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この間、東京で会ったお友達のプログを読んだ。

彼女は、お互いの共通の友達から
お互いにお話を聞いていて あったことはなかったけれど
知っている存在だった。

その彼女と初めて会ったのは、2011年だった。

13年前に彼女は、子供を失い
当時から私のサイトをずっと見てくれていたと
話してくれた。

色んな話をする中で 同じような感じ方受け止め方をすることを知り
ますます、仲良くなった。

彼女も、とてもつらい経験をしている
その中で、必死で探してきた彼女の生き方がある。

そして、私も、必死で探してきた私の生き方がある。

それらは、似ているようで 違って
違っているようで どこか似ている。

子供を失った最初のころは、自分のことで精一杯だったし
自分と違う人の考え方感じ方、生き方を認められなかったけれど
時間とともに 少しずつだけれど認められるようになったよね

私の19年、彼女の13年という時間の中での出会いや経験が
そう変化させてくれたんだろうねって話した。


彼女のブログを読んだり 話をしていると
気持ちがほっとするし 優しくなれる。

彼女は、今 彼女の目的のために
とても頑張っている。

その頑張りのもとにあるのは
天国にいるおじょうさんへの想い。。。。。

それぞれ 子供たちを思い 生きているんだよね。。。。。
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2014.09.16 Tue l 想い l top
昨日、陸前高田に住んでいる知り合いから
新鮮な さんまをたくさん送っていただきました。

2011年4月、ボランティアに行って出会った方です。

久しぶりにお電話をしてお話をしました。
お元気そうでよかったです。

また、1月に神戸にみんなに会うために遊びに来てくださるとのこと。
17日は、毎年、忙しくて あちこち飛び回っているので
お会いする時間があればいいなって 思っています。
今年の1月は、来ていただいていたのに会えなかったので
来年こそは、会いたいなって思っています。


以前は、夏に主人の実家に帰った時に
会いに行ったりしていたんだけれど
最近は、主人の実家に帰る日程が短くて
ほかのところに行くという時間が取れないので
しばらく 行けていないです。

岩手には、会いたい人がいっぱいいるので
いつか、絶対に行きたいなって思っています。


あと、もう一つ行きたいところがあります。
娘が、私のブログを読んでいて 息子を探す旅に行こうと
言い出しました。

場所は、遺影に使っている写真を撮った 山口県の動物園。
息子を失ったあと 山口に住んでいた間は
毎年、息子と一緒に行った日に その動物園に行っていました。

最初の1年目は、悲しくて私は行くことができなかったです。
2年目は、私がビデオを撮っていますが
ずっと、息子との思い出を記録するようにしゃべっています。
きっと、その時は、娘のことは 見えてなかったと思います。
3年目は、少しだけ娘のことを見ることができたのかな?

引っ越しをしてからは、遠くて行けていません。

来年になるのか、再来年になるのか わからないけれど
同じ日に、行ってみようと思います。
2014.09.15 Mon l 将君への想い l top
今日は、家族で天橋立に行ってきました。

遠いと思っていたけれど 普通に車で走って
2時間で着いてビックリしました。

以前行ったのは、結構前だから 30年近く前。

当時は、高速も有料道路も整備されていなかったので
普通の道を通って行ったので 京都市内からでも
何時間もかかりました。

30年でずいぶん便利になったのね。

30年。。。

ずいぶん、ずいぶん 昔と感じるのに
19年となると ついこの間のような感じがする。

あと、あの日からもうすぐ20年になります。
それと同じ時間が過ぎる20年後、私は生きているのかな?
って、最近、そんなことをよく考えます。

2014.09.15 Mon l 日常 l top
今日、昔撮ったビデオ映像を探していたら
震災直後、弟や義妹が撮っていた 倒壊した実家や周辺の街並みの映像がが出てきました。

1月22日の映像 2月26日からの映像。


息子がなくなった場所(がれきの中)の映像もあり
なんだかとても 苦しくなりました。

でも、娘のドキュメンタリーの映像に使えるかな?
って、かなり客観的に見ていたので
泣くこともなくみることができました。

そして、1年4か月たった時
住んでいた家や遊んでいた公園を撮影した映像も出てきました。

息子が遊んだ場所の思い出やその時の息子の様子を
解説しながら記録している私。
娘や主人もそばにいるのに
その娘の様子は、ほとんど撮影されていません。

ちらっと映っていたのは、娘が走り回っている頭が
時々ちらっと映っているだけ

あのころの私は、日々薄れゆく息子の思い出や記憶を
消したくない 記録しておかなきゃという気持ちが
大きかったのかもしれません。

かわいいはずの娘なのに
何で、私は娘にカメラを向けてないのかと
あのころの自分の想いを思い出しながら

それでも、どうか、娘を撮影していてと
祈る気持ちで映像を観ていました。

でも、やっと映った娘だったけれど
会話は、息子のことばかり。

それだけ息子を失った悲しみの中で
娘に想いを寄せずに育てていたんだということを改めて知りました。



今の私、人から見ると子供を失ったって誰もわからない生活をしています。

テレビなどで私のことを知った人にも
そんな経験をしているなんて全く分からなかったって
いつも言われます。

あの当時の私を知っている人たちは
私が笑えるようになることを想像できなかったでしょう。

悲しみの中でいつもそばにいてくれた友達。
映像の中では、友達が、普通に
「しょうくんも一緒だよね」って言ってくれていました。

そのことに感謝する気持ちも持てないほど
すべての感情が息子に行っていました。

何年も私は、元気になれない なりたくない
元気に生活できるようになることは
息子への想いが消えるということだ

私はずっとずっと悲しみの中で生きていく
ずっとずっと泣いて暮らす
ずっとずっと笑うことはないと思って生きていました。

幸せな友達家族をねたみにねたみ
幼い子供や妊婦さんに対して
私の前に現れてくれるな!って心で願い
子供が街でうろうろする夏休みや春休み
そして、連休には、家に閉じこもり。。。苦笑

子供を失ったのに前を向いて歩こうとしている人を
信じられない!って非難し。。。。汗

でも、息子のことを大切にしてくれるお友達は
それだけで無条件に「いい人」として受け止めていました。


自分と同じ悲しみの人 同じ思いの人を探してきました。

同じように子供を失った人 しかも双子の一人を失った人
そして、自分を責めている人 自分が生き残ったことを責めている人を。。。。
前を向いて歩く人を拒否している人を探していました。

少しでも前を向いて歩き始めた人に対しては
信じられないって 全否定していました。

そんな日々を何年も過ごしてきました。

そんな状態から
いつどうやって 一歩ずつ歩き始めることができたのかは
覚えていません。

振り返って気が付いたら
少しずつ気持ちが変わっていたということ。

毎年、1月17日が この1年を振り返る日でした。
過去しか見れない日々。

明日のことも 未来が来るということも考えられず
次の1月17日も想像もできない日々。

来年の1月17日も こんな風に1年を振り返るのかな?って
思い始めたのは、2000年を過ぎたころだった気がします。

私がホームページを作った時です。

そこからは、日々のいろんなことを「日記」のページで
更新していきました。

今みたいに SNSやブログがあったら
もっと、気軽に更新できたかもしれません

息子への想いも 娘への想いも。。。。

それでも、ビデオがあったので
その時の想いを記録することができてよかったと思いました。

実は、こんな風にビデオで記録していたこと
すっかり忘れてしました。。。。というか
この映像を観ても そんなことをしたいたことを
全く覚えていません。

がれきになった実家の映像を観て
悲しみだけの日々を振り返り思うことは
あのころの私は、今の私を軽蔑するだろうなということ。

何で、笑ってるの?なんで、前向きなの?何で、まだ生きてるの?
って。。。。 元気にならないって誓っていたはずなのに なんで?って。

でも、あの頃の私は、その後の私を知らない。
何で、私が笑っているか なんで私が前を向いて生きれるようになったか
なんで、今も生きているか、、、を。

あのころの私が、それらを知ったら 今の私の気持ちがわかる。
でも、そういっている 今の私のこと、嫌いかも(笑)

あのころの私が、今の私を理解してくれたとしても
他の人はそれを理解できないだろうな。
だって、私の生きてきた方法だから。

私が、悲しみの中でやっと見つけた
私だけの生き方だから。。。。。。

私の生き方を理解できないという人もいるかもしれないけど
仕方ないよね  だって、その人には、その人の生き方があるんだもんね。

みんな悲しみの中で、それぞれがそれぞれの生き方をしている。
それを認め合うことができるようになった。

それが、「20年」という時間なのかもしれないって思います。
2014.09.14 Sun l ママの想い l コメント (0) トラックバック (0) l top
昨日は、岩手県出身のご近所のお友達と
久しぶりにお出かけしてきました。

聞くことしかできない私ですが
まっぴぃさんが、いてくれてよかったと
言ってもらえたこと それだけでいいのかなと。



今日は、気持ちいいぐらいの秋晴れ。

何年か前までは、秋の気配を感じると
あの日に時間が流れているようで落ち込んでいましたが
そんな気持ちもなくなってきました。

最近、娘に聞かれて、あのころの想いやいろんなことを話す機会が増えました。
あのころの自分と今の自分を客観的に見る時間になっています。
20年(正確には、19年と8か月)という時間をいろいろ考える今日この頃です。
2014.09.13 Sat l 日常の想い l コメント (0) トラックバック (0) l top
先週、神戸観光をテーマにしたワークショップに行ってきました。

私たちのグループのテーマは、神戸デートの今昔。

私の年代の人と学生が半々の8人のグループ。
昔は、携帯なかったから デートの約束をするのも
大変だったよねって おじさん おばさんチームは盛り上がりました。

電話も固定電話 しかも 子機もない電話。
電話も簡単にできなかった時代。

彼や彼女の家に電話するのも ドキドキだったよねって(笑)

当然、メールもないし パソコンもない ネットもない時代。

それはそれで よかったよねと
昔を思い出し 懐かしみ ドキドキしている おじさん おばさんたち(笑)

ちょうど自分たちの子供世代の学生の子たちは
きっとあきれて話を聞いていたかもしれない。


そんな中、みんなで盛り上がったのが
ネットの問題点について。(神戸デートについてじゃないけど・・・・)


今は、スマホや携帯があって
待ち合わせなども 苦労しないし いい面も楽しい面も
いっぱいあるけれど

その分、ややこしい問題もいっぱいあるみたいね。

若い子は自分たちが 私たちは 子供が、中学校高校の時の
ネットに関するトラブルについて 話題になった。

ネットによるいじめ。

学校だけでのいじめじゃなく
ネットが原因になって いじめのきっかけになると
学校からも注意のお手紙などが届いたこともあった。

ネットに書かれた日記を読んだお友達が
そのことについて ネット上で批判する。

学校でちょっと気に入らない子がいたら
その子の書いた日記って すべてが気に入らないらしくて
何を書いても攻撃的なことを書いてくる

そして、実際の友達ではないネットの友達ができ
トラブルは、そちらにも広がっていく。

若い子たちの体験談(友達の体験も含む)を聞き
なんだか、私たちの知らない世界で起こっているいろんなことに
改めてネットの怖さを感じました。

IT関係のお仕事をされている方からも
今のネットの問題なども教えていただいて
かなりビックリ!

親は、携帯でのつながりまで 把握しきれず
子供の状態に気づきにくい。

成人するまでは、携帯を見てもいいって
テレビで言っていたけれど
それをどこまでできるか・・・だ、ってね。

ネットいじめは、大学生になると お友達関係では
ずいぶん減るみたいです。

小中高みたいに 毎日同じ教室で過ごすわけじゃないからね。

そのうえ、大学生になると 少し大人になるというか
もっと、ほかのことに興味を持つようになるからなのね。。。

相変わらず、問題発言する人はいるみたいだけど
相手にしない人も増えてくるらしい。

その分、ネットだけのつながりの人との
トラブルは増えてくるみたい。

子供だけじゃなく、大人の世界でも一緒。
ネットに書く以上 誰が見ているかわからない
世界に発信しているってことだものね

思いを言葉にするって難しくて
自分では頭で理解して書いているから
伝えられていると思ってしまうけれど

実際には、想いを伝えられてないことも多くて
そんなつもりで書いてないのにって思うと耐え方をされたりね。

そして、自分と同じ思いの人ばかりではないということ、
どこかで批判されていることだってあるのよね

それをいやだと思うなら
発信しないという選択をしないといけないのよね
写真掲載もそう。。。。。 簡単にSNSで友達限定にしているからって
載せてしまっていることも怖いよねと。

あ、取材も同じね。。。。
批判されるのがいやなら うけないこと。

自分の想いを他人の人が伝えるんだもの
少しの取材だけで 思いのすべてを話せるわけでもなく
たとえ話せたとしても 相手にちゃんと伝えるのも難しい。

そして、その伝えたことを自分の想い通りに発信してもらえるかもわからないし
たとえ、発信してもらえたとしても
相手が、思い通りに受け止めてくれるかもわからない。

自分の気持ちでさえも よくわからなくて
話しながら あれ?って思うこともある。

気持ちも思いも変わっていくことだってあるからね。

それをわかって、自分の考えで、取材を受けることを選んだ以上
批判されても流せるぐらいでいなきゃね

だって、みんなが自分と同じ考えじゃないし
自分の考えや思いに対して反感を持つ人だっているわけだから。

あら?
神戸観光のワークショップの話からずれてきてしまったわ。

本題は、昔は、ネットがなかったので
ドキドキ感は、今以上にあったという お話でした。

来週も再来週も神戸観光についてのワークショップがあります。
最後には、神戸デートの今昔について
みんなでまとめの発表があるので
それに向かって 意見まとめていかなきゃね。

発表は、パワーポイントでしなきゃいけないので
それは、学生の子たちにおまかせ。

よろしくねぇ~
2014.09.11 Thu l 普通の日常 l コメント (0) トラックバック (0) l top
わぁ~ つくつくぼうし 鳴いてる。

少し山の方に行くと鳴いているのを聞くけれど
家で聞いたのって何年振りだろう???

しかも、他のセミは、ずいぶん前に鳴かなくなって
秋だなって 思っていたのに。

なんで今頃?

私が子供のころは、お盆のころからは
つくつくぼうしが 鳴き始めてたのに
同じところに住んでいるのに 聞かなくなりました。

つくつくぼうしが鳴いているのを聞くと
宿題の追い込みをしていたのを思い出します。
2014.09.11 Thu l 普通の日常 l コメント (0) トラックバック (0) l top

あさっては、お友達とのランチ。

その子との前回のランチは、梅雨前ぐらいだったので
久しぶりです~★

まずは、ハーバーランドに行って
いろいろお買いものをして おいしいもの食べてきます。

最近は、楽しいことや大変なことなどの予定も詰まっていて
とっても充実した毎日を送っています。

いつものメンバーの定例飲み会の日程も決定したしね。
いつか みんなで温泉に行こうって 話しています。

11月には、高校全体の同窓会も予定されていて
ちょっとわくわくしています。

仲良しの同級生とも
1年半ぐらい会ってないので同窓会で会えるといいな。

みんなそれぞれつらい経験をしながら
大変な毎日を送っています。

でも、みんな とても前向きでキラキラ輝いていて。。。
みんなと話をしていたら とても幸せな気分になります。

いつまでも外見も中身も素敵に生きる!

そのために みんなで楽しいこといっぱいして
生きていこうねって話しています。


ジムで仲良くなったお姉さまたち
素敵な方がいっぱいいます。

いつまでも元気で 前向きで、、、。
いろんな人生だったわぁ~って 笑いながら話してくれます。

話していて 気持ちいいぐらいの元気パワー。

運動に行っているのか 口の運動に行っているのか
わからない日もあるけれど
体いっぱいうごかして たくさん話して笑って
元気いっぱいもらって帰ってきてます。

明日も、ゆっくりジムに行ってこようっと。
2014.09.09 Tue l 普通の日常 l コメント (0) トラックバック (0) l top
あなたが天国に旅立ってから
15年の年月が経ちました

1歳半だったあなたは、生きていれば 16歳。
高校1年生。

あなたが、大きくなっていく姿が想像できなくて
双子のゆうちゃんの学校の男の子が成長する姿を
あなたに重ねてきた15年間

声変わりをして
背が高くなっていくお友達を見ながら
あなたもこんな風に成長しているのかな?って・・・


中学から高校に進み
子どもから大人になっていく姿を見たとき
1歳半のあなたからは、全く想像が出来ない姿に
とても悲しくなった

生きていれば・・・


もう、ひとつひとつ
落ち込んだり、涙することは、
ほとんどなくなったけれど


日常生活のいろんな場面で
そんな風に感じながら過ごしています

きっと、ママが生きている間はずっと
そう思って生きていくんだろうね・・・
あなたを失った最初の頃
ママの頭の中から
あなたの思い出が消えてしまうようで

とても怖かった

悲しいことだけど 人間の記憶は、
少しずつ、消えていってしまっている

でも、今では

そんなことにおびえる日々も通り越し
その次元ではないところで
あなたを思っているママがいる


今、あなたの存在は
ママが、前を向いて生きていこうと思う
気持ちの原点だったり
ママが、歩いて行く先にある目標だったり・・・
そして、
あなたが、ママ自身の体の中に入って
ママが生きていく上での
力になってくれている気がしている

だから・・・

ママが、どんなに楽しい人生を
送れるようになっても
たくさん元気になっても

決して、あなたのことを忘れてしまったり 
あなたの死を受け入れたわけではなく

あなたの存在が、
ママに力を与えてくれていることを感じられて
ママが、前に向いて歩けていることに気がついた


もしね、もし・・・



神様がママに逢いに来て
ママの命と引き換えに
再びあなたに命を与えてくれると言ったら・・・

ママは、迷わずママの命を神様に預けるよ

あなたにあなたの人生を送らせてあげたかった
今でも、その思いは変わらない・・・

16歳になったあなたに逢いたい
大人になっていくあなたを見たい・・・

それがかなわないのなら

せめて、
あなたの笑顔をもう一度見てみたい
あなたをもう一度、抱っこして抱きしめたい

それさえも かなわないのなら

あなたをいっぱい いっぱい
いっぱい・・・愛している
その思いだけでも つたえたい・・・
将君、会いたいよ


将君・・・

守ってあげられなくてごめんなさい
助けてあげられなくてごめんなさい
ひとりで逝かせてごめんなさい
2010年1月15日
将君へ
ママより
2014.09.08 Mon l 未分類 l コメント (0) トラックバック (0) l top
明日は、娘の取材 再び~♪

直後のこと
娘と一緒に死のうと思っていた時のこと
そして、実際に行動を起こさなかった思いを
話そうと思う。

その時は、必死で生きていて
自分を客観的にみる余裕もなかった。


というか 「現在」を客観的にみることは
普段しないのかな???

客観的に見えてくるのは
時間が経って 『今の自分』が『あの時の自分』を
振り返ったときなのかもしれないね。

『遺族』である自分の立場と
そうでない人たちの間に大きな壁があると
ずっとずっと 思っていた。

ある日、そのことを友達に話したことがあった
「みんなが、『子供を亡くした私』に近づくことを避けてる。
みんなが壁を作っているから私は、みんなとのあいだに距離を感じる」と。

それを聞いていた友達が言ってくれた。
「壁を作っているのは、みんなじゃなく、あなただよ」

衝撃だったな、その子の言葉。

「そんなわけない」って思った。
私は、自分の気持ちを聞いてほしいと思っているのにみんなが、その話をすることを避けてる」って。


でも、「子供を亡くした私」という殻で身を固めていた私。
周りから見たら その殻が 大きな壁だと感じたんだろうね。

何か話しかけたくても
その殻の中で怖い顔して警戒して世の中を斜めに見ていた私に
声はかけれなかったんだろうなって。

それが、悪いことだというのではなく
子供を失うことは、そういう気持ちにしてしまうほど
苦しくつらいものだということなんだけれどね。

あの時の私自信を客観的にみることができなかったから
そんなことない!って 周りが私のことをわかってくれないからだと
思ったりしてた。

そのことが、壁をどんどん高くしていたのかもしれないね。

自分が作った壁なのか、相手が作った壁なのか
それは、どちらでもいいんだけれど

私は、その壁を一生超えることはできない。
壁の向こうの世界には、絶対に行けないと思っていた。

子供を亡くすということは
経験した人でしかわからないからと。。。。


でも、ある日、その壁を越えたと思う時が来た。

それは、9年前に同窓会をしたとき。
自分の人生は、子供を亡くした人生。
それ以前の人生は、私の中でどうでもいい時間だった。

私の中で完全に消えてしまったし
思い出すことさえも自分が意識しないところで
拒否していたと思う。

でも、同窓会をしたときに
子供を亡くしてない人生が自分にあることを思い出した。
そして、その高校時代を懐かしく思える感覚が生まれてきた。

子供を亡くしていない人生を思い出し
同級生と楽しく過ごそうと思えたときに

一生超えることができないと思っていた
大きな壁を簡単に飛び越えたって思えた。

あまりにも、自然にあっけなく
その壁を越えてしまったことに 軽いショックを受けながらも
同級生との楽しい時間を過ごしている私がいた。

それからかな?
震災にかかわることができなくなったのは。

震災という文字や震災にかかわることが
私にとってつらいことになってしまった。

その当時、人と防災未来センターで語り部のボランティアをしていた。
その施設に近づくと 心臓がドキドキして つらくなってしまう。

わぁ~と叫んで 頭から消したくなってしまう。
息子のことを考える時には そんな風には感じなかった。

でも、「震災」や震災のことを話す取材に対しては
強い拒否感があって しんどかった。




当時通っていた、カウンセリングの先生に
そのことを話した。

先生は、離れていいんじゃないですか?
と言ってくれた。

その言葉を聞いて 離れてもいいんだって 楽になった。

語り部をやめて 震災に関するいろんなことから離れた。
講演も取材もすべて断った。

その時のことを分析してみると
あの時の私は、同窓会をすることで
「普通」の生活をしたいと思うようになっていたのかな?

前に進まなきゃって強く思っていたのだと思う。
だから、その気持ちを後ろに引っ張る 邪魔をする「震災」のことに対して
拒否感を持ったのかもしれない。

何度も言うけれど 息子のことは拒否感を感じなかった。


そんな私が、再び取材を受けるきっかけになったのは
「笑顔の向こうに」を作詞してくださった 臼井先生とのつながりだった。


某テレビ局の方が、臼井先生が作られた
しあわせ運べるように の取材をされていた。

その取材の中で、臼井先生が、私との出会いのことを
話してくださったようで
テレビ局の方から、取材をさせてくださいと連絡があった。

すべての取材を断っていたので
お断りをするつもりだったけれど
私が、必死で生きる道を探していた時に出会った臼井先生。

その先生との出会いについての取材を
断っていはいけない気がした。

断ることで、私が必死で生きてきた時間を
否定するようなそんな気がしたから。

そして、取材を受けることにした。

そこから、いろんなこと いろんな人との出会いがあり
今の私を作ることになった。

あの時に、取材を受けていなかったら
臼井先生とのつながりもあの時で終わっていて
きっと、この「笑顔の向こうに」の歌は、生まれなかったと思う。

人との出会いは、その時は、何気ないものだけれど
後になって あの時の出会いがなければ 今の私はいなかったかも
という出会いになる可能性がある。

同じ経験をしていなくても
人はつながっていられる。

自分と同じ経験をした人 同じ思いをした人を探していたあのころの私。

一緒じゃない人を否定して 一緒じゃないことで
壁を作ってきたあの頃の私。

一緒じゃない人 違う思いの人と出会ったとき
そんな感じ方考え方があるんだよね。

それぞれなんだよねって
相手を受け入れることができるようになった今の私。


震災から20年という時間は
人の気持ちを変えることができる時間なんだろうなって思う。

そして、子供を思う気持ちは、変わらない時間でもあるんだって。


こんなことを明日、話せたらいいな、って
たぶん 明日になったら忘れてしまって話せないかも。

これ印刷して 忘れないように手元においておこう(笑)
2014.09.06 Sat l 阪神大震災への想い l コメント (2) トラックバック (0) l top
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