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今日、久しぶりに
カウンセリングを受けてきました。

私が、カウンセリングを受けるのは
息子を失った悲しみを消したいから行くのではなく

私が、生きてきた19年の自分自身が
ネットなどの色んな情報によって
揺らいでしまったり

人間関係のいろんなことで
ストレスがたまってしまったり

いろんな人に気を使って
想いを表現できなくなってしまったり…



そんな小さな色んなことの積み重ねが
雪だるまのように膨らんでしまって
どんどん、しんどくなってしまった。


カウンセリングに行くことで
何も変わらないかもしれない

息子も返ってこないし
悲しみも消えないし
何も変わらない・・・・

でも、私には、カウンセリングが必要


同じ経験している人に話すことも大切な時間だし
ブログで想いをつづることも大切な時間


同じ経験をしているからこそ言えない言葉もあるし
たくさんの人が見るブログに書けない言葉もある。


だから、私は、カウンセリングに行って
そんな思いを話してくる。


苦しくてどうしようもなくなって
カウンセリングに通っている人もいる中

この程度で先生の時間をもらうのは
申し訳ないかなって思うけれど

誰にも言えない想いを出す場所がそこしかないんだもの


そこに行く時点で
自分の中では、どうするべきなのか
ちゃんとわかってる。。。。笑


でも、それを良心?が邪魔をして
いい子でいるために それができないでいる。


先生は、そんな私の想いをわかってくれていて
私のしたいと心で決めていることを
肯定してくれる


本当は、自分で答えを出しているから
カウンセリングを受けたところで
何も変わらないけれど

でも、その答えを行動に移してもいいかな?って
思える。。。。そのことで楽になる。


それだけの事。
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2014.03.14 Fri l 未分類 l コメント (0) トラックバック (0) l top

わずか 1歳半だった小さな小さな息子。

一人では、生きることができなくて 
ママの姿が見えないと不安になり泣いてしまうぐらい小さかった息子。


そんな小さな小さなかわいい盛りの息子が、私の目の前で死んでしまった。

すぐそばにいるのに守ることができなかった息子の命。
すぐそばにいたのに 生きている私。

友達は、生きていてよかったと言ってくれた。
でも、私は一緒に死にたかった。
生きていることが 生き残ってしまったことが辛かった、苦しかった。

息子が、ママを探して泣いている気がして
そんな息子のためにそばに行ってあげなくちゃってずっと思っていた。

助けることができなかった命。
その命がなくなってしまった悲しみ。
助けられなかった後悔、生き残ってしまった罪悪感。
どんなに時間が経っても消えることはありません。

人は、時間と共に笑えるようになった私を
普通に生活をできるようになった私を簡単に
「乗り越えた」とか「子どもを失った悲しみ」から立ち直ったと言います。

でも、小さな小さな大切な大切な失われた命を
どうして忘れることができるでしょう?

どうして守れなかったという後悔や
自分だけが生き残ってしまったという罪悪感を
消すことができるのでしょう?

絶対に消えない
どんなに時間が経っても どんなに笑顔で過ごしていても
どんなに前を向いて歩くことができるようになっても。。。


笑顔になれたからと言って どんなに前を向いて歩くことができるようになった手も
子どもが死んでしまったことから
立ち直ったわけでも乗り越えたわけでもないと言う事。

目の前からいなくなったとしても 忘れる事なんて絶対にできない。
どんなに時間が経っても・・・。

子供を想い続けているからこそ、
深い悲しみを持っているからこそ、
苦しい罪悪感の中で生きているからこそ、

息子のために前を向いて生きていこうと思うことができた。
笑顔で生きていきたいと思えるようになった。
そう生きなきゃいけないと思うようになった。

全ては、息子と そばにいてれた娘のため。

子どもたちのために 子どもたちを心配させたくないから
だから、笑顔で生きようとしているだけ。
笑顔で生きて行きたいと 自分に言い聞かせて
必死に頑張っているだけ。


阪神大震災から 19年。
東日本大震災から3年。

いろんな人が言います。

あなたは、もう19年が経ったから大丈夫だと思うけれど
東日本大震災で大切な人失った人には
どう声をかけていいかわからない。

私だって、まだまだ悲しい。いろんな言葉に傷つきます。

今でも、小さいな男の子を見るのはつらい。
かわいいけれど、それと同時に生きることができなかった将君の事を思うと
その子を見ることができない。

双子を見ると 双子用のベビーカーを見るだけで
こころが苦しくなる。

芸能人や知り合いが、双子を妊娠したとか
双子なんだよって 聞くだけで 心がざわついて心臓がどきどきする。

小さい子は、本当は苦手。


19年たった今でも、
見たくないもの聞きたくないもの 聞かれたくないことが
いっぱい いっぱいあります。

それは、当時と何ら変わっていません。
言葉の一つ一つが こころに突き刺さってきます。

取材や語り部などをする中で
震災の事 息子への想いを平気で話しているように見えますが
そのことを話している私は、私という名の別人格の人間です。

客観的にその時のことを見て
話しているだけ・・・。
だから 涙も出ません。


動揺している気持ちを上手に隠すことができるようになっただけ
何事もなかったように受け流していくことが上手になっただけ。

すべては、社会に出て 普通に生きていくため。


そうしなければ 娘の幼稚園の友達 小学校の友達のママたちと
過ごすことができなかったから。

将君のママだけではなく 娘のママでもあったから・・・。
そうして生きてきた。

ずっとずっと 引きこもって 泣いて暮らしていいのであれば
人とかかわらなくてもいいのであれば
そんな風に生きなくても 頑張らなくても済んだと思います。


友達が教えてくれた。
子どもを想う方法は、悲しむことだけじゃない。

子どものことを想い 子どもが望んでいることを考え
子どものために 子どもが喜んでくれることを探して
そのことをして生きていくことも
子どもを想う方法の一つであるということを。

そうやって生きていることを
世間の人は、乗り越えたとか 立ち直ったとかという。

元気になってよかったとか 乗り越えたとか 立ち直ったとかといわれると
辛くなる。その言葉に傷つく。

絵本も 子どもを失うという悲しい現実の上で出来上がったものです。
出版、おめでとうと言う言葉をかけていただきますが

この絵本は、「おめでとう」と言える本ではないのです。

本当は、絵本を出さなくてもいい
ただただ、息子に生きていてほしかったです。


私の将君を失った直後の悲しみを知っている友達が
笑顔になれた私を見て よかったと言ってくれた。

それは、私の事を心から思って
そう感じてくれた言葉だと思うので
その言葉には、素直に
「ありがとう あの時は、ぐちゃぐちゃだったけれど
どうにかここまで頑張ってこれたよ。
みんなが、こんな私を受け入れてくれたから
だから 生きてこれたんだよ」って思えるし言える。



息子を想い続けて泣き続けてきた日々。
息子を想って 息子を助けられなかった自分が
どう生きれば 息子は私が生き続けることを許してくれるのだろうと

その答えを探しながら 一日一日を
泣きながら苦しみながら生きてきた。

その時間が、一日一日の積み重ねが 気が付いたら
19年という時間になっていた。

19年という 長い時間ではなく
私にとっては、一日一日が積み重なっていっただけ。


ただそれだけ・・・。

阪神大震災から19年が経ちました。
阪神大震災は、世間では 過去の歴史の中の一つの出来事になっているだろうなって
ふと思ったりします。

それを責めたり 嫌だと思ったりはしません。

経験してなかったり 関係のない人にとっては
その思いは普通の事だから。

私だって、他の災害や事件事故などについては
それが起こった日も覚えていないっていうぐらい
他人事になっているのだから

阪神大震災だけ覚えていてほしい
覚えていないって信じられないとは思わない。


世間では、19年前に起こった阪神大震災よりも
3年前に起こった東日本大震災のほうが、興味があるのも仕方ない。

でもね
阪神大震災で被災した人たちは
まだまだ、たくさんの事を抱えて生きているんだよ

時間とともに何も言葉にしなくなっているけれど
それぞれの人が、それぞれに
たくさんの事を抱えて今も苦しんでいる人たちはいっぱいいるんだよ。


来年の1月17日で 20年になります。
世間でいう区切りとしてはとても大きな区切りになります。

この20年間、震災の事を伝えようと頑張ってきてくれた人たちと
話をしていると 20年までは絶対に続けようと言っているって。

その時に思ってしまった。
そのあとは、もう終わりなの?
20年という区切りで、終わっちゃうの?

その言葉を聞いて悲しくなっちゃった。
この人たちにとって 震災は それだけのものだったんだ。。。て。

家族を失った人に区切りも終わりもない。
ずっとずっと続いていくのにね。

でも、悲しみを押し付けちゃいけないんだよね。
人それぞれだから・・・・。

私は、震災を伝え続けなきゃって思ってない。
そういう活動もしているけれど
こころからそう思っているわけじゃない。


ただ思っているのは
息子が生きていたことを忘れてほしくないなっていう事。

息子の事を知っている人たちだけには
息子が生きていたことを 覚えていてほしいってことかな?
2014.03.07 Fri l 未分類 l コメント (0) トラックバック (0) l top

この週末、友達とご飯を食べに行った。

そこでの話題。。。

世の中いろんな人がいるよね。
中には、ちょっと、違うって 思う人もいたりする。

でもね、そのちょっと違うって
何を基準に変わっているんだろうねって。

その基準は、自分なんだよね。


「自分の基準」は、人それぞれにあって
自分と違う基準の人を変わっているって思っちゃうけれど

その人から見ると、私たちもその人たちから見ると
変わっている人なんだろうねって。


自分の思い通りに行かないと
怒って 相手を責めたり
思い通りに行くように 周りの人を振り回したりして
ぐちゃぐちゃにしてる人。

その人は、気が付いていないのかな?
周りが迷惑しているって。
気が付いていたら 同じこと繰り返さないよねって。

まさか、気が付いてない????


でも、その人の中では、それが普通で
悪い事だと思っていないのかもしれないね。

何でなんで怒っているの?って
逆に怒られちゃったりする。


でも、私のこの基準も
人から見ると ヘンだったりするのかもしれない。


基準が違う人とは
違うと割り切って 上手に付き合うか

違う!と言って 離れるか・・・。

離れることができない状況もあるだろうから
上手に気持ちを切り替えて付き合うしかなんだろうね。


私の場合、母子中で 
「きれいにする」という基準が違うみたいで
いつもケンカ…。

娘は、片付けた!
私は、全然片付いてない!

どっちが正しい???(笑)

これも 気持ちを切り替えて
上手に一緒にいるしかないんだね。

自分が育てた子供だからね。。。(^_^;)
2014.03.03 Mon l 未分類 l コメント (0) トラックバック (0) l top
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