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今日も忙しい一日でした。

多種多様なことで 頭の中がいっぱいで
一つが終わったら、次の予定に向けて
頭を切り替えなくては、予定をこなしていけない。

やっと、一つ終わったと思ったら
また、新しい予定が入ってきて。。。

今日は、来年の1月に行われる
震災の授業(父兄参観)と先生の研修授業で
お話をという お話を正式にいただきました。

来月には、お世話になっている方からの
ご紹介で講習会でお話をさせていただくことも決まっています。

想いが溢れすぎていて
それらを整理してうまくまとめることができません。
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2014.08.28 Thu l 1月17日に向けて l コメント (0) トラックバック (0) l top
今日は、友達と夕食食べてきました。

震災で子供を亡くしたママやパパ。
そして、きょうだいを亡くした子供たち。


そして、実家が全壊したことがきっかけで
東京でずっと震災を伝える活動をしてきた親子。

それぞれが、それぞれの想いの中で
必死に生きてきた中で出会った私たち。

震災に会うまでの生活も
震災の時の状況も その後の生き方も
全く違う私たちですが

その「違い」を超えてつながることができています。

「違い」を受け入れることができるみんなと過ごす時間は
とても、安心の中で過ごすことができます。

自分と違う想いや考え方を「批判」ではなく
そんな感じ方や考え方があるんだねと
受け入れてくれる友達の存在って本当にありがたいです。



私たちが、出会ったころは、小学校の低学年だった子供たちも
もう、大学生に。。。。

子供たちは、毎年、年に一度 1月17日に会うだけ。
夏に会うのは初めてでした。

大人たちも、1月17日前後は、みんなピリピリしていて
心に余裕もないけれど

今日は、そのピリピリ感がなく
楽しい時間を過ごすことができました。

子供たちは、明後日 USJに行くそうです。

女の子2人に男の子1人。

私が頑張って生きてきた中で生まれた
素敵なつながりです。

震災から 20年を前に
震災を次の世代にどうつなげるとか
防災についてとか よく話題に上っていますが

私たちにとって、この20年間は
大切な子供を失って 生きる気力も失い
どう生きていいかもわからない状況から

ただ、生きるだけ ただ、息をするだけで
精一杯の日々の中で 必死に生きてきた時間。

多くを語らなくても
それらをわかりあえる そんな友達です。

20年頑張って生きてきて
子供を必死に育ててきた。

その子供たちも成人した。
後は、自分のための人生を楽しく生きようねと
みんなで話してきた。

来年の震災20年を無事に終えたら
みんなで温泉に行こうと話してきました。

頑張ってきた自分たちにご褒美かな?

とりあえず、震災20年のその日まで
頑張ろう〰☆って思える パワーいっぱいもらってきました。


震災20年という区切りではなく
ただ、今ふとそう思うだけなのですが

震災から、離れたいって。。。。

防災についても 専門家の人がしてくれたらいいやって。

私は、あとどれぐらい生きられるかわかりませんが
自分の人生を生きることを楽しもうと思います。


あの日から、もうすぐ20年になります。

あの日、平均寿命とその時ん自分の年齢を比べ
息子を失った悲しみを持ってその時間を生きることを考えて
愕然としたことを覚えています。


そんなに生きなくちゃいけないのかと。

私の人生は、息子に会うためのカウントダウンの人生。
そう思って生きています。

その日から、20年がたち
あと同じぐらい生きられるかどうかもわからない年齢になりました。

そう思うと、随分 余裕が出てきました。
一日一日、息子に会う時間に近づいている。

そして、娘と別れる時間になっていく。
その時間を娘と楽しく過ごしたいって思うようになりました。
2014.08.26 Tue l ママの想い l コメント (0) トラックバック (0) l top
今日は、友達とランチに行ってきました。

夜は別のお友達とお食事。。。。


広島では、
あんなに大きな災害が起こって
小さい子供を始めたくさんの方が
亡くなっているのに。。。です。

日常を普通に送っている自分に罪悪感を感じながらも
普通にランチに行きました。。。。


1月17日に 普通に過ごしている人や
17日という付き命日に普通に過ごしている人に

何も言う資格はないね。


震災を忘れないでって
言う資格はないね、、、、。


兵庫県の丹波や京都府の福知山などなど
広島以外にも水害が起こっています。


メディアは より大きな災害を報道します。
ボランティアの方は、そちらに足を運びます。


週末、知り合いのNPOが、丹波市への土砂の撤去などの
ボランティアを募集しているので申し込みました。
定員オーバーだと参加できないのだけど。。。。

テレビで生き埋めになっている子供の名前を
叫んでいるお母さんの声が流れていました。

あの日の自分と重なりました。


もうすぐ 20年です。
でも、あの日のこと 今も鮮明に蘇ってきます。

だから、行ってきます。
2014.08.20 Wed l 震災・ボランティア l コメント (0) トラックバック (0) l top

あさっては、友達とランチ♪

お店もとっても素敵なところらしいので
とっても楽しみです。


震災の事、何も考えず過ごせる時間は
私にとって 大切な時間です。

震災の事を考える暇もないぐらい
楽しい会話で時間が過ぎて行きます。

今は、そんな状況の中で
過ごす事が、とても心地よいです。


夜は、別の仲良しの友だちと
ご飯を食べに行きます。


こんな、素敵な友達に支えられているから
今を楽しく過ごせているんだろうなって思っています。

他にも会いたい友達がたくさんいます。

何年も会っていない友達。
山口や千葉に住んでいる時に毎日一緒過ごしたみんな。
どうしているのかな?すごく会いたいな。
2014.08.19 Tue l 未分類 l コメント (0) トラックバック (0) l top

自分をわかってもらおうと頑張っても
人の気持ちを変える事は困難。

まずは、自分が変わって
相手を受け入れる事からはじめなきゃって

ずっと思って生きてきました。


でも、相手にわかってもらわなくてもいいと思ったら
無理に相手を受け入れなくてもいいんだって
ふと、思ってしまいました。


自分のペースでゆっくりと納得しながら歩んで行こうと思います。
結局は、自分自身で歩いて行かないといけないのだから。

その為にも少し、休憩が必要かもしれないね。

なんて、思っていたら
目の前にあるお菓子を一杯食べてしまっていました(汗)
2014.08.14 Thu l 生きるために l コメント (0) トラックバック (0) l top
今日は、朝からくしゃみ、鼻水が止まらない。
アレルギーのお薬を飲むと少し楽になるけれど
夜になって、またひどくなって来た。

こんな日は、体がしんどくて 頭がぼーっとして
集中力がなくなって、目も疲れて
きっと、眼圧も高くなっているきがする。
そして、イライラしてしまう。

頭痛もひどくなって来て最悪。

明日の朝には、楽になっていますように。
2014.08.13 Wed l 日常の想い l コメント (2) トラックバック (0) l top
先日、東京&主人の実家に行ってきました。
東京では、仲良しのお友達とお昼ご飯をいただきながら

お互いの活動や震災・事件・事故の遺族のグリーフケア
について語りあいました。


彼女が、10年以上前 悲しい経験をした時から
ずっと、私のサイトを見てくれていたと
話してくれました。

本当に助けられたわと 言ってくれました。

自分が生きるために必死だった頃に
息子の為にと作ったサイトが誰かの役に立っていたことを知り
うれしくなりました。


同じ経験をした人の中では
伝えることができない想いがある。

同じだからこそ 伝えられない。

最初は、一緒だって思ってつながっていても
時間とともに それぞれの歩く速度も歩く方向も変わって来る。

一緒なはずなのに。。。。
そう思うと、違うことがお互いに受け入れられず
関係がぎくしゃくする。

一緒じゃないところでつながっている人なら
話せる気持ちもあるのよね。


今だから、そう言うことがわかるけれど
その当時は、それを知らないから
ぎくしゃくすることに 苦しみ悲しんできたよねって。

振り返るからこそわかることがたくさんある。
それは、それぞれが長い時間を過ごして来たからこそ
わかったことなのよね。

あの時の自分自身に教えてあげたいことがたくさんあります。
あの時の自分自身に今の私自身が寄り添ってあげれたらって
そんな風に思っています。

これからも、きっとつらいこと悲しいことは
新しく生まれて来るんだろうなって思います。

でも、決して一人じゃなくて
私の周りには、それを分かち合える友達がいっぱいいます。

この話は、この人に
あの話は、あの人に。。。。

一人の人にすべてを求めることは
お互いの違う部分が目について
傷つくことも多くなることを
20年間の間に学びました。

私が ずっと前から、興味があって学びたいことは
グリーフケアです。

誰かのためではなく カウンセラーになる為でもなく
自分自身の悲しみを知る為に学びたいなって思っています。


私の居場所 私がほっとできる場所は
阪神大震災を経験した人の中で生きることであることを
改めて感じました。

阪神大震災を受け入れてもらえないところで
必死に、わかってよと伝えることは
本当につらいことですし 心がめげます。

でも、神戸では、多くを語らなくても
わかり合えるということにほっとします。

他地域からみれば、20年も前の昔のこと
過去のことには興味もないと言われてしまうことは
すごく悲しいけれど
それは、私が、被災者だから。

被災してない人にとっては
あんなに大きな災害で あんなに忘れない
と言っていたのに 時間とともにただの過去の出来事になって行く。

それは、特別ではなく普通のことなんだと思います。

だって、私だって 過去の災害や事件や事故
そして、戦争は、ただの過去の出来事としてしか
受け止めてこなかったから。


東日本大震災が起こってから
メディアは、阪神大震災と東日本大震災をつなげたかがってきました。

神戸の人は、あの日を知っているから
あの日の自分の経験を思い出し
自分にできることをとたくさんの方が色んなことをしてこられました。

私の周りの震災の遺族の人たちも
あの日のことを思い出し心を痛めていました。

寄付やボランティアなど目に見えることは
できるでけのことをしたいけれど
家族を失った方達には、何もできないでいる。

悲しみの中にあったあの日の自分が
直後には、どんな人のどんな言葉や行動にも
耳を傾けることができないほど
気持ち的に余裕がない状況だったから

今、無理矢理心をこじ開けるようなことをすることが
よけいに傷付けてしまうことになると思っていた。

でも、だからといって 何もしないことを平気でいられる訳でもなく
何もできないことにさえ 苦しんでいた。

いつかいつか
つらい経験をした人たちが
他の人は、何故、つらい経験をしながらも生きているのか
それには、どうすれば生きられるのかを知りたいと思った時に

悲しみの中で生きて来た一つの事例として
伝えることができればと思いました。

みんな、その時には、いつでも
自分達の経験を話したいと。。。。。


1995年は、まだ、パソコンも普及しておらず
インターネットもほとんどできませんでした。

ホームページもブログもSNSもない時代。

心のケアという言葉も、グリーフケアという言葉も
PTSD という言葉も 一般的でなく

大切な人を失っても
早く忘れなさい、それが 元気になる一番の方法だと
言われていた時代です。

そんな中で、大切な人を想い続けていいんだよ
ずっとずっと おもっていていいんだよという
グリーフケアには、本当に救われました。

グリーフケアに対しての色んな考え方がありますが
私にとって 必死に生きようとした時に出会った
たくさんの方々の存在は、神様のようでもありました。

考えかたや感じ方はそれぞれです。

ある人には、合わないことでも
自分には合うこともある。

また、自分には、合わないことでも
人には、合うことがある。

そのことを忘れないでいようと思います。


旅立った大切な人を思って生きている
そのことは、全ての人に共通することなのかなって
思っています。



話がずれてしまいましたが、東京での時間は、
それぞれが、歩いて来たそれぞれの時間を
振り返ることで 想いを共有できたことは
私にとって とても意味のあることでした。

また、近々会いに行って パワーをもらいたいです。
2014.08.12 Tue l 心のケア l コメント (2) トラックバック (0) l top

更年期?に突入する年齢だからでしょうか?

精神的に不安定な日々。

感動したと思ったら イライラしたり
孤独だ〜って 感じたり
そうかと思えば、友達っていいなって
ハイテンションになったり。。。笑

やりたいことを優先してしまう日々の中で
やらなきゃいけないことが後回しになってしまって
かなり反省。。。。
2014.08.12 Tue l ママの想い l コメント (0) トラックバック (0) l top
子供達の二十歳の記念に作っていただいた歌が
CDになります。

それにむけて、色んな方にご協力いただいています。

私の歌に込めた想いをお伝えさせていただいたとき
みなさん、本当に快く引き受けてくださいました。

阪神大震災から 来年で20年。

20年、、、、って
被災されてない方にとっては、どんな時間なんでしょう。

10年ひと昔、と言っているように
20年といえば、ふた昔前のこと。

そんな前のことをいつまでもと
言われる方も多いと思います。

でも、あの日大きな被害を受けた私たちにとって
20年前のあの日を思い出すことは
「昔のこと」ではなく、「この間のこと」なのです。

阪神間から一歩出たときに
いつまでも震災のことを語ることに対して
罪悪感に似た 何とも言えない気持ちになります。

いつまで言っているの?
もう、過去の震災のことなんて今更伝えても。。。

そんな風に言われてしまうと
伝えようとしていることは、いけないことのように感じてしまいます。


でも、今回のレコーディングンを進める中で
震災は、過去のことではない 今も続いている
語ることで罪悪感も感じる必要もないし
普通のことなんだと感じることができます。


東日本大震災が起こってから
東北に目を向けた時期もありました。

そこでたくさんの方とつながることができたことを
大切にしたいと思っています。

でも、きっと、私の居場所は神戸なんだ
ということを あることをきっかけに
強く思うようになりました。


たまたま、震災20年を前にこの歌のCDが
出来上がりますが

これは、私にとっては
子供達の二十歳の記念の歌。


ただ、この歌を通じて この歌のCD化を通じて
神戸で被災した方々の「あの日」への想いを
改めて知ることができました。


20年近く前に起こった
それぞれの「あの日」の出来事は
それぞれの胸に深く刻まれていると思います。


あの日、それぞれの場所で
それぞれの経験をした私たち。

天国へ旅立った人への想いの中で
必死に生きて来た時間。


私たちは、その時間の中で出会い
そして、今、つながりました。

別々の道を歩いていたけれど
その道は、時々交差し そこで出会い
また、それぞれに歩いて行く。

きっと、歩く方向は同じだったのでしょう。
だから、時々つながってこられたのかなと思います。

まだ出会っていないけれど
同じ方向に歩いている人たちは
きっとたくさんいるのかもしれない。


そんな人たちの気配を感じながら
これからも歩いていけたらいいなって思います。
2014.08.04 Mon l 歌;笑顔の向こうに l コメント (0) トラックバック (0) l top
『しあわせ運べるように』(作詞作曲 臼井真さん)との出会い

息子を助けられなかった私が
どうすれば 何をすれば生きる事を息子に
許してもらえるのだろうと思って
色んなことをしてきました。

その中の一つ、
息子の事、震災の当日の事 悲しみの日々を
綴ったホームページの作成。

そのサイトを通じてある人と出会いました。
その人は、神戸市の小学校の先生です。

その先生から、
震災の歌があるのを知っている?と教えてもらったのが
『しあわせ運べるように』でした。

今ほど、ネット人口が少ない時代でした。

その方は、ホームページなどで流す「midi」を自分で作られている方で
その方の作ったしあわせ運べるようにのmidiも、作っておられました。

それが、私が、初めてしあわせ運べるように時の事です。

その時は、どんな歌詞もわからず ただメロディだけのその曲を
ホームページの音楽として使っていました。


当時は、まだ著作権が厳しくなく自由に使えました。

その後、ホームページでその曲を聞いた方が
ネットでその歌が、震災の歌である事を知り
私に、その楽譜が欲しいけれどどうすればいいのかと
連絡をくださいました。

それで、知り合いに連絡をして
先生とつないでいただいて
私のことと ホームページで使わせていただいているという事と
楽譜が欲しいという内容のお手紙を送らせていただきました。

先生からは、楽譜と一緒に
震災を伝える為に使っていただけるのであれば嬉しいですと
お返事をいただきました。


実は、私は、そのとき
『しあわせ運べるように』という歌を
受け入れる事ができませんでした。

理由は、歌詞の中の
「亡くなった方々の分も毎日を大切に生きて行こう」
という歌詞の部分が、どうしても受け入れられなかったのです。

自分が助ける事ができなかった
守る事ができなかった息子の命。

その命の分も自分が生きようとは
思えなかったのです。

そんなある日、友達から
「震災で弟さんを亡くされた方がいて
その方のミニコンサートがあるから行ってみない?と
さそわれました。

その方は、しあわせ運べるようにも歌われているのよ」

家から近かった事
弟さんが震災で亡くなっている事
そして、しあわせ運べるようにを歌われているという事

その3つが重なって私は
そのイベントに行く事にしました。

それが、今回、歌を歌ってくださる
森祐理さんでした。

森さんは、弟さんの事 今の自分の想いなどを
話してくださいました。

私自身の想いと重なり涙が止まりませんでした。
そして、しあわせ運べるようにをそこで始めて聞きました。

その時に、CDを購入しそれから
しあわせ運べるようにを聞くようになりました。

でも、やっぱり
亡くなった方々の分も〜の部分は
どうしても受け入れる事ができませんでした。

そして月日が経ち、
私は娘への想いを綴った「ゆうへ〜生きていてくれてありがとう〜」を
出版しました。

その次の年の1月17日
震災9年の年の兵庫県の慰霊祭で 遺族代表として
挨拶をすることになりました。

その慰霊祭で流れて来たのは
「しあわせ運べるように」でした。

その歌を始めてじっくりと聴いたという主人は
ずっと涙を流して泣いていました。

その時に、臼井先生に出版したての本と一緒に
その慰霊祭の様子をお手紙にして送りました。

以前、お手紙を出させていただいたものである事
しあわせ運べるようにの歌を最初は、受け入れる事ができなかったけれど
時間とともに自分の気持ちも変化し、
表現は違うけれど 歌の意味を考えて
自分の気持ち重ねる事ができるようになりました
という気持ちを伝えました。





その後、神戸でしあわせ運べるようにを披露するイベントがあり
先生に直接お会いしたくて 伺いました。

以前、お手紙を書かせていただきましたと
お伝えすると、覚えてくださっていました。

そんな風に始まった、先生とのつながりです。

それから、しばらく先生とはお会いする機会はありませんでした。

そして、私は、2005年、ある事をきっかけに
震災から離れることになります。

震災という言葉を聞くだけで拒否感を感じ
講演も取材もすべてお断りさせていただきました。

それから、何年か経ったある日
テレビ局の方から連絡がありました。

臼井先生の取材をしていますが
その中で先生が印象に残る方としてあなたの事を
話してくださいました。

取材をさせてくださいと。

取材を全てお断りしていたのですが
私が、まだまだつらくて生きる道を探していた時期に出会った
しあわせ運べるようにと臼井先生。

今、たくさんの時間を経て
臼井先生とつながる。

その意味は、きっと私にとってとても大切な事だろうなと
直感しました。

その再会のきっかけを大切にしたいと思い
取材を受ける事にしました。

そして、ルミナリエの開会式の時に
しあわせ運べるようにが歌われるという事で
開会式を観に行きました(取材ですが。。。)

そこで、臼井先生と始めてゆっくりとお話しさせていただきました。


その後、テレビ局の方にお願いして
臼井先生とお話をする機会を作っていただきました。

学校の音楽室でお話を聞かせていただき
子供達が、1月17日に向けて練習していた
「しあわせ運べるように」を目の前で聴かせていただきました。



そして、震災から16年後の2011年
東日本大震災が起こりました。

その時に東日本大震災の事を考えるプロジェクトの
お手伝いをして、臼井先生のしあわせ運べるようにの
取材を担当させていただくことになりました。

丁度先生は、自叙伝を出された直後で
その本を読ませていただいて取材に伺いました。

本の中には、震災で亡くなった教え子さんを思って
歌を作られたと書いてありました。

インタビューを終えて先生とそのお話しになり
私にも歌を作っていただけたら嬉しいと伝えました。

先生は、歌詞はお母さんの想いで作った方がいいと
おっしゃってくださいました。

当時、娘は18歳、天国の息子もな年。

そこで、二十歳の記念に歌を作りたいと思うので
その時は、よろしくお願いしますと
今考えると、とてもあつかましい話なのですが
そんな風にお願いしておわかれしました。


そして、二十歳になる前に
再び先生にご連絡をさせていただき
子供達ももうすぐ二十歳になるので
歌を作っていただいてもいいでしょうかと
連絡をしました。


本当に本当に厚かましいのですが
その時の私は、息子の為に何かをと必死でした。

先生は、快く引き受けてくださって
私が、作詞することになりました。

でも、作詞ってとても難しく
想いは綴ってみるものの
歌詞とはほど遠いものでした。

先生は、私の想いを綴ったものを
歌に合うようにまとめてくださいました。

そして、成人式の直後の2014年1月17日
先生の勤めていらっしゃる学校に伺い
初披露ですとピアノを弾きながら歌ってくださいました。

私の想いそのままの歌でした。

その後、CD化できたらいいねということで
進めてきました。

しあわせ運べるようにも歌っておられる
森祐理さんに歌っていただけたら最高ですねと
先生はおっしゃって、私もそれが実現できたら最高だと思いました。


森祐理さんとは、随分前にイベントでお会いしてから
毎年、1月17日に東遊園地の神戸市の慰霊祭の後に
ご挨拶させていただいていたので
私から事務所にご連絡させていただきまいた。


祐理さんも快く承諾していただきました。


この19年間、それぞれの想いを持って
震災と向き合って来た先生と祐理さんと私。

このような形で一つのものを作り上げる事ができること
天国にいるみんなの力添えがあったからだと思っています。


それぞれの想いがこもったこの歌のCD化。

それをジャケットに込めてそれぞれの想いを
残す事ができたらと思っています。


臼井先生 祐理さん
祐理さんの事務所の方
レコーディングに協力をしてくださる方々
そして、歌を歌ってくださる子供達と
それを承諾してくださった学校の先生方

その他に関わってくださったり
応援してくださっている全ての方に
心から感謝の気持ちでいっぱいです。


「笑顔の向こうに」の歌詞は
今年発売した絵本の最初のページに載せたもの。

でも、その部分は
実は、2001年5月5日に
将くんのホームページの日記に書いていたものでした。


東日本大震災後に受けた
複雑性悲嘆の治療からそう思えたと
勘違いしていた(笑)

震災から6年とちょっとの時に
そんな風に思っていたんだね。

忘れないように記録しておこう。
2014.08.01 Fri l 成人式 l コメント (0) トラックバック (0) l top
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