターを通して
阪神大震災を見てきたんだと思う

ママの悲しみを見て育った娘は
記憶のないきょうだいのことを 娘なりに感じて育ってきたんだよね


この18年間の生きてきた自分を否定しても
何もかわらない

でも、娘がそう感じてきて来た今を
それをどうにかしようとしていることを

ちゃんと受け止めて あげなくちゃって思っている

でも、それを頑張りすぎると 娘はいやだろうから
ちょっと距離を持ちながら 娘が、私を必要としたときに
そばに居てやりたいと思う






ん。。。。
書いていて 自分でも 何が言いたいのか分からないけれど
記録として 残しておこう


いつか何かの役に立つかもしれないから



でも、娘が読んだら 私こんなこと思ってないって言われちゃうかもね

だから、「ママの目から見た」をつけておこう(笑)
2013.04.22 Mon l 優ちゃんの想い l コメント (0) トラックバック (0) l top
将君は、どんなママが大好きかな?

1歳半までしか 一緒にいれなかったので
大きくなった将君のことは、わからないけれど

いたずらをしたときに 私が泣きまねをしたら
将君は、心配して 泣いちゃったことがあった


泣きまねという行動があることも知らないほど
小さくて純粋だった将君


泣いてしまっている将君がかわいくて
すぐに笑顔になったママ


そしたら 将君 すごく安心したように笑った



将君、将君がいなくなって
ママは、とても悲しくて つらくて いっぱい泣いてたよね

そんなママを将君はどんな気持ちで見ていたんだろうね


あの時のママは、将君がいなくなってしまって
いっぱい泣いていた

笑って生きていたら 将君は、
「ママ、僕が死んでしまったのに なんで笑っているの?悲しくないの?」って
思うんじゃないかと思って 笑うことができなかった


笑っちゃいけないと思って生きてきた


でもね、将君と同じ年の優ちゃんを見ていると
優ちゃんは、泣いているママより笑っているママが好きだった

泣いているママをみると とても不安で
ママを笑わせようと 色んな事をしてくれた


「ママ、大丈夫だよ、将君はそばにいるから」って
言って よしよししてくれた。


ママの笑顔を見たかったんだよね

ママは、そんな優ちゃんの気持ちを分かっていたけれど
将君に会えない気持ちが大きすぎて 心から笑ってあげることができなかった

表面だけの笑顔を優ちゃんは、気づいていたのかな?


ママが、心から笑えるようになってから
優ちゃんも笑顔が増えてきた


そんな優ちゃんを見ていると
将君もママが笑っていたら 喜んでくれるかな?って
思えるようになった。


『僕が死んでしまって ママの人生は悲しい人生になっちゃったの?
ママが、悲しいのは、僕のせい? ママごめんね・・・・』


将君がそんな風に思ったら いやだな?
将君のせいじゃないよ。。。将君悪くないよって 将君に伝えたいと思った


だから、ママは、自分の人生を悲しい人生にしたくないと思った

だから、ママは、いっぱい笑おうと思った
笑顔で毎日を送ろうと思った。



ママの笑顔は、将君を思っているから
だから、笑顔でいたいと 思う


将君のことを思う時には、優しい気持ちでいたいと思う

これからも・・・・・。


そして、そのことに気づかせてくれた
優ちゃんの存在に感謝♪
2013.04.20 Sat l 将君への想い l コメント (0) トラックバック (0) l top
今日、同じ経験をした友達と会って話しました。

子どもを亡くしてからの 18年の想い。

生きるていることが つらいと感じ、
死ねたらどんなに楽だろうと思って生きていたよね。

生きていることが、こんなにつらいんだと思っていた私たちが
18年後の今を生きていて もう一人の子供たちへの想い
天国にいる子どもたちへの想いを話しました。



18年間も、経ったんだね・・・
よく生きてきたよね 私たち頑張って生きてきたよねって。


天国にいる子は、成長してる?という話になりました。

彼女の中では、20歳を迎えたころから
自分の中でもう大丈夫と思えたって話してくれました。

私も20歳を迎える息子に対してそんな風に感じることがよくあります。

思い出にある息子は、ちっちゃい赤ちゃんだけど
20歳を迎える事を考えると

生きていても、ほっといてくれ!なんていう年齢なんだよねって
そして、え~ そんなぁ~って 思いつつ
子離れをしなきゃと 悩んだりして 子ども中心の生活から
自分の時間を楽しむ生活をしなきゃって 思うんだろうなって思ったりする。


いても、子離れして、自分のために楽しく生きる時期なんだろうなって
思うんだろうなって。


小さい頃は、何も自分ではできないから
私がそばにいてあげなきゃ 私を探して泣いているんじゃないかと
言葉も話せなくて、ママと離れ離れになったことを
誰にも言えず、ただただ泣いているんじゃないかと
ずっとずっと、心配だったけれど

もう、20歳。
言葉も話せるし、一人で色んな事を考えられるようになっているだろうし
色々、かまったりすると うざい!とか言うだろうし。。。苦笑
もしかして、彼女なんかいたりするのかな?
彼女がいたら、ママのことなんて 見えてないよね・・・なんて思ったりね。


私が、何もしなくても もう大丈夫なのかな?って
その友達の話を聞いて そう思いました。


でも、大人になっても母親はいつまでも母親で
小さいときみたいな心配はしなくても 手をかけなくても
少し離れた所から いつも見守って行くんだろうね。



早く忘れなさいって よく言われたけれど
天国に行ってしまったからって 会えないからって
忘れることなんてできないよね。

ただ、住んでいる場所が、ここでないだけで
ただ、会えないだけで、息子が私の子どもでなくなることは
絶対にないんだもんね


色んな人が、忘れずにいる私たちに 色々と言ってきたけれど
その人は、子どもを亡くしていない。
こんな私たちの想いは、同じ経験をしてない人にはわからないよねって。


こんな話をしていたら あっという間に時間が過ぎて
5時間半も話していました(^_^;)
2013.04.18 Thu l 将君への想い l コメント (0) トラックバック (0) l top
娘の成人式の写真を撮ってもらう写真屋さんは
二人のお宮参り、1歳の記念写真を撮った写真屋さんです。

1歳の時の写真を撮っているということは
毎年、お誕生日の時に写真を撮ろうと思っていたのかもしれないね
忘れていたけれど・・・・。

その時の写真を出してきて見ました。

20年ほど前の写真には、
若いおばあちゃん おじいちゃん パパ ママ
そして、子どもたちが映っていました。

みんな、いい笑顔でとても幸せそうです。

結婚7年でやっと授かった子どもたち。
幸せいっぱいの毎日を過ごしていました。

その幸せいっぱいの笑顔を見て
悲しくなってしまいました。

深く考えると落ち込むので さらっと想いを流して
アルバムを閉じました。


娘の成人式の色んな事をしていると幸せを感じます。
でも、その想いとならんで 成人式を迎えることができなかった
息子のことを思います。
2013.04.18 Thu l 成人式 l コメント (0) トラックバック (0) l top
今朝の地震は、本当に怖かった。
揺れ自体は、阪神大震災の時に比べたら 全然大したことないんだけど
でも、あの時も、小さい揺れから大きな揺れが突然やってきたことを
体が覚えていて この揺れの次にもっと揺れるんじゃないかと思ったり
あの日のことが フラッシュバックしたりして

心臓が バクバクしていて 手も震えて。。。
今でも、なんか宙に浮いている感じがする。

今日の予定をすべて取りやめて家にいようと思ったけれど
でも、家にいても 余計なことを考えるからと
予定通り 出かけることにした。

行ってみると みんな普通に着ていた、何事もなかったように。

でも、夕方出かけたところでは、みんなが地震の話題をしていた。
私の顔を見るなり 大丈夫だった?と声をかけてくれる人もいた。

すぐに、メールをと 思ったけれど、大変な時だからこそ
メールを控えておいたほうがいいと思って何もしなかったと
行ってくれた人がたくさんいた。

すぐにメールをくれた人。
パニックになっているだろうという時間をあえて避けて
メールをくれた人。

みんなみんな、気にかけてくれていたことがうれしかった。
きっと 連絡をくれていない人も 心配してくれているだろうなって思った


夕方の出先での地震の話題
たくさんの人が言っていた、18年前のことを思いだしたと。
18年もたっているのに あの日のことが鮮明に蘇ってきて
すごくこわかったって。

あの日のことは、普段の生活では あまり考えたり感じたりすることは
ほとんどないけれど、揺れを体験して 体は、しっかりと覚えていたというのが
みんなの感想だった。


あちらこちらで、地震の話題になっていて
そのまま、18年前の震災の話題に移って行った。


地震の話題ができるのは、安心できる半面
今は、その話題をしたくない

みんなが 話しているのが聞こえてきて
泣きそうになった。

その場から 逃げ出したくなったりもした。


でも、深く考えるとしんどくなるので
さらっと流すようにしている。


ネットで、1週間以内に 震度5程度の余震が来るって言っている。
やだな。。。。 家族が、ばらばらの時に地震が来たら。

お出かけからの帰り 震度4だったこともあって
うちの周りは、見た目の被害はない。

色んな人が、普通に歩いていて
普通の日常が そこにあった・・・・・

あの地震、夢だったの??って いう錯覚に陥りそうなぐらい
普通の日常に、落ち着かなく集中力もない自分がへんなんじゃないかと
思ってしまう・
2013.04.13 Sat l 阪神大震災への想い l コメント (0) トラックバック (0) l top
朝方、揺れで目が覚めました。
緊急地震速報もなっていたけれど
それよりも 揺れのほうがびっくりした

揺れてる!と思って 普段なら
すぐにおさまるのに ずっと揺れていて
そのあいだ中、心臓がバクバクして
震えが止まらなくなった。


寝ていたということもあって
揺れている間、この揺れがすぐ止まる
止まらない もっとひどくなる?

無意識にそんなことを考えていて
体が、硬直して 動けなかった。

揺れの大きさは、震度3よりは大きい
でも、びっくりするほど大きくないので
震度4ぐらいかな?って思った。

揺れが収まった時に 娘が起きてきてワンちゃんを抱っこした


また、何もできなかった(*_*)
将君を助けることができなかったあの時と同じ・・・


私は、娘のところに行くことができなかった

将君を助けられなかった時に あんなに後悔したのに
なのに、今回また、何もできずに動けなかった


母親として失格・・・
その気持ちに押しつぶされそうになった


このあたりの揺れは、震度4で 揺れとしては大したことないけれど

背中で感じた地震の揺れは、18年前に感じた揺れを思い出させた

明らかにあの時とは、違う小さな揺れ。
あの時は、背中が ぐるぐると回されるような
縦横の激しい揺れだった。

今回は、そんな回されるような感じはしなかった。


でも、震源が 淡路島ということを聞いて
あの日と重なって 余計に怖くなった。

すぐに、ジム仲間から メールが入った。
ツイッターに書きこんだ。

facebookを見ると みんな書きこんでいて
同じように 阪神大震災を思い出して すごくこわかったと書いていた


18年以上たっているのに
生活の中でそれを感じることもほとんどないだろうに
みんな、あの日の揺れを思い出していた。

見た目の怪我は、ないけれど
体と心は、あの日のことをしっかり覚えていた。

心の傷、そういう表現をされているけれど
傷という表現が どうかという意見も多いけれど
この苦しい気持ちは、「心の傷」という表現以外に
どんなふうに言えば 自分の中でしっくりくるんだろうって
ずっと考えていたけれど

今、思うのは、やっぱり「傷」として残っていると感じた。


たくさんの人が、電話やメールやfacebookでコメントをくれた。
そこで 怖い悲しいと口にすると 気持ちが少し落ち着いた。
2時間以上たつ今でも 心は、ドキドキして震えているけれど
2時間前の あの心臓のバクバク感 手が震えてメールも打てない状況よりは
ずいぶん落ち着いたかな?



2001年におこった 芸予地震の時に
たまたま、岩国に行っていて その地震を体験しました。


今回は、あの時の 震度5の地震よりも小さい揺れしか感じていないのに
あのときよりも バクバク感が大きくて 震えが止まらなかったのは

阪神大震災の時と同じ 寝ている時に起こったから?
揺れが、長かったから?
背中で感じた揺れが、あの日を思い出させたから?


芸予地震の時に思ったこと。

娘がそばにいて 無事でいることが確かめられることが
こんなに 安心なんだということ。


今回、家族が一緒にいるときに起こったので
家族の無事は、確認できたけれど
怖かったし、将君のことを思うと
悲しいという気持ちが大きかったのかもしれない


心配してくれて 連絡をくれたみんな
ありがとう
2013.04.13 Sat l 阪神大震災への想い l コメント (0) トラックバック (0) l top
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