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今日は、父の誕生日
生きていれば 79歳

突然の父の死
あまりに突然で その現実を受け入れようと
必死だった私

泣いて泣いて泣いて
娘が 恐怖を覚えるぐらい泣いてた私

慟哭…

って あの状況を言うんだろうな


父が亡くなった直後 父の夢を見た
弟に「行くぞ」と言って 玄関を出る夢


その時に感じた

父は、死を受け入れたんだって


父の友達が たくさん来てくれた
そして、父のために泣いてくれた


父の人生 色々あったけれど
きっと、幸せな人生だったんだねって思った


父の死を経験し
悲しみの中で そんなことを考えた私


私が死んだあと
ママの人生は、辛いことがあったけれど
たくさんの友達に囲まれて幸せだったんだろうなって

娘に感じて感じてほしいと思った

そして、そのことを 私を失った悲しみから
歩き出す力にしてほしいと思った


だから、人生を一生懸命に生きていこうと思った

将君を失った悲しみをなくすということではなくね


うまく説明できないけれど
人生を一生懸命に生きようと思った


それは、父が 自分の命と引き換えに
私に教えてくれたこと。

だから、そう感じたことを 大切にして生きていこうと思う

それが、私が父のことを大切にしているということだから



そして、今日は
私の大好きな おじいちゃんの命日でもある


私が小学校1年生の時に天国に旅立った


亡くなる前に 病室に行った
今思うと
おじいちゃんは、自分の死をわかっていたんだろうな

私に最後の言葉を言ってくれた

「女の子だから 優しくいるんだよ」って。

私は、その言葉が ずっと胸に残っていた


小学校や中学校のとき
帰りの掃除のときに みんな帰ってしまって
私一人が掃除をしなければいけなくなったことがあった

なんで 私一人なの?って 腹が立ったりしたけれど

誰もいない教室で一人掃除をしながら
おじいちゃんが、天国で見てくれている

誰も私が一人で掃除をしていることを知らなくても
おじいちゃんが 知ってくれていて
偉いねって 頭をヨシヨシしてくれているはず

そう思っていた


おじいちゃんは、ずっとずっと
私のそばにいてくれる そんな風に感じて育ってきた


おじいちゃんが最後に言ってくれた
「優しい子になりなさい」

そんな風にこれからも生きていたいなって思う


そして、娘にも優しい子になってほしいと思う



6月30日

私にとって 大切な大切な日です
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2013.06.30 Sun l 父母への想い l コメント (0) トラックバック (0) l top
絵本と本の原稿を書こうと思って
10年前に書いた想いを読み返しています

娘への手紙のつもりで書いた文章

読んでいて 切なくなりました

今よりも ずっとずっと 悲しみの中にいて
自分の想いなのに
そうだ、こんなに辛い思いでいたんだと 悲しくなりました


娘の悲しみ 私の悲しみ
その悲しみをどうすればいいのか

何もかも、わからなくて
その日その日 その時その時の想いを
自分の中で受け止めることだけの毎日

笑えるようになっても
笑えるようになった自分を責め
悲しみの中に自分を引き戻そうとしていた

読んでいて
涙が止まらない


よかった
私、まだ 泣ける。。。。
2013.06.17 Mon l 絵本作り l コメント (2) トラックバック (0) l top
しっかりと握っていたはずだった風船

ちょっと力を抜いた途端
娘の手を離れて 空に飛んで行った

大事に大事にしていたのにね

でも、きっと その瞬間
風船よりも他のことに意識が行ってしまっていただろうな


飛んで行った風船は
もう、帰ってこない


風に流されて どんどん遠くに行ってしまう


きっと、風船は、将君のところに行ったのかもしれないね
そう話したっけ。


遠い遠い娘が幼い日の出来事


幼かった娘も、もうすぐ二十歳。

親の手を離れて大人になり
自分の世界で生きている


18年前 生きているのがしんどくて
でも、この子が大人になるまでは
生きていようと決めたっけ


約束の期限が、もうそこまで来ているって
そんな風に感じる今日この頃


二十歳のお誕生日の日
家族で夜景のきれいなレストランに行ってお祝いをします

お祝いのシャンパンをあけて
一緒にお酒を飲むのが 娘が小さいころからの
私の夢・・・・。

家族で写真を撮って 一生思い出に残る
一日にしたいなって思っています


同じ日に 二十歳になるはずだった息子
会いたいな~ 会えるかな~?


写真屋さんで見た
男の子の成人式の写真

こんな風に写真を撮っていたのかな?



なんで 死んでしまったんだろう?

なんで 将君だったんだろう?

なんで 私じゃなかったんだろう?



風になりたいな・・・・
そしたら、どこかで将君に会えるかな?
2013.06.17 Mon l 成人式 l コメント (0) トラックバック (0) l top
~父の日に思う~


お昼を食べたら なんだか眠くなって
横になった時に

遠い昔の子供のころのことを思い出しました。

おばあちゃんの家は古い家(地震で壊れた家)
夏休み そこに、蚊帳をつってくれて
おばあちゃんとよくお昼寝をしたっけ。

お庭が見える広いお部屋が
その家で一番風通しが良くて

お昼寝をするときはいつもその部屋だった。
おばあちゃんが、うちわであおいでくれて

眠くないと言っているのに
寝なきゃダメと言われて。。。。

そんなおばあちゃんも年を取って
認知症になり 三田の施設に入りました。

地震の前の日に子供たちを連れて
おばあちゃんに会いに行きました。

遠くに住んでいた私たちは
次はいつ会えるんだろう?

子供たちと会うのは、もしかしてこれが最後になってしまうのかな?
この時間を大切にしなきゃ そんな風に思いました。

そして、次の日 阪神大震災。
そして、息子が天国へ

息子には「次」は、なくなってしまいました。

あんな風に思わなければよかったと
どれだけ後悔したことでしょう。

震災後、1年ちょっと経って
おばあちゃんの容体が悪くなって
意識がなくなったまま 7か月入院しました。

私は、悲しみの中 いろんな思いもあり
おばあちゃんに会う事ができないでいました。

そして、おばあちゃんが 亡くなったという連絡。

あれから 心の奥に 会いに行かなかった自責の想いを
抱えたまま それを自分の中で否定して生きてきました。

今日、遠い昔のことを想いだし
おばあちゃんのことを想いだし
あの時のことを想いだし

その自責の想いが出てきました。
会いに行けばよかったと。。。。。

孫の中で私だけが 女の子。
きっと、すごくかわいがってくれていたんだろうなって思います。

それなのに 母に対していつも厳しかったおばあちゃんに対して
たくさん腹を立てて いろんなきついことをいっぱい言ってしまった。

幼稚園のころから 隣に住んでいたおばあちゃんとの思い出が
自分が思っていた以上に たくさんあることに
今頃気が付きました。

父は、子供のころに お父さんを亡くして
おばあちゃんが、女で一つで 二人の子供たちを
大学に行かせた。

父は、そんなおばあちゃんにたくさん感謝していた。
おばあちゃんを とても大切にしていた。

仕事が忙しくて 父と遊んだ思い出は
あまりないけれど 父の考え方や生き方を
私は、誇りに思っています。

今日は、父の日
特別に何も用意していないけれど

息子を失って悲しんでいる私を
すごく心配していた。

親として泣いている娘を見るのが辛かったんだろうなって思う。

前を向いて生きろと よく言われていた。

父がいるころは、まだまだ、そこまで元気になれていなかったけれど
今なら、少しだけ胸を張って
頑張って生きてるよって 言える。

人生を楽しもうと頑張って生きている私が
父の日の父へのプレゼント。
2013.06.16 Sun l 父母への想い l コメント (0) トラックバック (0) l top
絵本の原稿&本の原稿を書いていかないといけないけれど
なかなか 進みません(+_+)

頭が拒否しているのか
想いがたくさんありすぎて
自分の中でまとめきれないと思っているのか。

こんな私ひとりの想いを
一緒に形にしましょうと言ってくださる方の存在に
ただただ、感謝です。

娘ももうすぐ20歳。
親の手を離れて自分の世界を作っていっている。

息子も生きていれば同じ20歳。
天国でも同じように年を重ねているのかな?

息子にもけむたがられないように
自分の人生の楽しみを見つけて
子離れしなきゃね。。。。 

そんな想いも残せたらなって思う。

本&絵本の出版は
きっと、私の子供たちへの想いの 一つの区切りになる気がする

区切りにしたいとも思う。
2013.06.09 Sun l 絵本作り l コメント (2) トラックバック (0) l top
大きな事件事故災害などは、
テレビや新聞で大きく取り上げられて 

「あ~ 今日だったんだ」と

思い出すことができるけれど


それでも、日常を忙しくしていたり、
テレビなどで取り上げられない事件事故災害は、
思い出されずにその日が終わってしまう。


世の中のいろんな人から忘れられてしまうのは、
仕方ないのかもしれないけれど、

自分の周りの友達や子供の友達には、

覚えていてほしいなって思うし、
その日だけじゃなく 思い出してほしいし、
ずっとずっと忘れないでいてほしい。


ネットで、子供を亡くしたママたちと交流しているときに
あるママが、言った。

将君は、阪神大震災で亡くなってよかったね
って。

うちの子は、赤ちゃんのときに病気で亡くなったから
命日を覚えてくれる人がほとんどいないって。

そのママの気持ちが、わかるから
そうだよね、って それ以外 何も言えなかったのを思い出します。


ママにとって
自分の子供がいたことを 命があったことを
忘れられてしまう事って
やっぱり 悲しいことなんだよね

新聞、テレビで取り上げられない命
その大切な命を失って悲しんでいるママたちが
いっぱい いっぱいあることを想像してほしいなって思います。

大切な人を失った人のそばにいる方
どうか その大切な人のこと
ずっとずっと 忘れずに覚えてあげてほしいなって
思います。
2013.06.09 Sun l ママの想い l コメント (0) トラックバック (0) l top
12年前の2001年6月8日は、
大阪教育大付属池田小事件が起こった日です。

この事件で、小学校低学年の女の子7人 男の子1人が
天国へ旅立ちました。

娘と同年代の子供たちが犠牲になった事件。

どれだけの方が、この事件のことを覚えているのでしょう。
どれだけの方が、今日が、その日だと覚えているのでしょう。

自分たちには、直接関係のない事件事故災害については
どうしても 忘れてしまいがち

私自身もそうです。

だからこそ 発信することは大切なのかなって思ったりします。


4年前 震災15年に向けて
何かをしたいと娘と話をしました。

娘は、自分の通っている大阪の学校のお友達に
阪神大震災のことを伝える何かを一緒にしようと話をしたところ

阪神大震災っていつ?
阪神大震災のこと 興味ないわ と言われて

自分と同じ年代のお友達の言葉にショックを受けていました。


そのことについて
私は、仕方ないなって思います。


だって、自分自身も そうであったから。


でも、震災の記憶を未来に伝えたい
そういう方のお手伝いができるなら
してみてもいいかなって 思っています。


でも、私は、震災を伝えていきたいというのではなく
そこで亡くなった命があって

息子の命は、たくさんの中のたった一つの命にしか過ぎないけれど

その命は、私にとって大切な大切な
自分の命に代えてでもよみがえらせたいと思う命であることを
伝えたい

そして、みんなの命も お父さんお母さんにとって
そうであるということを知ってほしいと思う。

そんなお手伝いができたらいいなって思います。


死んでしまった後 命はどこに行くのかは
私は、わからないけれど

でも、その子たちがいる世界が
幸せに満ち 笑顔でいられる世界であることだけを 祈ります。

将君も12年前の今日天国に旅立った子供たちも
事件事故病気などで パパやママと会えなくなってしまった子供たちも
みんなみんな 幸せな時間を過ごしていますように。
2013.06.08 Sat l ママの想い l コメント (4) トラックバック (0) l top
先日、主人の母から 宅急便が届きました
中に入っていたのは、『パンの缶詰』

以前、テレビで紹介されていた 『救缶鳥プロジェクト』を企画されている
「パン・アキモト」さんの商品。



3年前、主人の実家のすぐそばにある「パン・アキモト」さんを
訪ねました。

メールで問い合わせて、社長さんに直接お会いすることができ
いろいろお話をお聞きした時の 日記です




***********************************


パンの缶詰  2010年05月12日18:55

4/11(日)「夢の扉」(TBS系列)という番組で
『パンの缶詰』が、紹介されました。

阪神淡路大震災をきっかけにできた 防災グッズとしての『パンの缶詰』。

今では、海外での災害や世界の飢餓救済活動に使われているという。
(救缶鳥プロジェクト)

その番組を見た娘が、感動し ボランティアをしたいと言い出した。

そして、その「パンの缶詰」を作っている‘パン・アキモト’というパン屋さんが、
主人の実家のすぐ近くにあることが判明


ネットを通じてそのパン屋さんに連絡をとり
GWに主人の実家に行ったときに
お話を聞きにお店に行ってきました

社長さんが対応してくださり
パンの缶詰を作るきっかけや現在の活動などなど・・・

お忙しい中、本当にいろんな話をしてくださいました


そのパン屋さん 今では大きなお店になり
沖縄にパンの缶詰の工場を持つほどの大きな会社になっていますが

主人いわく 昔は、主人の家から歩いて5分ぐらいのところにあった
町の小さなパン屋さんだたそう


娘は、テレビで初回されていた アキモトさんが
目の前にいることに感動していたよう

私は、神戸でのいろんな活動の話や
震災の資料 または、手記の冊子等をお渡ししてきました


その 社長の秋元さんから 宅急便が届きました

なんと、私たちの写真をラベルにした
パンの缶詰!!!

1485338869_151.jpg


ただただ、感動です


私が、担当している NPOの通信に
娘が、今回の体験をレポートするそう

震災のことも将君のことも覚えてない娘が
成長し震災にかかわって行く・・・

母として 感無量です


パンの缶詰 オリジナルラベルでいろいろありました
自分のオリジナルも作ってもらえるみたいです


1485338869_90.jpg


パン・アキモト
http://www.panakimoto.com/


救缶鳥プロジェクト
http://www.nasuinfo.or.jp/FreeSpace/aki_pan/kyucancho.htm

2013.06.04 Tue l 優ちゃんへの想い l コメント (0) トラックバック (0) l top
絵本の原稿を書き始めていますが

18年間のいろんな想いが 頭の中で

自分のことを書いて~と 強く自己主張をしていて
その控えめでない それぞれの想いたちを

ちゃんと 仕切りきれずに
困ってます。。。。(^_^;)

主人や娘と同じように
それぞれの想いが 自分が大好きでいるみたいです(笑)

子供たちのためにといいつつも
どこかで、同じ思いをした方たちにも
読んでいただけたらと思ったりしていると

どうしても テーマがぶれてしまって
まとめきれずにいましたが

この絵本は、息子と娘の20歳の記念に作るもの
それぞれへの想いを絵本にしたいと思っています


そこまでは、しっかりと決まっているのに
それぞれへの想いが 多すぎます。


イラストを描いてくださる方が
言ってくださいました

想いをすべて言葉にしてみてください
そこから 絵で表現できるものは
削っていけばいいですからと・・・・。


お二人のイラストを見せていただきました
イラストなのに 顔の表情だけでなく色や背景から
いろんなことが伝わってくる素敵な絵

私たちの想いをわかろうとしてくださっているのが
たくさん伝わってきました。


悲しい出来事を描く絵本だけど
読み終わった時には、私の子供たちへの想いが
読んでくださる方に伝わって
温かい気持ちになってもらえたらいいなって思います

悲しさの中にある母の愛を
感じてもらえる絵本になればいいな。
2013.06.03 Mon l 絵本作り l コメント (0) トラックバック (0) l top
Happy Birthday

明日は、ふたりの誕生日

お誕生日は、ママがふたりに出会えた日
ママが、ふたりの「ママ」になった日

だから、涙ではなく、笑顔で過ごそうと思う






パパとママが、結婚して7年経って
やっと 会いに来てくれたふたり

命が、お腹に宿る事が こんなにも大変だという事
こんなにも偶然の積み重ねだという事
そして、その命に会えることが 
幸せなんだという事を 知った


双子ということで
妊娠してから 無事に生まれるまでが大変だった

流産しかけて 入院してた
早産しかけて ずっと入院してた

少しでも長く ママのお腹の中で過ごせるように
24時間ずっと点滴をしていた
最後の方は、点滴する血管が無くなったっけ

トイレに行く事もできず寝たきりの生活
遠くに住んでいるパパに電話をしに行くこともできず

同室の人達の旦那さんが会いに来る夜の時間
カーテンを閉めて 一人で泣いてたっけ

そんな辛い寂しい時間を
乗り越えることができたのは
お腹にあなたたちが、いてくれたから

予定日の少し前に
突然、破水し真夜中の緊急手術

やっと会えたふたりは 早産で生まれてきたため
とっても小さくて・・・・
保育器の中に入った

一生懸命生きようとしてた

命に別状ないと聞き ほっとしたら
涙が止まらなかった

やっと 会えたね


2週間後に 2人は退院し
ふたりの育児が、始まった

交互に泣き、昼も夜もなく 授乳にオムツ代え
ほとんど寝れない毎日が続いた

眠くて フラフラなはずだったのに
ふたりが、同時に寝てくれた 時間
ずっと、ふたりの顔を見ていた

その時間が、とても幸せで・・・・


大変なはずの育児さえも
育児をできるとう幸せ いっぱい感じて
本当に楽しい毎日を送っていた


そして、阪神大震災


あんなに大切に大切にしてきた 命は
一瞬にして 消えてしまいました

その悲しみは 言葉できないぐらい大きく深く
その時、ママの人生は終りました

生きることが 生きていなくちゃいけないことが
こんなに辛いってこと はじめて知りました

何で、私は、死んじゃいけないの?
死ぬ事ばかりを考えて生きていました

もう、笑うことなんて 絶対にないと 思っていた

将君が いなくなって はじめての2歳のお誕生日
どう過ごしていいかわからず
その日が、来るのが怖くて 毎日泣いてくれしてたっけ

来てほしくないと 思っても 誕生日は
カレンダーから消えてくれるわけもなく
その日を向かえることになった

ママは、ふたり分のケーキ 2個を焼いて
ロウソクを2本ずつ立てて
3人で HappyBirthdayの歌を歌って


涙が止まらなかった

あなたたちの 誕生日が来るたびに
いるはずの 将君がいない 寂しさに
押しつぶされそうになって 誕生日を過ごしていました

あれから、12回目のお誕生日
14歳になった ふたり

ママは、もう お誕生日に 涙を流さないと思う
それは、ママが、将君のことを忘れたわけでではなくて
ママは、将君を、心の中にしっかりと感じることができるようになったから

そう思えるようになったのは
優ちゃん あなたがいてくれたから
優ちゃんの笑顔が ママを支えてくれたから

そして、将君
将君と優ちゃん 二人の育児をしていた時の
あの幸せな時間があったから

あの時間が、ママの心が弱った時に
たくさん、元気をくれた

ふたりとも ありがとうね


今日、1日早いけどと
お友達が、ふたり分のカードを用意してくれて
ふたりにプレゼントをもって来てくれた

でも、持って来る途中で 将君へのカードが
行方不明になったという

カードに書いてくれたメッセージをメールで送ってくれた

「Happy Birthday Dear Shou-kun!
この笹が見えますかぁ~?  この風鈴の音綺麗でしょ~♪」
(風鈴のついた笹の植木鉢がプレゼント)

そして、
『カードが無くなったのは、「将君が もって行ったのかな?」って思った』って
書いてくれていた

なんか、その言葉、うれしかったな
そういう風に 感じてくれる 友達と『友達』でいられること 
私って、幸せだな って 感じた

ありがとうね ○○○○


何度も書いているけれど
私は、本当に素敵な友達にさせえられて
今日まで過ごしてこれたと思う

こんな私を 理解しようとしてくれて
そして 受け入れてくれた

心から感謝しています




お誕生日は、ママがふたりに出会えた日
ママが、ふたりの「ママ」になった日

だから、涙ではなく 笑顔で過ごそうと思う


14歳のあなたたちへ
2013.06.01 Sat l お誕生日 l コメント (1) トラックバック (0) l top
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