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昨日は、月命日だった。

どれだけの人が、それを意識てくれたんだろうね…
深く考えると しんどくなるから
そんなこと もうどうでもいいって 思うようにしてる私(笑)


阪神大震災から18年と8か月過ぎた。

そして、東日本大震災から 2年と半年が過ぎた。


神戸でも 東日本だ震災の復興についてを考える人たちがいる


「復興」

その言葉を聞くと 心がざわざわしてくる


阪神大震災のころも
そんな風に「復興」に向かって動いていた時があった。

神戸以外では、震災?もういいんじゃないの?
区切りのある時 何かあった時しか
ニュースで取り上げられなくなっていた

当時、山口に住んでいた私は
震災の記事を探していたけれど
ほとんど見ることはなくなっていた。


神戸の街は、「復興」に向けて
頑張っていたんだろうな


4年後、神戸に戻ってきた

「復興」という言葉が、街中にあふれていた

「復興? 将君は復興しないし。。。」
そう思うと 建物や道路 見た目の復興復興と
言っていることに 腹が立っていた


慰霊祭に出れば、街の復興を亡くなった人たちは願っているという
市長さんのあいさつがあった

また、復興かよ。。。

慰霊祭に行っても 腹を立てていたのを思い出す。

「復興」という言葉に ずっとずっと 苦しんできた私。

神戸では、「復興」トいう言葉が聞かれなくなったと思ったら
今度は、東日本大震災の復興・・・・

その言葉を聞いて 辛い想い 苦しい思いをしている人は
一人や二人ではないだろうなって

「復興」という言葉を聞くたびに当時の自分と重ねて 思ってしまう。

18年9か月が過ぎて
遠く離れた 神戸で「被災地の復興」という言葉を聞いて

心が苦しくなっている自分がいたことに
ちょっと ビックリしている。


「復興」という言葉が、トラウマになっていたんだと
改めて 知ったのでした。
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2013.09.18 Wed l 心のケア l コメント (0) トラックバック (0) l top
地震直後 生き埋めになっているときのことを母と話した。

私の記憶が飛んでいるのか
母が思い違いをしているのか

同じ場所に生き埋めになっていたのに
覚えていることが違っていた。

そういえば、その時の事
18年間 話したことなかったっけな

その時のことを想い出したのは
地震のあとずいぶん時間が経ってからだった気がする

振り返ることが辛くて
それを考えることができなかったから


母に、こうだったやんと言われても
全く記憶に残っていない


ショックのために その部分だけの記憶が
欠落してるのかもしれない

本当は、事実を知りたいけれど
その場にいたのは、母と私と娘だけ

事実は、もうわからないだろうな


あのころの記憶から消えてしまっている事実を
考えると 頭の中がぐにゃぐにゃになってしんどくなる


18年たったから 大丈夫って思われるかもしれないけれど
そうじゃないんだよね
2013.09.04 Wed l 阪神大震災記録 l コメント (0) トラックバック (0) l top
今日は、2年前の台風12号による「紀伊半島大水害」が起こった日です。

80名以上の方が亡くなりました。

そのことを、ニュースで聞いて 今日がその日であることを
忘れてしまっていた自分にショックを受けました。


大切な人を失った方にとっては
忘れることのない 平成23年9月4日なのに・・・・。


関西に住んでいる私でさえ
そんな状況なので 関西から離れたところに住んでいる人にとって
もっともっと 過去のことになっているのかもしれません


兵庫県の佐用町の水害もそうですし
毎年、各地で起こっている自然災害や
事件事故・・・・


その一つ一つをどれだけ覚えているのかなって

私は、阪神大震災のことを忘れてしまっている人を見ると
なんでなの?と怒りやショックを感じてきました。

でも、それって 自分勝手なことだよね
だって、私自身もそうなんだもの

大きい災害だけが覚えてもらえて
そうでない災害は、忘れられていっていいっておかしいもんね


どう頑張っても
すべての災害や事件事故を覚えていることはできない。
それを責められたら何も言えない。

だから、覚えることができない以上
阪神大震災を忘れてしまった人がいても
文句を言えない 言っちゃいけないと思いました。
2013.09.04 Wed l 日常の想い l コメント (2) トラックバック (0) l top
悲嘆からの回復・・・

って、どんなことを言うんだろう?



これって、他人が決めることじゃない気がする。

自分自身が、日常生活を普通になったから、もう回復したと思えば
たとえ毎日泣いていたとしてもそれは、その人にとっての回復。

たくさん笑ったり 前を向いて歩いたり
人生を楽しんで生きていても
そのひとが、自分は、笑顔の裏に悲しみを抱えて生きている
回復したと思わないと思えば その人は、まだ回復してない。


その人がそれでいいと思うなら
無理に回復しなくてもいいんじゃない?
大切な人と離れ離れになってしまったんだから
悲しくてあたりまえなんだから。


私は・・・・
どうなんだろう?

私の中で心から 楽しい人生を送って
自分の人生を全うしたいと思っている。

でも、将君のことを忘れたわけじゃないし
将君のためにいろんなことをしたいと思っている

そのために、自分の人生を費やしてもいいと思っている

ただ、楽しい人生にしたい。

その楽しい人生にしたいという想いは
将君のことを思い続ける中で見つけた答え

楽しい人生を送ること=悲しみを乗り越えた
とは思わない

楽しい人生を送ることが 私の中で将君を思っているという
強い気持ちから生まれた選択だから。


今の私、将君の死を乗り越えたとは思わないし
将君の死を仕方なかったとも思わないし
今でも、自分の命と将君の命を交換できるなら
交換したいと思っているけれど

悲嘆からは、回復したと思う。

どこでそう思うかと言われたら よくわからないけれど
将君のことを思って 将君のために何ができるかをずっと考えてきて
出した答えが楽しく素敵に生きるということだった。

そして、そんな素敵なママの状態で
将君に会うんだと決めた。
2013.09.04 Wed l 将君への想い l コメント (0) トラックバック (0) l top
◆ 子供たちの笑顔を支えに ◆

笑顔・・・

笑顔でいるために
たくさんの想いを心の中にとじこめて生きてきました。

そんな私を見て周りにいる友達は
「よかった、元気になって・・・」と
喜んでくれます。

みんなが、こころから心配しているのを知っているから
「そうなのよ、ありがとう」と答えます。

一生、笑うことはないだろうと思っていたあの頃から
10年が過ぎようとしています。

悲しみを心の奥に閉じ込めるのが
上手になりました。

溢れそうになる涙を止めるのが
上手になりました。

涙を隠して笑顔で生活するのが
上手になりました。

でも、時々、ふっと不安になることがあります。

私は、悲しみというものに
麻痺してしまっているのかもしれないって・・・。

時々、突然、襲い掛かってくる悲しみがあります。

そのまま、その悲しみを自分の中に
受け入れてしまえば
今の自分を保てなくなりそうで
大声で「わ~~~!!!」っと
叫びたくなるような、大きな大きな悲しみ・・・

でも、その次の瞬間に
必死でいつもの生活に戻ろうとしている・・・

子供を失ったのに笑って生きている。
そんな自分自身に気がつき、そんな自分を否定したくなる

それでも、笑って生きて行くことを選んだ。
自分や自分を支えてくれている
大切な人たちのために笑顔でいたいと思う。

子供たちの笑顔を思い浮かべて思う

頑張って生きて行こう!!


***********************************

◆ えがおをふたたび ◆

この笑顔の向こうに
たくさんの悲しみがある

その悲しみは、決して癒されることはない
心の中から消える事がない大きな悲しみ・・・


その悲しみの向こうから
幸せだった日々を過ごしていたあの日の私達が
今の私にしあわせ一杯の笑顔で手を振っている

私は、その笑顔のおかげで
今、また、笑顔で生きて行きたいと思える

消える事がない大きな悲しみだけど
あのときの幸せな時間が
今の私の心の支えになってくれている

あなたたちの笑顔の思い出が
今の私に、再び、笑う事の喜びを思い出させてくれた

そして、この私の笑顔があなたたちの心の奥に届きますように…
2013.09.01 Sun l 生きるために l コメント (0) トラックバック (0) l top
大切な人を失った人たちは

それぞれの「あの日」からどうやって
「今」を生きてきたのでしょうか・・・

悲しんだり、苦しんだり、投げやりになったりしながら
孤独やたくさんの挫折を感じてきたことでしょう
それでも頑張らなくてはと思いながら
毎日を必死で頑張って、生きてきたのでしょう

その辛く苦しい思いは、決して消えることなく
これからも続いていくことでしょう

周りから、元気そうでよかったといわれ
笑った顔の奥の心の中まで理解してもらえるはずもなく
元気に見えた自分にさえ
罪を感じた時もあったのではないでしょうか


大切な人を失ってから 出す事が出来た悲しみは
それぞれの人の悲しみのほんのひとかけら

そのひとかけらを出すことさえ、辛く苦しいということを
どれだけの人が理解してくれているのでしょう

その人が抱えてきた悲しみ、
そして、これから抱えていく悲しみは
そのひとかけらの何倍も何十倍も何百倍も大きいのです


「頑張ること」は、必要かもしれない
でも、頑張ることだけでは頑張って行くことができない

でも、頑張ることでしか
自分をささえられない人もいるかもしれない

そんな人たちが、集まる事でちょっとした余裕が生まれ
今の自分を見つめる事ができるかもしれない

自分の納得できる道をさがしながら
それぞれの思いでそれぞれのペースで歩く事が出来る
そんな場所と仲間がいればいいなと思っています

2003年10月10日(金)
2013.09.01 Sun l 生きるために l コメント (0) トラックバック (0) l top
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